どうも、りきぞうです。
大学のころから、世界史に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。
・大事なキーワードは?
・重要な人物は、だれ?
きょうは、この問いに答えていきます。
先に結論をいえば、つぎのとおり。
りきぞう
・大事なキーワードは、「二月革命」「ニューディール政策」「中国国民党/中国共産党」「ファシズム」など
・重要な人物は、「レーニン」「ルーズベルト」「蒋介石(しょうかいせき)」「ヒトラー」など
ポイントは、つぎのとおり。
- ① ロシア革命
- ② 世界恐慌
- ③ 満州事変
- ④ 第二次世界大戦
以下、目次にそって、くわしくみていきます。
近現代の歴史① ─ ロシア革命

「社会主義国」の誕生は、その後の世界情勢に、大きな影響を与えることになります。
20世紀の歴史は理解するには、たいへん重要な出来事です。
ポイントは、つぎのとおり。
- 二月革命
- 十月革命
- 社会主義政策の実施
- 「ソ連」の誕生
それぞれ、カンタンにみていきます。
二月革命
第一次大戦では戦勝国だったロシアですが、戦争の長期化で、国内経済はボロボロになりました。
国内のあいだで物資&食料が不足し、当時おさめていた「ロマノフ王朝」への不満が一気に高まります。
・農民
・主婦
・下級兵士
が、いっせいに立ちあがります。
さらに、皇帝の正規軍隊までが、反乱の動きに参加 ─ 。
それにより、皇帝「ニコライ2世」は退位し、ロマノフ王朝が滅亡します。
民衆決起から、王朝滅亡までを「二月革命」といいます。
十月革命
「二月革命」により臨時政府ができますが、これまでの王朝と同じく、戦争継続を決定します。
この方針を批判したのが、社会主義者「レーニン」でした。
・自治政府の樹立
をかかげ、「四月テーゼ」を発表 ─ 。
さらに、社会主義政党「ボリシェヴィキ」(のちの「共産党」)を立ち上げ、臨時政府を打ち倒します。
ここまでの経過を「十月革命」とよびます。
そして、同盟国と「ブレスト=リトフスク条約」を締結 ─ 。
民衆の期待に沿うかたちで、第一次大戦から退きます。
社会主義政策の実施
大戦から身をひいたあと、レーニンたちは、政党名を「ボリシェヴィキ」から「共産党」に変更。
そして、国内政策に力を注ぎます。
・産出される生産物を国民に等しく配分
の〝2本柱〟をかかげ、いわゆる「社会主義政策」を実施します。
「ソ連」の誕生
いっぽう、労働者中心の政府・国家に、まわりの国々は警戒します。
・フランス
・アメリカ
・日本
など、いわゆる「民主国」は革命をみとめず、「対ソ干渉戦争」をおこします。
各国が、それぞれのロシア地域に、反革命勢力を支援する軍隊を送り込みます。
しかし、5年間のすえ、「共産党政府」は鎮圧に成功 ─ 。
そのあいだ、
・ウクライナ
・ベラルーシ
・カフカス
の地域で構成する「ソヴィエト社会主義共和国連邦」(=ソ連)を樹立します。
主導者・レーニンが亡くなったあとは、最高指導者の地位は、スターリンに継承されます。
その後、社会主義政策は、よりいっそう強化されていきます。
近現代の歴史② ─ 世界恐慌

第一次大戦のあと、戦争の舞台になったヨーロッパ地域は、経済が衰退します。
かわりに、盛り上がったのがアメリカでした。
世界経済の中心が、ロンドンからニューヨークに移り、アメリカは繁栄を極めます。
しかし、過剰融資&過剰生産により、バブルが崩壊 ─ 。
「世界恐慌」がおき、各国の情勢が、一気に変化します。
文字どおり、「世界恐慌」は、世界各国に影響をあたえます。
この時代、すでに経済市場は、グローバルに展開していたからです。
なかでも、もっとも影響をくらったのは、ヨーロッパ地域です。
それぞれは、アメリカ経済と強く連動していたからです。
以下、
- アメリカの繁栄
- 恐慌の発生
- 恐慌の対策 ─ ニューディール政策
- ヨーロッパへの影響
のポイントにそって、ひとつひとつみていきます。
アメリカの繁栄
