ヴェルサイユ体制 ─ 特徴・問題点・民族自決・矛盾・アメリカ・パリ講和会議・国際連盟【わかりやすく解説】

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・ヴェルサイユ体制について知りたい
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・パリ講和会議
・十四か条の平和原則
・ヴェルサイユ条約
・国際連盟
重要人物
・ウィルソン
・ロイド=ジョージ
・クレマンソー
ポイント
・ヴェルサイユ体制は、イギリス&フランスによるドイツへの報復と、ソ連の封じ込めを軸に形成された

この記事では、つぎの本を参考にしました。

第一次大戦後、戦いに勝った連合国を中心に、ヴェルサイユ体制がしかれます。

以下、その経緯をみていきましょう。

ヴェルサイユ体制① ─ パリ講和会議

パリ講和会議の風刺画

大戦終結後、戦後処理のために開かれたのがパリ講和会議でした。

指導者は、

・ウィルソン(アメリカ)
・ロイド=ジョージ(イギリス)
・クレマンソー(フランス)

の3人です。

会議はウィルソンがとなえた十四カ条を軸にすすめられていきました。

これは今後の外交ルールを定めたもので、

・秘密外交の廃止
・海洋の自由
・関税障壁の撤廃
・軍備縮小
・国際平和機構の設立
・民族自決

などが提唱されました。

しかし会議の主導権はイギリスとフランスに握られ、議決内容は両国の利害によって左右されました。

また、革命がおきたばかりのロシア(ソヴィエト)は会議には招待されませんでした。

なお、国際平和機構にかんして、つぎのヴェルサイユ条約で、「国際連盟」のかたちで設立が認められます。

ヴェルサイユ体制② ─ ヴェルサイユ条約

ヴェルサイユ条約の調印式

パリ講和会議では、ウィルソンをはじめとする各国の政治理念が述べられるだけで、実効性のある決定は何もなされませんでした。

敗戦国のドイツにかんして、現実的な項目が定められたのが半年後に締結されたヴェルサイユ条約です。

以下、

  • 領土
  • 軍備
  • 賠償金

の側面からみていきましょう。

領土

領土については、ドイツにむけて、以下の内容が定められました。

・フランスへのアルザス・ロレーヌ地方の割譲
・ポーランドへのポーランド回廊の割譲
・ザール地方の国際連盟下での管理
・都ダンツィヒの国際連盟下での管理
・全植民地&海外領土の譲渡

みてわかるとおり、以上の決定からドイツは大半の領土を失うことになります。

軍備

軍備については、つぎの項目が定められます。

・軍備制限
・ラインラント地域での非武装化
・徴兵制の廃止

軍備制限では具体的に、

・陸軍10万人
・海軍1万5千人

にまで兵士の数をおさえられました。

くわえて、潜水艦や空軍の保有も原則禁止となります。

ラインラント地域とは、ライン川右岸50Kmエリアをさし、そこはフランスとの国境沿いでした。

ここに軍隊をおかず緩衝地域をもうけることで、連合国としては今後のドイツから侵入をおさえるねらいがありました。

賠償金

賠償金については、ヴェルサイユ条約では具体的な金額を定めることができず、つぎのロンドン会議で決定されます。

その額は1320億マルクにのぼり、100年かけても払える金額ではありませんでした。

それでもフランス側のつよい要望で強引に取り決められます。

結果、ドイツでは通貨価値が暴落し、いわゆるハイパーインフレが発生します。

ヴェルサイユ体制③ ─ サン=ジェルマン条約

サン=ジェルマン条約の調印式

つづくサン=ジェルマン条約以降では、ドイツ以外の敗戦国への対処が取り決められます。

まずオーストリアについては、オーストリア=ハンガリー二重帝国が解体され、

・オーストリア
・ハンガリー
・チェコスロバキア
・ユーゴスラビア

の分離が決定されます。

そのさいオーストリアがおさめていた、いわゆる「未回収のイタリア」の地域は、イタリアへ割譲されます。

それ以外にも、オーストリアにたいして、ドイツとのつながりが断ち切られ、合併禁止などが定められます。

そのほか、つぎの条約から敗戦各国にたいして命令が下されました。

ヌイイ条約(対 ブルガリア)
→ 領土の割譲

トリアノン条約(対 ハンガリー)
→領土の割譲

セーヴル条約(対 オスマン帝国)
→ 領土の割譲

ヴェルサイユ体制④ ─ 国際連盟

国際連盟のメンバー

以上の条約締結から、ヴェルサイユ体制が形成されます。

そのおもな特徴は、つぎのとおりです。

・戦勝国の利益優先
・民族自決原則の普及
・国際連盟の設立

当然ながら、ヴェルサイユ体制では戦勝国の利益が何よりも優先されました。

具体的には、ドイツにたいするイギリスとフランスの報復が徹底的になされました。

いっぽう戦勝国側は、大戦中に成立したソ連の社会主義政権にたいしても警戒感をあらわにします。

そのためヴェルサイユ体制では、革命の世界的な広まりもひとつの課題となっていきます。

また民族自決に関しては、東ヨーロッパ諸国のみで、イギリスやフランスがおさえるアジアやアフリカの植民地には適応されませんでした。

そのため、両地域では独立運動がよりいっそう盛りあがりをみせることになります。

国際連盟に関しては、本部がジュネーブにおかれます。

常任理事国は、イギリス、フランス、イタリア、日本です。

総会では全会一致が原則で、組織としては経済制裁のみで、軍事制裁権はいっさいもっていませんでした。

また、提案国のアメリカが不参加だったため、国際連盟は理念的な意味しかもちあわせていないような機関でした。

おわりに

ロシア革命とソ連成立をみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・二月革命
・四月テーゼ
・十月革命
・平和に関する布告
・ボリシェヴィキ
・ブレスト=リトフスク条約
・対ソ干渉戦争
・赤軍
・戦時共産主義
・コミンテルン
・新経済政策(ネップ)
重要人物
・レーニン
・ケレンスキー
・トロツキー
ポイント
・二月革命でロマノフ朝は滅亡し、十月革命でボリシェヴィキによる一党支配が始まった
・ロシア革命後、戦時共産主義をとった政府は、対ソ干渉戦争で勝利し、新経済政策で資本主義のしくみを一部とりいれた

この記事が、ロシア革命とソ連成立を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。

では、また。