ロシア革命とソ連成立 ─ レーニン・影響・二月革命・十月革命・ボリシェヴィキ・戦時共産主義・新経済政策【簡単に解説】

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・ロシア革命とソ連成立について知りたい
・大事なキーワードは?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・二月革命
・四月テーゼ
・十月革命
・平和に関する布告
・ボリシェヴィキ
・ブレスト=リトフスク条約
・対ソ干渉戦争
・赤軍
・戦時共産主義
・コミンテルン
・新経済政策(ネップ)
重要人物
・レーニン
・ケレンスキー
・トロツキー
ポイント
・二月革命でロマノフ朝は滅亡し、十月革命でボリシェヴィキによる一党支配が始まった
・ロシア革命後、戦時共産主義をとった政府は、対ソ干渉戦争で勝利し、新経済政策で資本主義のしくみを一部とりいれた

この記事では、つぎの本を参考にしました。

ロシア革命とソ連成立① ─ 二月革命

二月革命

ロシアでは、第一次世界大戦の長期化により、都市部を中心に食料や物資が不足します。

その影響を受けて、ペトログラード(ペテルブルグ)では毎日のように労働ストがおこなわれます。

当初は労働者階級だけの運動でしたが、そこにロシア兵士が加わります。

ここにソビエトが結成されます。

皇帝ニコライは退位し、約300年つづいたロマノフ朝は滅亡しました。

これら一連のできごとを「二月革命」とよびます。

ロシア革命とソ連成立② ─ 平和に関する布告

演説するレーニン

革命が成功したことで、主導者たちは内政の整備に取りかかります。

しかしそのさい、かれらメンバーは、

・臨時政府派
・ソヴィエト派

にグループが分かれました。

臨時政府の人たちは自由主義者で、ブルジョワを中心とした立憲民主政をとるべきと主張しました。

いっぽうソヴィエト派は、社会革命党を結成し、メンシェヴィキを中心に政治をおこなうべきと考えました。

これにより、革命後のロシアでは二重権力の状態がつづいていきます。

そんななか、革命主導者のレーニンが帰国し「四月テーゼ」とよばれる政治方針を発表します。

彼は戦争停止を主張し、いまの臨時政府を批判します。その結果、レーニンひきいるボリシェヴィキ(=左派系の社会民主党)が勢力を拡大していきます。

レーニンの台頭に危機感をいだいた臨時政府は、敵対していたはずのソヴィエトと協力し、ボリシェヴィキに対抗のかまえをみせます。そのさい、レーニンの戦争停止に反対し、戦争継続をうったえます。

