【世界史】近現代の歴史 まとめ

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・近現代の歴史を、ざっくり知りたい
・大事なキーワードは?
・重要な人物は、だれ?

きょうは、この問いに答えていきます。

先に結論をいえば、つぎのとおり。

りきぞう

・近現代は、[ロシア革命 → 世界恐慌 → 満州事変 → 第二次世界大戦]の流れでおさえると、すっきり理解できる
・大事なキーワードは、「二月革命」「ニューディール政策」「中国国民党/中国共産党」「ファシズム」など
・重要な人物は、「レーニン」「ルーズベルト」「蒋介石(しょうかいせき)」「ヒトラー」など

ポイントは、つぎのとおり。

  1. ① ロシア革命
  2. ② 世界恐慌
  3. ③ 満州事変
  4. ④ 第二次世界大戦

以下、目次にそって、くわしくみていきます。

近現代の歴史① ─ ロシア革命

「社会主義国」の誕生は、その後の世界情勢に、大きな影響を与えることになります。

20世紀の歴史は理解するには、たいへん重要な出来事です。

ポイントは、つぎのとおり。

  • 二月革命
  • 十月革命
  • 社会主義政策の実施
  • 「ソ連」の誕生

それぞれ、カンタンにみていきます。

二月革命

第一次大戦では戦勝国だったロシアですが、戦争の長期化で、国内経済はボロボロになりました。

国内のあいだで物資&食料が不足し、当時おさめていた「ロマノフ王朝」への不満が一気に高まります。

・労働者
・農民
・主婦
・下級兵士

が、いっせいに立ちあがります。

さらに、皇帝の正規軍隊までが、反乱の動きに参加 ─ 。

それにより、皇帝「ニコライ2世」は退位し、ロマノフ王朝が滅亡します。

民衆決起から、王朝滅亡までを「二月革命」といいます。

十月革命

「二月革命」により臨時政府ができますが、これまでの王朝と同じく、戦争継続を決定します。

この方針を批判したのが、社会主義者「レーニン」でした。

・戦争停止
・自治政府の樹立

をかかげ、「四月テーゼ」を発表 ─ 。

さらに、社会主義政党「ボリシェヴィキ」(のちの「共産党」)を立ち上げ、臨時政府を打ち倒します。

ここまでの経過を「十月革命」とよびます。

そして、同盟国と「ブレスト=リトフスク条約」を締結 ─ 。

民衆の期待に沿うかたちで、第一次大戦から退きます。

社会主義政策の実施

大戦から身をひいたあと、レーニンたちは、政党名を「ボリシェヴィキ」から「共産党」に変更。

そして、国内政策に力を注ぎます。

・すべて土地&生産手段を国家が管理
・産出される生産物を国民に等しく配分

の〝2本柱〟をかかげ、いわゆる「社会主義政策」を実施します。

「ソ連」の誕生

いっぽう、労働者中心の政府・国家に、まわりの国々は警戒します。

・イギリス
・フランス
・アメリカ
・日本

など、いわゆる「民主国」は革命をみとめず、「対ソ干渉戦争」をおこします。

各国が、それぞれのロシア地域に、反革命勢力を支援する軍隊を送り込みます。

しかし、5年間のすえ、「共産党政府」は鎮圧に成功 ─ 。

そのあいだ、

・ロシア
・ウクライナ
・ベラルーシ
・カフカス

の地域で構成する「ソヴィエト社会主義共和国連邦」(=ソ連)を樹立します。

主導者・レーニンが亡くなったあとは、最高指導者の地位は、スターリンに継承されます。

