どうも、りきぞうです。
大学のころから、世界史に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?
きょうは、この問いに答えていきます。
答えは、つぎのとおり。
・独立準備政府
・ホー・チー・ミン
この記事では、つぎの本を参考にしました。
第一次大戦後、東南アジアでも民族運動が盛り上がります。
以下、
- インドネシア
- インドシナ
- ビルマ
- フィリピン
- タイ
のようすをみていきましょう。
目次
東南アジアの民族運動① ─ インドネシア

それまでインドネシアは、オランダ領でした。
そんななか、アジア地域で初となるインドネシア共産党が結成されます。
共産党のメンバーは、インド各地で武装蜂起を決行しますが、オランダ軍の弾圧に合い革命は失敗におわります。
その約7年後には、インドネシア国民党が結成されます。指導者をスカルノにおき、こちらもインドネシア各地で民族運動を展開します。
しかしまたしてもオランダ軍の弾圧に合い、運動はじょじょに下火になっていきます。
その約20年後には、日本軍の侵略にあいます。しかし民族運動をくりかえしていたスカルノは、この日本軍を利用し、オランダからの独立をはかろうとします。
その結果、インドネシア民衆のあいだでも独立の気運が高まり、第二次大戦後には、民族運動はもりあがりをみせることになります。
東南アジアの民族運動② ─ インドシナ

インドシナはそれまでフランスの領土でした。
しかしフランスに留学し、フランス共産党に入っていたホー=チー=ミンが中国の広州でベトナム青年革命同志会を結成します。
さらに本国に近い香港に渡ると、継承組織であるインドシナ共産党を結成します。
しかしインドシナの共産化を恐れたフランスは、彼の動きをいち早くつかみ、弾圧に乗りだします。
いっぽうインドシナ国内でも、現地住民のあいだで孫文を支持する団体があらわれます。
かれらは孫文にならい、ベトナム国民党を結成します。しかしこちらもフランス軍の弾圧に合い、抵抗運動は失敗におわります。
その約20年後には、インドシナは日本軍の侵略に合います。
抵抗メンバーは、インドネシアのスカルノの同じく、日本の進行を好機ととらえて、民族運動の促進につなげようとします。
かれらはベトナム独立同盟を結成したうえで、独立運動の英雄ホー=チー=ミンを指導者におき、対仏・対日民族統一戦線をはります。
東南アジアの民族運動③ ─ ビルマ

それまでビルマは、イギリスによるインド帝国の統治下にありました。
ほかの東南アジア諸国と同じく、抵抗運動がくりかえされていました。
そんななか、アウン=サンを指導者とするタキン党が結成されます。
かれらははっきりと「反イギリス」をかかげ、独立を要求します。
その甲斐あって、1935年のインド統治法でビルマは、インド帝国から分離されることが決まります。
さらにその約7年後には、ほかのアジア諸国と同じく日本軍の侵略が始まります。
当初はタキン党は日本軍に協力的でした。
しかし日本がドイツのナチスと手を結んだことで、議員のあいだから反ファシストの声があがります。
それにより反ファシスト人民自由連盟が結成され、かれらメンバーを軸を抗日運動が展開されていきます。
東南アジアの民族運動④ ─ フィリピン

それまでフィリピンはアメリカの領土でした。
フィリピンでもまた民族運動が展開され、アメリカとのあいだでフィリピン独立法が制定されます。
これは
というものでした。
約束の内容をすすめるため、その翌年には独立準備政府が発足されます。
しかしフィリピンもまた、国際情勢のなかから日本軍の侵略に遭遇してしまいます。
ある程度の独立を維持していたフィリピンでは、日本軍への抵抗がすさまじく、フクバラハップによる抗日ゲリラ闘争にまで発展します。
東南アジアの民族運動⑤ ─ タイ

もともとタイは、東南アジア諸国の中で唯一、諸外国からの侵略をのがれ、独立を保っていました。
その中で、民衆のあいだから民主化の動きがもりあがり、タイ立憲革命がおこります。
これによりタイは王制から立憲君主制へ移行し、国の名まえをシャムから、いまのタイに変更します。
日本が侵略の際には、日本と同盟関係を結び、アメリカイギリスを始めとした連合軍に宣戦布告を行います。
しかし日本軍の横暴に期待を裏切られたタイ政府は、方針を切りかえ、対日の方向にかじを切ります。
おわりに
東南アジアの民族運動をみてきました。
まとめると、こんなかんじです。
・独立準備政府
・ホー・チー・ミン
この記事が、東南アジアの民族運動を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。
では、また。




