満州事変と満州国 ─ 皇帝・溥儀・きっかけ・日中戦争・柳条湖事件・リットン調査団【わかりやすく解説】

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・満州事変と満州国について知りたい
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・張作霖爆殺事件
・柳条湖事件
・リットン調査団
・上海事件
・国際連盟脱退
・冀東防共自治政府
重要人物
・溥儀
ポイント
・日本は柳条湖事件により満州国を建国し、清朝最後の皇帝である溥儀を君主にすえた

この記事では、つぎの本を参考にしました。

以下、[背景 → 展開 → 進展]に沿って、満州事変と満州国のようすをみていきましょう。

満州事変と満州国① ─ 背景

張作霖爆殺事件の現場

満州事変がおきるまえ、日本は世界恐慌の影響で経済不況に苦しんでいました。それにともない社会不安も増大していました。

そんななか、なにも対策をとらない政府に軍部が不満をつのらせ台頭してきます。

いっぽう中国では北伐の完了により国家の統一がすすんでいました。さらに中国政府は、北東部に位置する満州の利権をねらい、権益をおかそうとします。

その脅威から日本は山東地域に軍をすすめ、さらに満州の南部をおさめていた張作霖を爆殺します(張作霖爆殺事件)。

このように日本と中国に緊張は高まっていました。

満州事変と満州国② ─ 展開

溥儀

そんななか満州付近で柳条湖事件がおこります。

これは、

日本の関東軍が南満州鉄道を爆破し、それを中国側の攻撃とみせかけたうえで、防衛を口実に軍をすすめ、中国東北地方を占領した事件

です。

これら一連のできごとを「満州事変」とよびます。

当然このような〝ハッタリ〟はすぐにバレてしまい、日本は国際社会からバッシングをあびます。

そこで日本は、中国人による暴動騒ぎをおこし、国際社会の目を満州からそらそうとします(上海事変)。

とはいえ、そんなことで世界各国の非難は止むはずもなく、中国側から提訴をうけた国際連盟はリットン調査団を派遣します。

事件の真相を知られたくない日本の関東軍は、既成事実をつくるため占領した北東部に満州国を建設します。

さらに君主には清朝最後の皇帝である溥儀をおき、彼を〝お飾り〟にして執政を開始しました。

また占領地域の混乱をさけるため、満州国では「五族協和」「王道楽土」などのスローガンがとなえられ、日本人をふくめた民族融和がはかられました。

けれど政治&経済&軍事の権限を日本がすべてにぎり、満州国の実態は関東軍の傀儡国家でした。

このような状況も国際社会にはバレてしまい、リットン調査団の報告書のもと、国際連盟は満州国を承認しませんでした。

これにより、加入のメリットのない日本は国際連盟を抜けて、第一次大戦後を秩序づけたヴェルサイユ体制からも離脱することになります(国際連盟脱退)。

満州事変と満州国③ ─ 進展

冀東防共自治政府 庁舎

そののち日本は華北の侵略をすすめていきます。

まずは満州南部の熱河を占領し、満州国に編入します。

さらに冀東防共自治政府を樹立させ、河北省の東部を中国政府から切り離し、日本による傀儡政権を成立させます。

また日本の本国では、

・五・一五事件
・二・二六事件

がおこり政党政治が崩壊します。代わりに軍部の力が台頭し、日本は本格的な軍国主義の時代へと突入していきます。

これら中国&日本での陸軍の動きが、つぎの日中戦争の引きがねとなっていきます。

おわりに

満州事変と満州国をみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・張作霖爆殺事件
・柳条湖事件
・リットン調査団
・上海事件
・国際連盟脱退
・冀東防共自治政府
重要人物
・溥儀
ポイント
・日本は柳条湖事件により満州国を建国し、清朝最後の皇帝である溥儀を君主にすえた

この記事が、満州事変と満州国を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。

では、また。