第一次大戦では、ヨーロッパ地域が戦場になりました。そのため、経済が衰退します。
かわりに、アメリカ地域が、世界経済の中心になりました。
財政面では、アメリカ合衆国は、大戦中に「イギリス&フランス」に軍事費を貸しつけ、余裕があり、潤っていました。
「金融センター」も、ロンドンからニューヨークへ移り、繁栄を謳歌 ─ 。
株価も金利も、上がりつづけていました。
企業にたいして、銀行は積極的に融資をおこない、株主もバンバン株を購入していました。
結果、アメリカ市場は、〝バブルの様相〟を見せはじめます。
恐慌の発生
そんななか、「1929年10月24日(木曜日)」、ニューヨーク市場で、とつぜん株価が暴落します。
のちに「暗黒の木曜日」とよばれる日がおとずれます。
翌日の金曜日になっても、株価は低下しつづけ、売り注文が殺到 ─ 。
その後も、上がる気配は、いっさいみせません。
さらに、株価暴落のニュースは、世界市場に広まり、世界規模の恐慌へと発展していきます。
恐慌のプロセス
なぜ恐慌はおきたのか ─ 。
ざっくりいえば、こんなかんじです。
↓
・企業は大量にモノをつくる
↓
・売れなくなる
↓
・借金が返せなくなる
↓
・株価が下がる
↓
・不況&恐慌
うえにのべたとおり、金融面で潤っていたアメリカは、銀行・株主ともに、企業に〝過剰なほど〟融資していました。
売れないのに、モノ&サービスをつくりつづけた企業は、大量の在庫をかかえ、借金を返せないまま倒産 ─ 。
これが「信用不安」につながり、アメリカ市場は、不況 → 恐慌へ転落していきます。
ニューディール政策
世界恐慌のさなか、アメリカでは大統領選がおこなわれました。
民主党の候補は、不況対策「ニューディール政策」を掲げ、当選を果たします。
そして公約どおり、以下の内容を実施します。
・生産物の調整をおこなう
・公共事業で雇用をうみだす
政府が、積極的に市場に介入することで、なんとか不況・恐慌を止めようとします。
のちの経済学者の意見は分かれますが、ひとまず危機は脱した段階まで、もっていきます。
ヨーロッパへの影響
世界恐慌は、ヨーロッパ地域に影響をあたえました。
具体的には、それぞれの国家を、「持てる国 / 持たざる国」に分断しました。
名前の意味は、
・持たざる国=植民地&生産能力がない国
ということ。
国別(国名)でいえば、
・持たざる国 → ドイツ・イタリア
ということになります。
イギリス&フランスによる「ブロック経済圏」
「持てる国」である、イギリス&フランスは、不況に陥いる「アメリカ」と経済のつながりを断ちます。
そのうえで、植民地をふくめた「自国の領土」だけで、経済&市場がまわるように設計 ─ 。
じぶんの領域だけでまわす経済を「ブロック経済圏」とよびます。
イギリス&フランスだけの経済圏を、つぎのようによびます。
・フランス → 「フラン=ブロック」
世界中に植民地をもつイギリス&フランスは、こんなふうに世界恐慌に対処しました。
ソ連による「計画経済」
いっぽう、ロシア革命によって、世界初の「社会主義国」になったロシア(=ソ連)は、計画経済によって対応します。
具体的には、組織主導のもと、意図的に、
・過剰生産
を抑えます。
これにより、「不況 → 恐慌」に陥らず、経済上の被害を受けずに済みました。
ドイツ&イタリアにおける「ファシズム」の台頭
反対に、「持たざる国」のドイツ&イタリアは、経済が行き詰まります。
結果、「貧困層の増加 → 労働者の不安」から、民衆のなかから、〝経済を一新する〟強いリーダーが求められます。
そこから、ドイツでは、元首「ヒトラー」、イタリアでは、軍人「ムッソリーニ」が台頭 ─ 。
国民のあと押しを受けた二人は、国を回復させるため、侵略戦争へ乗りだしていきます。
これが、ヨーロッパで始まった「第二次世界大戦」へと、つながっていきます。
近現代の歴史③ ─ 中国国民党/中国共産党の成立

第一次大戦中から、第二次大戦にいたるあいだ、今度は、日本が中国北部から侵入・侵略してきます。