しかし急速に支持者をあつめるボリシェヴィキは、臨時政府&ソヴィエトの圧力をはねのけます。

レーニンやトロツキーが中心となって、ペトログラードでボリシェヴィキの武装蜂起が決行されます。

これにより臨時政府は倒され、レーニンたちは全ロシア=ソヴィエト会議でソヴィエト政権の成立を宣言します。

世界初の社会主義政権をかかげたうえで

・平和にかんする布告
・土地にかんする布告

をおこないました。

平和にかんする布告は、

・即時停戦
・無併合、無償金、民族自決

の原則を提唱するものでした。

いっぽう土地にかんする布告は、地主所有地の没収を約束するものでした。

ロシア革命とソ連成立③ ─ ボリシェヴィキの一党支配

ボリシェヴィキのメンバー

ソヴィエト政権成立後、当初の約束どおり、国民選挙である憲法制定議会選挙がおこなわれます。

しかし予想に反して、社会革命党が第一党となり、レーニンひきいるボリシェヴィキは敗北をきっします。

当然ながら社会民主党は自分たちの政策をおしすすめ、ボリシェヴィキの政治提案をどれもはねつけます。

これに憤慨したレーニンたちは、武力行使を実行し、そのまま議会を解散させてしまいます。

そのままボリシェヴィキの一党支配の成立を宣言し、社会主義の建設をなかば強制的にすすめていきます。

これにより、事実上ボリシェヴィキの独裁体制がしかれることになります。

武力でもって政権を獲得したレーニンたちは、ブレスト=リトフスク条約をむすんだうえで、ドイツとの講和をはかります。

そのさいロシアが保有していた、フィンランドをはじめ、

・バルト地域
・ポーランド
・ウクライナ

の一部を放棄します。

いっぽう内政では、ボリシェヴィキを「共産党」と改称したうえで、首都をペトログラードからモスクワへと移します。

ロシア革命とソ連成立④ ─ 対ソ干渉戦争

対ソ干渉戦争における連合軍

政権獲得を果たした共産党(ボリシェヴィキ)ですが、国内/国外ともに、さまざまな課題がありました。

内政では、革命の最中に土地を得た農民たちが都市部への穀物供給をこばみます。

これがきっかけとなって、全国各地で反革命政権が結成され、共産党政権はその鎮圧に追われることになります。

また外交にかんしては、社会主義政権が誕生したことへの脅威から、諸外国から圧力が日に日に高まっていきます。

ついには、対ソ干渉戦争にまで発展し、

・イギリス
・フランス
・アメリカ
・日本

の連合軍がソヴィエトへの遠征をはじめます。

また日本は、その場所がら、シベリアへの出兵を開始します。

ロシア革命とソ連成立⑤ ─ 戦時共産主義

戦時共産主義での聖職者

国内/国外からの反抗に、ソヴィエトは対策を講じることになります。

主なところだと、つぎの3点です。

・赤軍の増強
・戦時共産主義の実施
・コミンテルンの設立

まずトロツキー指導のもと、赤軍兵士の人数を増やしたうえで、国の防衛力を強化していきます。

さらに「チャカ」とよばれる非常委員会を組織して、国内の反革命運動を徹底して取り締まっていきます。

つづいて、戦時共産主義体制をしき、

・工業の国有化
・私企業による経済活動の禁止
・穀物の強制徴収
・食料の配給
・労働の義務化

など、かなり強引なかたちで富国強兵策をおこなっていきます。

また、外交にかんしては国内にコミンテルン(共産主義インターナショナル)を設置し、国際社会にむけて、世界革命(万国の社会主義化)の実現をうったえていきます。

世界の各地域に社会主義団体ができることで、すこしでも帝政 or 民主主義体制をとる国家からの軍事圧力をおさえようとしました。

以上5つの対策から、内戦と干渉戦争にたいしては、ソヴィエト政権は勝利を果たします。

ロシア革命とソ連成立⑥ ─ 新経済政策

「ネップ」のポスター

しかし強権的な富国強兵策を実施したことで、国内の経済はボロボロになります。

そこで実施されたのが「ネップ」とよばれる新経済対策でした。

これは(社会主義が否定していたはずの)資本主義の要素を一部だけとりいれる政策です。

政策実施により、

・私的企業の活動
・余剰穀物の販売

が認められます。

その結果、国内の経済はじょじょに回復していきました。

その間、

・ロシア
・ウクライナ
・ベラルーシ
・ザカフカース

がソヴィエト共和国の参加が決定されます。

ここにソヴィエト社会主義共和国(通称 ソ連)が正式に成立します。

同じ年にラパロ条約がむすばれ、ドイツがソビエト=ロシアを承認します。

以後、

・イギリス
・イタリア
・フランス
・日本
・アメリカ

の順で、ソ連の承認がなされていきます。

おわりに

ロシア革命とソ連成立をみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・二月革命
・四月テーゼ
・十月革命
・平和に関する布告
・ボリシェヴィキ
・ブレスト=リトフスク条約
・対ソ干渉戦争
・赤軍
・戦時共産主義
・コミンテルン
・新経済政策(ネップ)
重要人物
・レーニン
・ケレンスキー
・トロツキー
ポイント
・二月革命でロマノフ朝は滅亡し、十月革命でボリシェヴィキによる一党支配が始まった
・ロシア革命後、戦時共産主義をとった政府は、対ソ干渉戦争で勝利し、新経済政策で資本主義のしくみを一部とりいれた

この記事が、ロシア革命とソ連成立を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。

では、また。