その後、社会主義政策は、よりいっそう強化されていきます。

近現代の歴史② ─ 世界恐慌

第一次大戦のあと、戦争の舞台になったヨーロッパ地域は、経済が衰退します。

かわりに、盛り上がったのがアメリカでした。

世界経済の中心が、ロンドンからニューヨークに移り、アメリカは繁栄を極めます。

しかし、過剰融資&過剰生産により、バブルが崩壊 ─ 。

「世界恐慌」がおき、各国の情勢が、一気に変化します。

文字どおり、「世界恐慌」は、世界各国に影響をあたえます。

この時代、すでに経済市場は、グローバルに展開していたからです。

なかでも、もっとも影響をくらったのは、ヨーロッパ地域です。

それぞれは、アメリカ経済と強く連動していたからです。

以下、

  • アメリカの繁栄
  • 恐慌の発生
  • 恐慌の対策 ─ ニューディール政策
  • ヨーロッパへの影響

のポイントにそって、ひとつひとつみていきます。

アメリカの繁栄

第一次大戦では、ヨーロッパ地域が戦場になりました。そのため、経済が衰退します。

かわりに、アメリカ地域が、世界経済の中心になりました。

財政面では、アメリカ合衆国は、大戦中に「イギリス&フランス」に軍事費を貸しつけ、余裕があり、潤っていました。

「金融センター」も、ロンドンからニューヨークへ移り、繁栄を謳歌 ─ 。

株価も金利も、上がりつづけていました。

企業にたいして、銀行は積極的に融資をおこない、株主もバンバン株を購入していました。

結果、アメリカ市場は、〝バブルの様相〟を見せはじめます。

恐慌の発生

そんななか、「1929年10月24日(木曜日)」、ニューヨーク市場で、とつぜん株価が暴落します。

のちに「暗黒の木曜日」とよばれる日がおとずれます。

翌日の金曜日になっても、株価は低下しつづけ、売り注文が殺到 ─ 。

その後も、上がる気配は、いっさいみせません。

さらに、株価暴落のニュースは、世界市場に広まり、世界規模の恐慌へと発展していきます。

恐慌のプロセス

なぜ恐慌はおきたのか ─ 。

ざっくりいえば、こんなかんじです。

・銀行&株主が過剰に融資する

・企業は大量にモノをつくる

・売れなくなる

・借金が返せなくなる

・株価が下がる

・不況&恐慌

うえにのべたとおり、金融面で潤っていたアメリカは、銀行・株主ともに、企業に〝過剰なほど〟融資していました。

売れないのに、モノ&サービスをつくりつづけた企業は、大量の在庫をかかえ、借金を返せないまま倒産 ─ 。

これが「信用不安」につながり、アメリカ市場は、不況 → 恐慌へ転落していきます。

ニューディール政策

世界恐慌のさなか、アメリカでは大統領選がおこなわれました。

民主党の候補は、不況対策「ニューディール政策」を掲げ、当選を果たします。

そして公約どおり、以下の内容を実施します。

・国が農産物を買い上げる
・生産物の調整をおこなう
・公共事業で雇用をうみだす

政府が、積極的に市場に介入することで、なんとか不況・恐慌を止めようとします。

のちの経済学者の意見は分かれますが、ひとまず危機は脱した段階まで、もっていきます。

ヨーロッパへの影響

世界恐慌は、ヨーロッパ地域に影響をあたえました。

具体的には、それぞれの国家を、「持てる国 / 持たざる国」に分断しました。

名前の意味は、