それにともない、中華民国がおさめる政治情勢も、混乱していきます。
そのあいだ、いまの中国に影響をおよぼす、中国国民党/中国共産党 ─ 2つの政党が成立します。
くわえて、満州を統治する日本が、中国への侵攻を開始します。
それにより、ドロ沼の戦争へと陥っていきます。
以下、
- 五・四運動の勃発
- 中国国民党/中国共産党の成立
- 満州事変の勃発
- 第二次国共合作の締結
のポイントにそって、ひとつひとつみていきます。
五・四運動の勃発
この時代、中国地域は、清を滅ぼした「中華民国」がおさめていました。
革命家「孫文」が建国し、トップには「袁世凱」が就いています。
第一次大戦中ということもあり、ヨーロッパ諸国の侵略は厳しくありませんでした。
その隙をついて、日本が進出していきます。
中華民国はできたばかりで、国内秩序は不安定でした。
この混乱に乗じて、日本は「二十一カ条の要求」を提案します。
これは、中国地域におけるドイツの権益を日本が受けつぎ、条文にしたもの。
おもに「山東省」「遼東半島」の利権にかかわるものでした。
さらに、この要求は、第一次大戦の終結会議である「パリ講和会議」で決まった条件で、欧米列強の〝お墨付き〟でした。
この理不尽な要求に反発したのが、若年層の民衆でした。
なかでも、雑誌『新青年』にたずさわっていた、
・胡適(こてき)
・魯迅(ろじん)
が中心となって、反発運動をおこします。
この運動を「五・四運動」とよびます。
中国国民党/中国共産党の成立
日本にたいする反発の動きのなかで、2つの政党が誕生します。
・中国共産党
です。
民主主義政党である中国国民党は「孫文」が、社会主義政党である「中国共産党」は、(うえにあげた)「陳独秀」たちが結成しました。
共通の敵は同じですが、支持者が異なります。
・中国共産党 ← 労働者&農民が支持
そのため、2つの政党は対立し、内乱にまで発展します。
とはいえ、都市「北京」のまわりには、フクスウの軍閥が分立し、混乱した状態。
そのスキをついて、いつ日本軍が進出してくるかわかりません。
そのため、戦略上の理由から、一時的に、国民党&共産党は手をむすびます。
このときの協力を「(第一次)国共合作」とよびます。
蒋介石による中国統一
しかし、軍閥打倒の組織「北伐軍」のリーダー「蒋介石(しょうかいせき)」が、とつぜんクーデターをおこします(=上海クーデター)。
国民党の軍隊をひきいるかれは、北部の軍閥をつぎつぎに倒し、さらに、協力関係をむすんだ「共産党員」 まで殺害します。
そして、中国国民党による「中国統一」を宣言します。
…
この事件をきっかけに、「国共合作」は欠落 ─ 。
ふたたび、国民党 / 共産党による内乱がおこります。
劣勢に立つ共産党は、追われる立場となり、拠点を「瑞金(ずいきん)」に移します。
そこで、数年間にわたり、社会主義政党による「政権奪取」をねらうことになります。
満州事変の勃発
いっぽう日本軍は、ちゃくちゃくと中国進出をすすめていきます。
まず、これまで日本も支援し、北部をおさめていた軍閥トップ「張作霖(ちょうさくりん)」を殺害 ─ 。
その隙に、満州に侵入します。
さらに、日本が経営していた「南満州鉄道」を、日本軍(=関東軍)が、わざと爆破 ─ 。
これを〝中国軍のしわざ〟として、保護&報復を目的とした占領・統治の〝口実〟にします。
このときの満州の占領を、「満州事変」とよびます。
清の最後の皇帝「宣統帝(せんとうてい)」をむかえた日本は、元皇帝に「溥儀(ふぎ)」(=執政職)の役割をあたえます。
そして、宣統帝の権威を利用して「満州国」を樹立します。
第二次国共合作の締結
中国北部に「満州国」が樹立しても、いぜんとして、国民党 / 共産党の内乱はおさまっていませんでした。
国民党軍は、共産党をつぶすため、長いあいだ追撃しつづけました。
結果、10万人いた共産党軍は、1万に激減 ─ 。
拠点だった「瑞金(ずいきん)」も手放し、そこから北西に位置する「延安」の牙城を移します。
西安事件 → 抗日民族統一戦線
