スターリン体制 ─ 主義・成立・問題点・五カ年計画・コルホーズ・大粛清・スターリン憲法【わかりやすく解説】

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・スターリン体制について知りたい
・大事なキーワードは?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・第一次五カ年計画
・第二次五カ年計画
・コルホーズ
・ソフホーズ
・大粛清
・スターリン憲法
ポイント
・レーニン亡きあとのソ連はスターリンが政権を獲得し、五カ年計画のもと工業化をおしすすめ、反対派にたいしては大粛清をおこなった

この記事では、つぎの本を参考にしました。

スターリン体制① ─ スターリン vs トロツキー

トロツキー

第一次大戦後のソ連は、革命の指導者レーニンが亡くなったことで、情勢が一気に変わっていきます。

レーニン亡きあと、彼の同士だった、

スターリン
vs
トロツキー

のあいだで対立がおこります。

そのさいスターリンは「一国社会主義」を、トロツキーは「世界革命論」をとなえてきました。

結果、権力闘争を勝ちぬいたスターリンが政権を獲得し、トロツキーは国外へと追放されます。

スターリン体制② ─ 五カ年計画

コルホーズのユダヤ人

権力を掌握したスターリンは、さっそく「第一次五カ年計画」とよばれる政治方針をうちだします。

その内容は、

社会主義建設のため重工業化をすすめる

といったものでした。

目標達成のためには、当然ながら、莫大な資本が必要となりました。

そこでスターリンは「コルホーズ」とよばれる農業集団化を実施し、穀物の強制徴収をおこないます。

これにより、五カ年計画中に発生した世界恐慌の影響もうけず、ソ連は農業国から工業国へと変わることができました。

しかしあまりに〝無理な〟計画経済に、地方は疲弊し、農村では大量の餓死者を出すことになります。

それでも工業化路線を継承され、つぎの「第二次五カ年計画」では、ひきつづき工業設備がたくさん建てられ、地方で農業集団化は、よりいっそうすすんでいくことになります。

その結果、ソ連は世界第2位の工業生産国となり、国際社会での立場を一気に向上させることになります。

大国にのしあがったことで、国際連盟加盟にしたあとは、常任理事国として承認されます。

スターリン体制③ ─ 大粛清

大粛清の被害者を弔う墓陵

いっぽうソ連国内では、スターリン体制がしかれるようになります。

その特徴は、

・大粛清
・スターリンへの個人崇拝
・少数民族の国外追放

の3点です。

大粛清では、一般の人びとから党幹部まで、スターリンに反対する者は、つぎつぎ処刑されました。

そのうらがえしとしてスターリンへの個人崇拝が、メディアをつうじて加速していきます。

また、国内の統一をはかるため、ジャマな少数民族は排除されます。

・チェチェン人
・ドイツ人
・朝鮮人

など、スターリン体制に反対し、外国へ密告のおそれがある者は、中央アジアへ追放されます。

そのほか「スターリン憲法」とよばれる、民主的な憲法も制定しました。

しかし、いっけん人びとの自由や人権を擁護しているようにみえるものの、「社会主義建設」というたてまえのもとでは、どれもほとんど守られず、一般市民は強制労働者としてソ連の繁栄につとめるだけでした。

おわりに

スターリン体制をみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・第一次五カ年計画
・第二次五カ年計画
・コルホーズ
・ソフホーズ
・大粛清
・スターリン憲法
ポイント
・レーニン亡きあとのソ連はスターリンが政権を獲得し、五カ年計画のもと工業化をおしすすめ、反対派にたいしては大粛清をおこなった

この記事が、スターリン体制を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。

では、また。