・持てる国=植民地&生産能力をもつ国
・持たざる国=植民地&生産能力がない国

ということ。

国別(国名)でいえば、

・持てる国 → イギリス・フランス・ソ連
・持たざる国 → ドイツ・イタリア

ということになります。

イギリス&フランスによる「ブロック経済圏」

「持てる国」である、イギリス&フランスは、不況に陥いる「アメリカ」と経済のつながりを断ちます。

そのうえで、植民地をふくめた「自国の領土」だけで、経済&市場がまわるように設計 ─ 。

じぶんの領域だけでまわす経済を「ブロック経済圏」とよびます。

イギリス&フランスだけの経済圏を、つぎのようによびます。

・イギリス → 「ポンド=ブロック」
・フランス → 「フラン=ブロック」

世界中に植民地をもつイギリス&フランスは、こんなふうに世界恐慌に対処しました。

ソ連による「計画経済」

いっぽう、ロシア革命によって、世界初の「社会主義国」になったロシア(=ソ連)は、計画経済によって対応します。

具体的には、組織主導のもと、意図的に、

・過剰融資
・過剰生産

を抑えます。

これにより、「不況 → 恐慌」に陥らず、経済上の被害を受けずに済みました。

ドイツ&イタリアにおける「ファシズム」の台頭

反対に、「持たざる国」のドイツ&イタリアは、経済が行き詰まります。

結果、「貧困層の増加 → 労働者の不安」から、民衆のなかから、〝経済を一新する〟強いリーダーが求められます。

そこから、ドイツでは、元首「ヒトラー」、イタリアでは、軍人「ムッソリーニ」が台頭 ─ 。

国民のあと押しを受けた二人は、国を回復させるため、侵略戦争へ乗りだしていきます。

これが、ヨーロッパで始まった「第二次世界大戦」へと、つながっていきます。

近現代の歴史③ ─ 中国国民党/中国共産党の成立

第一次大戦中から、第二次大戦にいたるあいだ、今度は、日本が中国北部から侵入・侵略してきます。

それにともない、中華民国がおさめる政治情勢も、混乱していきます。

そのあいだ、いまの中国に影響をおよぼす、中国国民党/中国共産党 ─ 2つの政党が成立します。

くわえて、満州を統治する日本が、中国への侵攻を開始します。

それにより、ドロ沼の戦争へと陥っていきます。

以下、

  • 五・四運動の勃発
  • 中国国民党/中国共産党の成立
  • 満州事変の勃発
  • 第二次国共合作の締結

のポイントにそって、ひとつひとつみていきます。

五・四運動の勃発

この時代、中国地域は、清を滅ぼした「中華民国」がおさめていました。

革命家「孫文」が建国し、トップには「袁世凱」が就いています。

第一次大戦中ということもあり、ヨーロッパ諸国の侵略は厳しくありませんでした。

その隙をついて、日本が進出していきます。

中華民国はできたばかりで、国内秩序は不安定でした。

この混乱に乗じて、日本は「二十一カ条の要求」を提案します。

これは、中国地域におけるドイツの権益を日本が受けつぎ、条文にしたもの。

おもに「山東省」「遼東半島」の利権にかかわるものでした。

さらに、この要求は、第一次大戦の終結会議である「パリ講和会議」で決まった条件で、欧米列強の〝お墨付き〟でした。

この理不尽な要求に反発したのが、若年層の民衆でした。

なかでも、雑誌『新青年』にたずさわっていた、

・陳独秀(ちんどくしゅう)
・胡適(こてき)
・魯迅(ろじん)