崩壊寸前の共産党でした。
しかしそんなとき、「西安」に滞在していた「蒋介石」の宿舎が襲われます。
実行犯は、「張学良(ちょうがくりょう)」 ─ 。
かれは、日本軍に殺された軍閥トップ「張作霖(ちょうさくりん)」のむすこでした。
日本への報復をはたすため、蒋介石を襲った宿舎に、共産党トップ「周恩来(しゅうおんらい)」を呼びつけます。
そして、「打倒日本」のために、ふたりを仲をとりもち、ふたたび協定を結ばせます。
このときの協力関係を「第二次国共合作」といいます。

抗日民族統一戦線
〝共通の敵〟を思い直した、蒋介石&周恩来は、「抗日民族統一戦線」を結成 ─ 。
「盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)」をきっかけに、ますます侵攻をすすめる日本軍をむかえうつことに。
さらに、日本の中国進出を警戒する「アメリカ」の支援をえて、対抗します。
いっぽう日本は、無謀な侵略をくりかえし、〝ドロ沼〟の戦争へと突入していきます。
これにより「日中戦争」が引き起こされます。
さらにヨーロッパ地域で緊張とリンクして「第二次世界大戦」へとつながっていきます。
近現代の歴史④ ─ 第二次世界大戦

ヨーロッパ&中国での緊張が高まりにより、第二次世界大戦が引き起こされます。
以下、[背景 → 展開 → 影響]の流れでみていきます。
大戦の背景 ─ ファシズムの台頭
大きな植民地&生産手段をもたないドイツ&イタリア ─ 。
いわゆる「持たざる国」において、ファシズムが台頭します。
両国は、まわりの国々へ侵入・侵略していきます。
その動きに、同じく経済資源に乏しい日本も、協力 ─ 。
三国同盟がむすばれ、第二次世界大戦へと突きすすんでいきます。
以下、
- ファシズムの台頭
- ドイツ&イタリア&日本の同盟
- イギリス&フランスの宥和政策
のポイントにそって、みていきます。
ファシズムの台頭
「ファシズム」とは、「結束・団結」を意味します。
ひとりの政治家が、権力で民衆をコントロールし、まわりの国々へ侵略する「独裁国家体制」のことです。
ヒドいようにみえますが、日々の生活に苦しむ国民にとっては、頼もしい存在にうつりました。
じじつ、ヒトラーは国民の選挙で、選ばれました。
以下、イタリア&ドイツのファシズム体制の成り立ちをみていきましょう。
…
まずは、イタリア ─ 。
第一次大戦では、戦勝国になったイタリアですが、「植民地競争」では遅れをとっていました。
国民の不満も高まっていました。そんな民衆のキモチをつかんで登場したのが、政治家「ムッソリーニ」でした。
かれは、「ファシスト党」をつくり、「一党独裁体制」を築きます。
その後、ムッソリーニ政権は、
・国家「アルバニア」の保護国化
・国家「エチオピア」の併合
などなど、周辺国をつぎつぎに〝飲みこんで〟いきます。
…
つづいて、ドイツ ─ 。
うえに述べたとおり、ドイツ経済は衰退していました。
そんななか、軍人「ヒトラー」は、「ナチ党」をつくります。
苦しい国民のキモチをくみとり、民衆が喜びそうな政策&スローガンを掲げます。
「ヴェルサイユ条約」の破棄です。
・軍事・軍隊の再整備
を実現すると訴えます。
さらに、民族意識を自覚させ、敗戦で落ち込んだドイツを奮い立たせます。
これが、その後の「ホロコースト」(=ユダヤ人の大虐殺)へつながっていきます。
結果、熱狂したドイツ国民は、ヒトラーを支持し、「ナチ党」は100%の議席数を獲得します。
そのあと、「総統」の地位に就いたヒトラーは、公約どおり「ヴェルサイユ条約」を破棄 ─ 。
徴兵制を復活させ、再軍備をはじめます。
そして、ドイツ国境に、軍隊を置き、侵略の準備を整えます。
ドイツ&イタリア&日本の同盟
同じ時期に、熱狂的な国民の支持のもと、2つの独裁国家が誕生します。
当然のように、両国は近づいていきます。
きっかけは、スペイン内戦でした。
スペインでは、ブルボン朝が滅んだあと、内戦状態がつづいていました。
vs.
