イタリアのファシズム ─ 政策・共産主義・世界恐慌・ムッソリーニ・ローマ進軍・ラテラノ条約【なぜ&理由を簡単に解説】

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・イタリアのファシズムについて知りたい
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・ファシスト党
・ローマ進軍
・ラテラノ条約
重要人物
・ムッソリーニ
ポイント
・ムッソリーニは「ローマ進軍」で政権を獲得し、イタリア国内にファシズム体制をしいた

この記事では、つぎの本を参考にしました。

イタリアのファシズム① ─ 第一次大戦後の状況

ムッソリーニ(1920年代)

大戦後のイタリアでは、戦争による経済破綻から、現政権への不信が高まっていました。

くわえて、アドリア海に面するフィウメの領有が認められなったことも、政治不信の要因でした。

一連のできごとをうけて、北イタリアで社会党左派による指導のもと、労働者による工場占拠がおこなれます。

また南イタリアでは、農民の土地闘争がひんぱつします。

結果、イタリア全土で社会不安が高まり、それまで利権をもっていた、

・土地地主
・資本家
・市民中間層

は、革命の勃発におびえることになります。

イタリアのファシズム② ─ ファシスト党の台頭

ラテラノ条約の全権代表たち

そんななかで登場したのがムッソリーニでした。

彼は「黒シャツ隊」とよばれる私兵のもとファシスト党を結成し、労働運動や農民運動を暴力で鎮圧していきます。

これにより、労働者や下層農民の革命におびえていた、地主・資本家、軍人・市民中間層の支持をとりつけ、ファシスト党は勢力を一気にのばしていきます。

また組織運営に長けたムッソリーニは、ローマで党員を集めるため、武力をちらつかせた宣伝活動(示威行為)をはじめます。

かれらはこの政治行動を「ローマ進軍」とよびました。

これにより国王は(なかば強制的に)ムッソリーニに組閣を指示し、ファシスト党の統治を認めます。

ここにムッソリーニ政権が誕生します。

外交

外交については、ムッソリーニは拡張路線をとり、まずは民衆からの不満の大きかったフィウメを併合します。

勢いにのったムッソリーニはアルバニアを保護国にし、その3年後にはラテラノ条約をむすびます。

条約締結により、敵対していたローマ教皇と和解し、国民の不安を解消することに成功します。

その後、教皇領を「ヴァチカン市国」として独立させ、教皇との関係を良好なものとします。

内政

内政にかんしては、一党独裁体制をしき、ファシスト党以外の政党を、すべて解散させます。

また言論・出版・集会の自由を制限し事実上の統制経済をおこないます。

さらにファシスト党の議決機関であったファシズム代表議会を、国家の最高議決機関とします。

ここに一党独裁体制が完成することになります。

なお、よくいわれるファシズムとは、

強い指導力や軍事力により、市民の自由や人権を弾圧したうえで、分裂した社会を統合する政治体制

をさします。

おわりに

イタリアのファシズムをみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・ファシスト党
・ローマ進軍
・ラテラノ条約
重要人物
・ムッソリーニ
ポイント
・ムッソリーニは「ローマ進軍」で政権を獲得し、イタリア国内にファシズム体制をしいた

この記事が、イタリアのファシズムを理解するさいのヒントになれば、うれしいです。

では、また。