が中心となって、反発運動をおこします。

この運動を「五・四運動」とよびます。

中国国民党/中国共産党の成立

日本にたいする反発の動きのなかで、2つの政党が誕生します。

・中国国民党
・中国共産党

です。

民主主義政党である中国国民党は「孫文」が、社会主義政党である「中国共産党」は、(うえにあげた)「陳独秀」たちが結成しました。

共通の敵は同じですが、支持者が異なります。

・中国国民党 ← 知識人&資本家が支持
・中国共産党 ← 労働者&農民が支持

そのため、2つの政党は対立し、内乱にまで発展します。

とはいえ、都市「北京」のまわりには、フクスウの軍閥が分立し、混乱した状態。

そのスキをついて、いつ日本軍が進出してくるかわかりません。

そのため、戦略上の理由から、一時的に、国民党&共産党は手をむすびます。

このときの協力を「(第一次)国共合作」とよびます。

蒋介石による中国統一

しかし、軍閥打倒の組織「北伐軍」のリーダー「蒋介石(しょうかいせき)」が、とつぜんクーデターをおこします(=上海クーデター)。

国民党の軍隊をひきいるかれは、北部の軍閥をつぎつぎに倒し、さらに、協力関係をむすんだ「共産党員」 まで殺害します。

そして、中国国民党による「中国統一」を宣言します。

この事件をきっかけに、「国共合作」は欠落 ─ 。

ふたたび、国民党 / 共産党による内乱がおこります。

劣勢に立つ共産党は、追われる立場となり、拠点を「瑞金(ずいきん)」に移します。

そこで、数年間にわたり、社会主義政党による「政権奪取」をねらうことになります。

満州事変の勃発

いっぽう日本軍は、ちゃくちゃくと中国進出をすすめていきます。

まず、これまで日本も支援し、北部をおさめていた軍閥トップ「張作霖(ちょうさくりん)」を殺害 ─ 。

その隙に、満州に侵入します。

さらに、日本が経営していた「南満州鉄道」を、日本軍(=関東軍)が、わざと爆破 ─ 。

これを〝中国軍のしわざ〟として、保護&報復を目的とした占領・統治の〝口実〟にします。

このときの満州の占領を、「満州事変」とよびます。

清の最後の皇帝「宣統帝(せんとうてい)」をむかえた日本は、元皇帝に「溥儀(ふぎ)」(=執政職)の役割をあたえます。

そして、宣統帝の権威を利用して「満州国」を樹立します。

第二次国共合作の締結

中国北部に「満州国」が樹立しても、いぜんとして、国民党 / 共産党の内乱はおさまっていませんでした。

国民党軍は、共産党をつぶすため、長いあいだ追撃しつづけました。

結果、10万人いた共産党軍は、1万に激減 ─ 。

拠点だった「瑞金(ずいきん)」も手放し、そこから北西に位置する「延安」の牙城を移します。

西安事件 → 抗日民族統一戦線

崩壊寸前の共産党でした。

しかしそんなとき、「西安」に滞在していた「蒋介石」の宿舎が襲われます。

実行犯は、「張学良(ちょうがくりょう)」 ─ 。

かれは、日本軍に殺された軍閥トップ「張作霖(ちょうさくりん)」のむすこでした。

日本への報復をはたすため、蒋介石を襲った宿舎に、共産党トップ「周恩来(しゅうおんらい)」を呼びつけます。

そして、「打倒日本」のために、ふたりを仲をとりもち、ふたたび協定を結ばせます。

このときの協力関係を「第二次国共合作」といいます。

出典:『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書』

抗日民族統一戦線

〝共通の敵〟を思い直した、蒋介石&周恩来は、「抗日民族統一戦線」を結成 ─ 。

「盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)」をきっかけに、ますます侵攻をすすめる日本軍をむかえうつことに。