フランコ将軍派閥
の対立です。
ライバル国である「ソ連」が人民戦線内閣を支持にまわった段階で、ドイツ&イタリアは、フランコ将軍派閥のあと押しを決めます。
結果、フランコ将軍による「軍事クーデター」は成功 ─ 。
これをきっかけに、ドイツ&イタリアは、同盟をむすびます。
さらに、この同盟に、国際連盟から脱退した日本も参加 ─ 。
第二次大戦における「軍事同盟」がつくられます。
イギリス&フランスの宥和政策
さらに勢いをつける、ドイツは東欧へ進出します。
「ドイツ民族による統合」を〝タテマエ〟にして、ドイツ領土を拡大していきます。
さいしょの場所は、チェコスロバキアの「ズデーテン地方」でした。
この侵略に近い統合案に、チェコは反対します。
しかし、この提案の是非を決める「ミュンヘン会議」で、ライバル国である、イギリス&フランスは、反対せず、認めてしまいます。
ウラの思わくとして、
が、ありました。
じつは、スペイン内戦のときも、イギリス&フランスは、争いに関わらず、黙認していました。
ヒトラー政権&ムッソリーニ政権にたいする、イギリス&フランスの政治態度は、
と、よばれます。
このときの「干渉主義」「宥和政策」が、ドイツを勢いづかせ、侵略戦争に〝はずみ〟をつけてしまいます。
以上が、第二次大戦の背景になります。
大戦の展開 ─ ヨーロッパ戦線&独ソ戦
第二次大戦の主役は、ドイツです。
「ドイツ民族の統合」をスローガンに、チェコスロバキアの領土を獲得したヒトラー ─ 。
そのいきおいで、[ポーランド → フランス → イギリス → ソ連]へと、兵をすすめていきます。
結果、侵略範囲を拡大しすぎたドイツは、無理が生じて、さいごはヒトラー自身が追い込まれていきます。
以上をふまえて、第二次大戦の展開をみていきます。
ポイントは、つぎのとおり。
- ヨーロッパ戦線
- 「独ソ戦」の勃発
- ノルマンディー上陸作戦
ひとつひとつ、のべていきます。
ヨーロッパ戦線
イギリス&フランスの同意のもと、チェコの領土(=ズデーテン地方)の併合を果たしたドイツ ─ 。
つづいて、おとなりの「ポーランド」をねらいます。
ソ連と「独ソ不可侵条約」をむすび、はさみこむかたちで、ポーランドに侵攻します。
結果、領土を分割し、それぞれ、つぎの地域を獲得しました。
・西側 → ソ連

これまで、「宥和政策」をとり、ハタから眺めていたイギリス&フランス ─ 。この動きに、さすがに警戒感を抱きます。
これ以上の侵略を防くため、ドイツに宣戦布告します。
これより、ヨーロッパで始まった戦争を、
とよびます。
ドイツに挑むフランスですが、ヒトラー率いるナチス軍に圧倒されます。
1ヶ月の戦いで降伏し、つぎのように、領土を失います。
・南部 → ドイツが暫定政府をおき、属国化
…
さらに、イギリスにたいしても、空中戦をしかけます。
イギリス本土に上陸するまえに、制空権をおさえようと、戦闘機による戦いが始まります。
その後、約2ヶ月にわたり、首都「ロンドン」をターゲットに、大規模な空襲を実行します。
4万人以上の民間人が亡くなり、100万人以上の家屋・住居が被害を受けました。
「独ソ戦」の勃発
敗北を期待したドイツですが、粘りをみせるイギリスは、なかなか降伏しません。
このとき、背後の「ソ連」と不可侵条約をむすんでいたドイツですが、協力関係を疑うようになります。
ソ連による侵攻をおそれたヒトラーは、先手をうち、東欧・ロシア方面に、軍をすすめます。
この戦いを、「独ソ戦」といいます。
戦争の時期は、ちょうど冬にさしかかる頃でした。
ソ連は、モスクワ側までドイツ軍を引き込み、豪雪によって軍への物資が断たれたところで、一気にたたく作戦に出ます。
これは、かつてナポレオンとの戦い(=ワーテルローの戦い)で用いた作戦でした。
結果、ソ連の工業地帯「スターリングラード」で敗れたドイツ軍 ─ 。
ここでの敗北をきっかけに、ヒトラー軍のいきおいは、じょじょに落ちていきます。
ノルマンディー上陸作戦
「スターリングラード攻防戦」で敗れ、ロシア地域から軍を退却させたドイツ ─ 。
さらに今度は、アメリカから支援をうけた、イギリス&フランスの連合軍が、北フランスに乗り込んできます。
これが、小説・映画で有名な「ノルマンディー上陸作戦」です。
約200万人の兵士が、「ドーバー海峡」をわたり、フランス・コタンタン半島の「ノルマンディー海岸」に上陸しました。
すると、ドイツは、獲得したはずの北フランスをすぐに失います。
