東南アジアの民族運動 ─ 鎮圧・インドシナ共産党・独立準備政府・スカルノ・ホーチーミン【世界史】

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・東南アジアの民族運動について知りたい
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・インドシナ共産党
・独立準備政府
重要人物
・スカルノ
・ホー・チー・ミン
ポイント
・1920年代の東南アジアでは、コミンテルンの影響がつよくなり、1940年代は日本の侵攻をうけることになった

この記事では、つぎの本を参考にしました。

第一次大戦後、東南アジアでも民族運動が盛り上がります。

以下、

  • インドネシア
  • インドシナ
  • ビルマ
  • フィリピン
  • タイ

のようすをみていきましょう。

東南アジアの民族運動① ─ インドネシア

スカルノ

それまでインドネシアは、オランダ領でした。

そんななか、アジア地域で初となるインドネシア共産党が結成されます。

共産党のメンバーは、インド各地で武装蜂起を決行しますが、オランダ軍の弾圧に合い革命は失敗におわります。

その約7年後には、インドネシア国民党が結成されます。指導者をスカルノにおき、こちらもインドネシア各地で民族運動を展開します。

しかしまたしてもオランダ軍の弾圧に合い、運動はじょじょに下火になっていきます。

その約20年後には、日本軍の侵略にあいます。しかし民族運動をくりかえしていたスカルノは、この日本軍を利用し、オランダからの独立をはかろうとします。

その結果、インドネシア民衆のあいだでも独立の気運が高まり、第二次大戦後には、民族運動はもりあがりをみせることになります。

東南アジアの民族運動② ─ インドシナ

ホー=チー=ミン

インドシナはそれまでフランスの領土でした。

しかしフランスに留学し、フランス共産党に入っていたホー=チー=ミンが中国の広州でベトナム青年革命同志会を結成します。

さらに本国に近い香港に渡ると、継承組織であるインドシナ共産党を結成します。

しかしインドシナの共産化を恐れたフランスは、彼の動きをいち早くつかみ、弾圧に乗りだします。

いっぽうインドシナ国内でも、現地住民のあいだで孫文を支持する団体があらわれます。

かれらは孫文にならい、ベトナム国民党を結成します。しかしこちらもフランス軍の弾圧に合い、抵抗運動は失敗におわります。

その約20年後には、インドシナは日本軍の侵略に合います。

抵抗メンバーは、インドネシアのスカルノの同じく、日本の進行を好機ととらえて、民族運動の促進につなげようとします。

かれらはベトナム独立同盟を結成したうえで、独立運動の英雄ホー=チー=ミンを指導者におき、対仏・対日民族統一戦線をはります。

東南アジアの民族運動③ ─ ビルマ

反イギリス運動のメンバー

それまでビルマは、イギリスによるインド帝国の統治下にありました。

ほかの東南アジア諸国と同じく、抵抗運動がくりかえされていました。

そんななか、アウン=サンを指導者とするタキン党が結成されます。

かれらははっきりと「反イギリス」をかかげ、独立を要求します。

その甲斐あって、1935年のインド統治法でビルマは、インド帝国から分離されることが決まります。

さらにその約7年後には、ほかのアジア諸国と同じく日本軍の侵略が始まります。

当初はタキン党は日本軍に協力的でした。

しかし日本がドイツのナチスと手を結んだことで、議員のあいだから反ファシストの声があがります。

それにより反ファシスト人民自由連盟が結成され、かれらメンバーを軸を抗日運動が展開されていきます。

東南アジアの民族運動④ ─ フィリピン

第三次フィリピン共和国がアメリカ合衆国より独立

それまでフィリピンはアメリカの領土でした。

フィリピンでもまた民族運動が展開され、アメリカとのあいだでフィリピン独立法が制定されます。

これは

自治を認め、約10年後の独立を約束する

というものでした。

約束の内容をすすめるため、その翌年には独立準備政府が発足されます。

しかしフィリピンもまた、国際情勢のなかから日本軍の侵略に遭遇してしまいます。

ある程度の独立を維持していたフィリピンでは、日本軍への抵抗がすさまじく、フクバラハップによる抗日ゲリラ闘争にまで発展します。

東南アジアの民族運動⑤ ─ タイ

1855年から1916年までの「白象の旗」タイの国旗。

もともとタイは、東南アジア諸国の中で唯一、諸外国からの侵略をのがれ、独立を保っていました。

その中で、民衆のあいだから民主化の動きがもりあがり、タイ立憲革命がおこります。

これによりタイは王制から立憲君主制へ移行し、国の名まえをシャムから、いまのタイに変更します。

日本が侵略の際には、日本と同盟関係を結び、アメリカイギリスを始めとした連合軍に宣戦布告を行います。

しかし日本軍の横暴に期待を裏切られたタイ政府は、方針を切りかえ、対日の方向にかじを切ります。

おわりに

東南アジアの民族運動をみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・インドシナ共産党
・独立準備政府
重要人物
・スカルノ
・ホー・チー・ミン
ポイント
・1920年代の東南アジアでは、コミンテルンの影響がつよくなり、1940年代は日本の侵攻をうけることになった

この記事が、東南アジアの民族運動を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。

では、また。