さらに、日本の中国進出を警戒する「アメリカ」の支援をえて、対抗します。

いっぽう日本は、無謀な侵略をくりかえし、〝ドロ沼〟の戦争へと突入していきます。

これにより「日中戦争」が引き起こされます。

さらにヨーロッパ地域で緊張とリンクして「第二次世界大戦」へとつながっていきます。

近現代の歴史④ ─ 第二次世界大戦

ヨーロッパ&中国での緊張が高まりにより、第二次世界大戦が引き起こされます。

以下、[背景 → 展開 → 影響]の流れでみていきます。

大戦の背景 ─ ファシズムの台頭

大きな植民地&生産手段をもたないドイツ&イタリア ─ 。

いわゆる「持たざる国」において、ファシズムが台頭します。

両国は、まわりの国々へ侵入・侵略していきます。

その動きに、同じく経済資源に乏しい日本も、協力 ─ 。

三国同盟がむすばれ、第二次世界大戦へと突きすすんでいきます。

以下、

  • ファシズムの台頭
  • ドイツ&イタリア&日本の同盟
  • イギリス&フランスの宥和政策

のポイントにそって、みていきます。

ファシズムの台頭

「ファシズム」とは、「結束・団結」を意味します。

ひとりの政治家が、権力で民衆をコントロールし、まわりの国々へ侵略する「独裁国家体制」のことです。

ヒドいようにみえますが、日々の生活に苦しむ国民にとっては、頼もしい存在にうつりました。

じじつ、ヒトラーは国民の選挙で、選ばれました。

以下、イタリア&ドイツのファシズム体制の成り立ちをみていきましょう。

まずは、イタリア ─ 。

第一次大戦では、戦勝国になったイタリアですが、「植民地競争」では遅れをとっていました。

国民の不満も高まっていました。そんな民衆のキモチをつかんで登場したのが、政治家「ムッソリーニ」でした。

かれは、「ファシスト党」をつくり、「一党独裁体制」を築きます。

その後、ムッソリーニ政権は、

・港都市「フィウメ」の占領
・国家「アルバニア」の保護国化
・国家「エチオピア」の併合

などなど、周辺国をつぎつぎに〝飲みこんで〟いきます。

つづいて、ドイツ ─ 。

うえに述べたとおり、ドイツ経済は衰退していました。

そんななか、軍人「ヒトラー」は、「ナチ党」をつくります。

苦しい国民のキモチをくみとり、民衆が喜びそうな政策&スローガンを掲げます。

「ヴェルサイユ条約」の破棄です。

・賠償金命令の拒否
・軍事・軍隊の再整備

を実現すると訴えます。

さらに、民族意識を自覚させ、敗戦で落ち込んだドイツを奮い立たせます。

これが、その後の「ホロコースト」(=ユダヤ人の大虐殺)へつながっていきます。

結果、熱狂したドイツ国民は、ヒトラーを支持し、「ナチ党」は100%の議席数を獲得します。

そのあと、「総統」の地位に就いたヒトラーは、公約どおり「ヴェルサイユ条約」を破棄 ─ 。

徴兵制を復活させ、再軍備をはじめます。

そして、ドイツ国境に、軍隊を置き、侵略の準備を整えます。

ドイツ&イタリア&日本の同盟

同じ時期に、熱狂的な国民の支持のもと、2つの独裁国家が誕生します。

当然のように、両国は近づいていきます。

きっかけは、スペイン内戦でした。

スペインでは、ブルボン朝が滅んだあと、内戦状態がつづいていました。

人民戦線内閣
vs.
フランコ将軍派閥

の対立です。

ライバル国である「ソ連」が人民戦線内閣を支持にまわった段階で、ドイツ&イタリアは、フランコ将軍派閥のあと押しを決めます。

結果、フランコ将軍による「軍事クーデター」は成功 ─ 。

これをきっかけに、ドイツ&イタリアは、同盟をむすびます。

さらに、この同盟に、国際連盟から脱退した日本も参加 ─ 。

第二次大戦における「軍事同盟」がつくられます。

イギリス&フランスの宥和政策

さらに勢いをつける、ドイツは東欧へ進出します。

「ドイツ民族による統合」を〝タテマエ〟にして、ドイツ領土を拡大していきます。

さいしょの場所は、チェコスロバキアの「ズデーテン地方」でした。

この侵略に近い統合案に、チェコは反対します。

しかし、この提案の是非を決める「ミュンヘン会議」で、ライバル国である、イギリス&フランスは、反対せず、認めてしまいます。

ウラの思わくとして、

反対意見を出して、ドイツとは戦争をしなくない

が、ありました。

じつは、スペイン内戦のときも、イギリス&フランスは、争いに関わらず、黙認していました。