さらに、タイミングを図っていたソ連にも侵略され、首都「ベルリン」を占領されます。
追いこまれたヒトラーは、首都占領の10日後に、自殺 ─ 。
さらに、アメリカと太平洋戦争をくりひろげていた日本も、無条件降伏 ─ 。
これにより、第二次世界大戦は、終結します。
大戦の影響 ─ 冷戦体制の開始
ドイツが降伏するまえに、勝利を確信していた、イギリス・アメリカ・ソ連が、クリミア半島「ヤルタ」で、戦後処理について話し合いをおこないます。
このときの議題&議決が、1989年までの「冷戦体制」を決め、世界情勢の流れに影響をおよぼします。
その意味では、あとから振り返ると、重要な会談でした。
以下、
- ヤルタ会談の開催
- 国際連合の設立
- 冷戦体制の開始
のポイントにそって、みていきます。
ヤルタ会談の開催
ドイツ降伏まえの「1945年2月」、クリミア半島「ヤルタ」で、戦後処理にかんする会談がおこなわれました。
参加国のトップは、つぎのとおり。
・イギリス → チャーチル首相
・ソ連 → スターリン首相
3人は、ドイツ敗北を〝おりこんだ〟うえで、大戦後の世界について話し合いしました。
議題は、つぎのとおり。
・ポーランドの復興
・国際連合の設立
ドイツの管理については、領土を縮小したうえで、首都「ベルリン」をおさえ、イギリス・フランス・アメリカ・ソ連の4ヶ国で共同統治することが決まります。
ポーランドについては、ドイツに侵略した地域を返還させ、ポーランド市民の選挙で「イギリス or ソ連のどちらが臨時で統治するか」を決定させることになりました。
ラストが、国際連合の設立です。
すでに「国際連盟」がありましたが、実行力にとぼしく、世界平和の実現に貢献していませんでした。
世界に秩序をもたらすため、より実効性のある組織に〝ブラッシュアップ〟します。
いっぽう、「秘密協定」として、つぎのことが決められます。
・日本の領土管理
ドイツと同じく、敗戦間近だった日本 ─ 。そこをソ連が狙っていました。
いつ侵攻するのか。その時期が決められました。
結果、ドイツ降伏して「2~3ヶ月以内」に、日本領土への侵攻が、イギリス・アメリカによって認められました。
これら一連の決定事項は「ヤルタ協定」とよばれます。
国際連合の設立
予想どおり、ドイツ&日本が降伏し、第二次世界大戦が終結します。
そして、ヤルタ協定にそって、じっさいに「国際連合」が設立します。
まず「常任理事国」が置かれました。
その5ヶ国は、つぎのとおり。
・ソ連
・イギリス
・フランス
・中国
常任理事国は、国連の条約案にたいして「拒否権」をもてます。提案にたいして反対できます。
5ヶ国をみれば、わかるとおり、強い権限を行使できるのは「戦勝国」です。
「国際連合」といっても、これは「大戦中につくられた連合国」という意味 ─ 。
つまり、勝利国が有利になるようにつくられた組織なわけです。
…
さきに述べたように、「国連」は、国際連盟を〝ブラッシュアップ〟させた組織です。
その違いは、つぎのとおり。
・制裁として国連軍を派遣できる
まず、議決条件が〝緩和〟されました。
それまでは「参加国すべての承認が必要」でしたが、
となりました。
とはいえ、「常任理事国」の5ヶ国が承認しないと、条約案は認められません。
みたとおり、5ヶ国すべての利害が一致するのは、かなりマレです。
緩和したとは、実効性は、まだまだ乏しいといえます。
いっぽう、国際連盟と違い、条約に違反した国にたいしては、武力をもつ「国連軍」を派遣できるようになりました。
抑止力の面では、ひとつの進歩といえます。
冷戦体制の開始
ヤルタ会談では、協力関係にあった、イギリス・アメリカ・ソ連 ─ 。
しかし、共通の敵である「ファシズム国家」がなくなると、
vs
社会主義国(=ソ連)
の対立がハッキリしてきます。
お互いに「大量破壊兵器」(=核)を持ちつつ、「いつ直接攻撃が起こってもおかしくない状態」になります。
この状況を「冷戦(Cold War)」とよびます。
…
「第二次大戦」については、こちらの記事で、くわしく説明しています。

よければ、参考にしてみてください。
まとめ
まとめると、
りきぞう
・大事なキーワードは、「二月革命」「ニューディール政策」「中国国民党/中国共産党」「ファシズム」など
・重要な人物は、「レーニン」「ルーズベルト」「蒋介石(しょうかいせき)」「ヒトラー」など
といったかんじ。
この記事が、「近現代の歴史を知りたい人」の参考になれば、うれしいです。
ではまた〜。