三国同盟と三国協商 ─ 戦争・バグダート鉄道・3B政策/3C政策・英露協商【簡単にわかりやすく解説】

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・三国同盟と三国協商について知りたい
・大事なキーワードは?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・露仏同盟
・バグダート鉄道
・3B政策/3C政策
・日英同盟
・英仏協商
・英露協商
ポイント
・ドイツは3B政策をおしすすめ、イギリスの3C政策に対抗した
・イギリスは英露協商をむすんだうえで三国協商を成立させ、ドイツとオーストリアの三国同盟に対抗した

この記事では、つぎの本を参考にしました。

ヨーロッパ外交は、日露戦争をきっかけに、状況が大きく変わります。それがのちの三国同盟&三国協商の成立に深く関わっていきます。

以下、以前/以後のようすをみていきます。

三国同盟と三国協商① ─ 日露戦争以前

日英同盟(ぶどう畑)から逃げ出す、ロシア(熊)とフランス(狐)

日露戦争以前までは、[イギリス vs ロシア]の対立を軸に、ヨーロッパ外交は展開されていました。

両国は、

・西アジア
・中央アジア
・中国

などの領土をめぐり、さかんに争っていました。

そんな2つの国のあいだで、大きな役割を担っていたのがドイツです。

それまでドイツはイギリス&ロシアにたいして良好な関係をきずいてきました。けれど皇帝のヴィルヘルム2世は、長年むすんでいたロシアとの再保障条約の更新を取りやめます。

背景には、植民地獲得をめぐる対立がありました。

対応に追われたロシアは(ドイツの隣国に位置する)フランスと手をむすびます(露仏同盟)。

これによりフランスは孤立していた状況から解放され、反対にドイツはフランスの侵攻をまねくきっかけをあたえてしまいます(フランスを国際的な孤立に追いこんだビスマルクは、フランス&ロシアによる挟撃をなによりも恐れていました)。

それでも「世界政策」をかかげるドイツは、バグダード鉄道の敷設権を獲得し3B政策をおしすすめていきます。

3B政策とは、

[ベルリン ⇄ ビザンティンウム(イスタンブール) ⇄ バグダード]を鉄道でむすび、アジア一帯の経済覇権をねらうもの

です。

しかしこの政策と〝バッティング〟するのがイギリスでした。

イギリスもまた植民地政策をおしすすめ、インド統治をまもるため、アフリカ&アラビア&インド沿岸の海域をおさえていました。

そこでイギリスは、ドイツの3B政策にたいして、[カイロ ⇄ ケープタウン ⇄ カルカッタ]を船でむすぶ3C政策で対抗します。

ただし日露戦争以前のイギリスにとって、3B政策よりも恐れていたのが、ロシアによる南下政策でした。

不凍港(凍らない港)をもたないロシアは領土を南側に広げ、一年じゅう貿易のできる港を必死に探していました。

しかしアジアの海にふみこまれたくないイギリスは、ロシアの南下政策を必死でくいとめます。

そんななかでおきたのが、日露戦争でした。

ヨーロッパ方面での南下をあきらめたロシアは、アジア方面から太平洋&インド洋の海に出ようとします。

アジアからの南下もおさえたいイギリスは、ロシアの敵国である日本を支援することに決めます。

ここでむすばれたのが日英同盟です。

日露戦争の結果はご存知のとおりです。日本はロシアに勝利し、イギリスとしてはロシアの南下をいったんとどめることができました。

三国同盟と三国協商② ─ 日露戦争以後

カップル(英仏協商)を気にしないヴィルヘルム

ロシアでは日露戦争をきっかけに国内の混乱がひどくなり、外交にまで手がまわらなくなります。

そのすきをつき、勢力拡大をねらったのがドイツでした。

〝ロシアの重し〟がなくなったドイツは、ヴィルヘルムがかかげる「世界政策」のもと、3C政策をさらにおしすすめていきます。

さきにみたとおり3C政策は、イギリスの3B政策とバッティングします。

こうして日露戦争以後は、ヨーロッパ外交は[イギリス vs ドイツ]の対立を軸に展開されることになります。

英仏協商&英露協商

ロシアの南下政策につづき、イギリスはふたたび対応を迫られることになります。

そこでまずはフランスと手をむすび英仏協商を締結させます。

さらに、国内の混乱をおさめたロシアがバルカン半島に目をつけ、ドイツ&オーストリアと対立するようになると、今度はロシアと手をとり英露協商をむすびます。

ここにドイツに対抗する三国同盟成立します。

オーストリア&イタリアとの締結

いっぽうドイツは、

・イギリス(北部)
・フランス(西部)
・ロシア(東部)

によって、まわりを囲まれてしまいました。

そこで祖国防衛と国力強化のためにイタリアに目をつけます。イタリアは、アフリカ植民地をめぐって、フランスと対立していました。

イタリアのアフリカ植民地政策を干渉しないかわりに、ドイツはオーストリアとむすんだ三国同盟にイタリアをひきこむことにします。

ここに、

イギリス&フランス&ロシア
vs
ドイツ&オーストリア&イタリア

の構図がはっきりとあらわれ、第一次世界大戦の引きがねとなっていきます。

ただしイタリアは、オーストリアとのあいだに「未回収のイタリア」とよばれる領土問題をかかえていました。この古くからある対立関係が、その後の三国同盟に亀裂をうむことになります。

おわりに

三国同盟と三国協商をみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・露仏同盟
・バグダート鉄道
・3B政策/3C政策
・日英同盟
・英仏協商
・英露協商
ポイント
・ドイツは3B政策をおしすすめ、イギリスの3C政策に対抗した
・イギリスは英露協商をむすんだうえで三国協商を成立させ、ドイツとオーストリアの三国同盟に対抗した

この記事が、三国同盟と三国協商を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。

では、また。