ヒトラー政権&ムッソリーニ政権にたいする、イギリス&フランスの政治態度は、

宥和政策

と、よばれます。

このときの「干渉主義」「宥和政策」が、ドイツを勢いづかせ、侵略戦争に〝はずみ〟をつけてしまいます。

以上が、第二次大戦の背景になります。

大戦の展開 ─ ヨーロッパ戦線&独ソ戦

第二次大戦の主役は、ドイツです。

「ドイツ民族の統合」をスローガンに、チェコスロバキアの領土を獲得したヒトラー ─ 。

そのいきおいで、[ポーランド → フランス → イギリス → ソ連]へと、兵をすすめていきます。

結果、侵略範囲を拡大しすぎたドイツは、無理が生じて、さいごはヒトラー自身が追い込まれていきます。

以上をふまえて、第二次大戦の展開をみていきます。

ポイントは、つぎのとおり。

  • ヨーロッパ戦線
  • 「独ソ戦」の勃発
  • ノルマンディー上陸作戦

ひとつひとつ、のべていきます。

ヨーロッパ戦線

イギリス&フランスの同意のもと、チェコの領土(=ズデーテン地方)の併合を果たしたドイツ ─ 。

つづいて、おとなりの「ポーランド」をねらいます。

ソ連と「独ソ不可侵条約」をむすび、はさみこむかたちで、ポーランドに侵攻します。

結果、領土を分割し、それぞれ、つぎの地域を獲得しました。

・東側 → ドイツ
・西側 → ソ連
出典:『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書』

これまで、「宥和政策」をとり、ハタから眺めていたイギリス&フランス ─ 。この動きに、さすがに警戒感を抱きます。

これ以上の侵略を防くため、ドイツに宣戦布告します。

これより、ヨーロッパで始まった戦争を、

ヨーロッパ戦線

とよびます。

ドイツに挑むフランスですが、ヒトラー率いるナチス軍に圧倒されます。

1ヶ月の戦いで降伏し、つぎのように、領土を失います。

・北部 → ドイツが占領
・南部 → ドイツが暫定政府をおき、属国化

さらに、イギリスにたいしても、空中戦をしかけます。

イギリス本土に上陸するまえに、制空権をおさえようと、戦闘機による戦いが始まります。

その後、約2ヶ月にわたり、首都「ロンドン」をターゲットに、大規模な空襲を実行します。

4万人以上の民間人が亡くなり、100万人以上の家屋・住居が被害を受けました。

「独ソ戦」の勃発

敗北を期待したドイツですが、粘りをみせるイギリスは、なかなか降伏しません。

このとき、背後の「ソ連」と不可侵条約をむすんでいたドイツですが、協力関係を疑うようになります。

ソ連による侵攻をおそれたヒトラーは、先手をうち、東欧・ロシア方面に、軍をすすめます。

この戦いを、「独ソ戦」といいます。

戦争の時期は、ちょうど冬にさしかかる頃でした。

ソ連は、モスクワ側までドイツ軍を引き込み、豪雪によって軍への物資が断たれたところで、一気にたたく作戦に出ます。

これは、かつてナポレオンとの戦い(=ワーテルローの戦い)で用いた作戦でした。

結果、ソ連の工業地帯「スターリングラード」で敗れたドイツ軍 ─ 。

ここでの敗北をきっかけに、ヒトラー軍のいきおいは、じょじょに落ちていきます。

ノルマンディー上陸作戦

「スターリングラード攻防戦」で敗れ、ロシア地域から軍を退却させたドイツ ─ 。

さらに今度は、アメリカから支援をうけた、イギリス&フランスの連合軍が、北フランスに乗り込んできます。

これが、小説・映画で有名な「ノルマンディー上陸作戦」です。

約200万人の兵士が、「ドーバー海峡」をわたり、フランス・コタンタン半島の「ノルマンディー海岸」に上陸しました。

すると、ドイツは、獲得したはずの北フランスをすぐに失います。

さらに、タイミングを図っていたソ連にも侵略され、首都「ベルリン」を占領されます。

追いこまれたヒトラーは、首都占領の10日後に、自殺 ─ 。

さらに、アメリカと太平洋戦争をくりひろげていた日本も、無条件降伏 ─ 。

これにより、第二次世界大戦は、終結します。

大戦の影響 ─ 冷戦体制の開始

ドイツが降伏するまえに、勝利を確信していた、イギリス・アメリカ・ソ連が、クリミア半島「ヤルタ」で、戦後処理について話し合いをおこないます。

このときの議題&議決が、1989年までの「冷戦体制」を決め、世界情勢の流れに影響をおよぼします。

その意味では、あとから振り返ると、重要な会談でした。

以下、

  • ヤルタ会談の開催
  • 国際連合の設立
  • 冷戦体制の開始

のポイントにそって、みていきます。

ヤルタ会談の開催

ドイツ降伏まえの「1945年2月」、クリミア半島「ヤルタ」で、戦後処理にかんする会談がおこなわれました。

参加国のトップは、つぎのとおり。

・アメリカ → ルーズベルト大統領
・イギリス → チャーチル首相
・ソ連 → スターリン首相

3人は、ドイツ敗北を〝おりこんだ〟うえで、大戦後の世界について話し合いしました。

議題は、つぎのとおり。

・戦後ドイツの管理体制
・ポーランドの復興
・国際連合の設立

ドイツの管理については、領土を縮小したうえで、首都「ベルリン」をおさえ、イギリス・フランス・アメリカ・ソ連の4ヶ国で共同統治することが決まります。

ポーランドについては、ドイツに侵略した地域を返還させ、ポーランド市民の選挙で「イギリス or ソ連のどちらが臨時で統治するか」を決定させることになりました。

ラストが、国際連合の設立です。

すでに「国際連盟」がありましたが、実行力にとぼしく、世界平和の実現に貢献していませんでした。

世界に秩序をもたらすため、より実効性のある組織に〝ブラッシュアップ〟します。

いっぽう、「秘密協定」として、つぎのことが決められます。

・ソ連の対日参戦
・日本の領土管理

ドイツと同じく、敗戦間近だった日本 ─ 。そこをソ連が狙っていました。

いつ侵攻するのか。その時期が決められました。

結果、ドイツ降伏して「2~3ヶ月以内」に、日本領土への侵攻が、イギリス・アメリカによって認められました。

これら一連の決定事項は「ヤルタ協定」とよばれます。

国際連合の設立

予想どおり、ドイツ&日本が降伏し、第二次世界大戦が終結します。

そして、ヤルタ協定にそって、じっさいに「国際連合」が設立します。

まず「常任理事国」が置かれました。

その5ヶ国は、つぎのとおり。

・アメリカ
・ソ連
・イギリス
・フランス
・中国

常任理事国は、国連の条約案にたいして「拒否権」をもてます。提案にたいして反対できます。

5ヶ国をみれば、わかるとおり、強い権限を行使できるのは「戦勝国」です。

「国際連合」といっても、これは「大戦中につくられた連合国」という意味 ─ 。

つまり、勝利国が有利になるようにつくられた組織なわけです。

さきに述べたように、「国連」は、国際連盟を〝ブラッシュアップ〟させた組織です。

その違いは、つぎのとおり。

・議決条件の見直し
・制裁として国連軍を派遣できる

まず、議決条件が〝緩和〟されました。

それまでは「参加国すべての承認が必要」でしたが、

常任理事国&安全保障理事会の11ヶ国が、承認すれば「国連の決定」とする

となりました。

とはいえ、「常任理事国」の5ヶ国が承認しないと、条約案は認められません。

みたとおり、5ヶ国すべての利害が一致するのは、かなりマレです。

緩和したとは、実効性は、まだまだ乏しいといえます。

いっぽう、国際連盟と違い、条約に違反した国にたいしては、武力をもつ「国連軍」を派遣できるようになりました。

抑止力の面では、ひとつの進歩といえます。

冷戦体制の開始

ヤルタ会談では、協力関係にあった、イギリス・アメリカ・ソ連 ─ 。

しかし、共通の敵である「ファシズム国家」がなくなると、

資本主義国(=アメリカ&イギリス)
vs
社会主義国(=ソ連)

の対立がハッキリしてきます。

お互いに「大量破壊兵器」(=核)を持ちつつ、「いつ直接攻撃が起こってもおかしくない状態」になります。

この状況を「冷戦(Cold War)」とよびます。

「第二次大戦」については、こちらの記事で、くわしく説明しています。

[世界史]第二次世界大戦 まとめ ─ わかりやすく説明

よければ、参考にしてみてください。

まとめ

まとめると、

りきぞう

・近現代は、[ロシア革命 → 世界恐慌 → 満州事変 → 第二次世界大戦]の流れでおさえると、すっきり理解できる
・大事なキーワードは、「二月革命」「ニューディール政策」「中国国民党/中国共産党」「ファシズム」など
・重要な人物は、「レーニン」「ルーズベルト」「蒋介石(しょうかいせき)」「ヒトラー」など

といったかんじ。

この記事が、「近現代の歴史を知りたい人」の参考になれば、うれしいです。

ではまた〜。