【世界史】現代の歴史 まとめ

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・現代の歴史を、ざっくり知りたい
・大事なキーワードは?
・重要な人物は、だれ?

きょうは、この問いに答えていきます。

先に結論をいえば、つぎのとおり。

りきぞう

・現代の歴史は、[ EU(欧州連合)の成立 → 中東パレスチナ問題 → インド/パキスタンの対立 → 中国の動向]の流れでおさえると、すっきり理解できる
・大事なキーワードは、「マーストリヒト条約」「中東戦争」「カシミール地方」「中華人民共和国/台湾の対立」など
・重要な人物は、「ガンディー」「毛沢東」「鄧小平」など

ポイントは、つぎのとおり。

  1. ① EU(欧州連合)の成立
  2. ② 中東パレスチナ問題
  3. ③ インド/パキスタンの対立
  4. ④ 中国の動向

….

この記事では、つぎの本を参考にしました。

以下、目次にそって、みていきます。

現代の歴史① ─ EU(欧州連合)の設立

第二次大戦後、アメリカと連携していた西ヨーロッパ諸国 ─ 。

冷戦体制が崩れると、統合の動きを加速させます。

もともと、西ドイツ&フランスが中心となって、ヨーロッパ独自の経済圏をつくっていました。

はじめは、産業ごとに経済統合がすすみ、じょじょに規模が大きくなっていきました。

大まかな、組織統合の流れは、こんなかんじ。

・ECSC(ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体)

・EEC(ヨーロッパ経済共同体)

・EURATOM(ヨーロッパ原子力共同体)

さらに、すべての組織を統合し、EC(ヨーロッパ共同体)を結成することになります。

「マーストリヒト条約」による「EU」発足

最終的には、「マーストリヒト条約」を締結して、EU(欧州連合)の発足。

西ヨーロッパ諸国だけでなく、東ヨーロッパの国々も、EUに参加することになります。

その後、統一通貨「ユーロ」の導入され、貿易における関税も撤廃 ─ 。

アメリカと肩をならべる〝巨大経済圏〟をつくりあげます。

こんなふうに、ヨーロッパ諸国を中心に、アメリカ&ソ連の影響力が低下します。

結果、名実ともに「冷戦体制」は終わりをむかえます。

現代の歴史② ─ 中東パレスチナ問題

中東問題のきっかけは、第一次大戦に、さかのぼります。

軍事協力をしてほしいイギリスが、ユダヤ人&アラブ人の両方に、パレスチナに建国を認可・約束したことで、問題がこじれていきました。

そのあと、アメリカの介入により、さらに問題はフクザツ化し、つねに争いが起きるようになります。

それはいまも解決しないまま、つづいています。

年代としては、1950年〜現在にかけてです。

ポイントは、つぎのとおり。

  • イギリスの二枚舌外交
  • 「イスラエル」の建国
  • 第一次中東戦争
  • 第二次中東戦争
  • 第三次中東戦争
  • 第四次中東戦争

それぞれ、みていきます。

イギリスの「二枚舌外交」

中東問題のきっかけは、イギリスの外交戦略にあります。

第一次大戦中、いまのパレスチナ地域は、トルコの「オスマン帝国」が統治していました。

戦争協力と引きかえに、イギリスは、パレスチナからオスマン帝国を追い出し、聖地「イェルサレム」に、新たな国の建設を約束します。

問題は、この認可・約束を、

・ユダヤ教徒(=ユダヤ人)
・イスラム教徒(=アラブ人)

の両方と交わしたこと。

「二枚舌外交」です。

中世から対立関係にあった、ユダヤ教とイスラム教 ─ 。

第一次大戦が終結したあとも、聖地「イェルサレム」の建国をめぐり、争いがつづくことになります。

中東戦争の勃発

第二次大戦後、パレスチナの統治権をめぐり、ユダヤ教徒/イスラム教徒の対立が、激しくなります。

そこで、国際連合が仲介に乗りだし、仲介案「パレスチナ分割案」を提示します。

内容は、

ユダヤ人に「60%の領土」を与える

というもの。

当時の人口比率は、ユダヤ人が「1/3」 、アラブ人が「2/3」でした。

人口の数は、アラブ人のほうが多いのに、領土の面積は、ユダヤ人の多いかたちです。

なぜ国連から、〝ユダヤ人有利〟の案が出されたのか。

背後に、アメリカの存在がありました。

経済の面で、ユダヤ人(白人)の影響力が強いアメリカ ─ 。

すこしでもユダヤ人がトクするように、国連に働きかけたわけです。

結果、分割案にそって、ユダヤ人は「イスラエル」の建国を果たします。

第一次中東戦争

当然、アラブ人からすれば、不公平な分割案を認めることはできません。

不満・反発が、一気に高まります。

すぐさま、建国したばかりの「イスラエル」にたいして、武力攻撃をしかけ、戦争をおこします。

ここから、継続的に、中東戦争がスタートします。

とはいえ、アメリカから強力な軍事支援をうけるイスラエルに、アラブ人諸国は、敗北をきっします。

結果、アラブ人たちは、分割案よりも、少ない面積の土地しか受け取れないことに。

それにより、住居をうばわれた「100万人のアラブ人」が、難民状態に陥ります。

第二次中東戦争

たくさんのアラブ人が、まわりの国へ流入するなか、今度は、イスラエルを巻きこんだ戦争が、アラブ人の国「エジプト」でおこります。

発端は、エジプト首相「ナセル」が、イギリスが保有する「スエズ運河」の国有化を宣言したことでした。

反対したイギリスは、フランスとともに、イスラエルに軍事支援を要請 ─ 。

イギリス・フランス・イスラエルが協力し、エジプトにたいして戦争をおこします。

この争いを「第二次中東戦争」とよびます。

戦況は「イギリス優位」でしたが、利益獲得のために、イスラエルを戦争に巻き込んだことが、国際的に非難されることに。

結果、イギリスは「スエズ運河」を手放すことになり、エジプト側の勝利となります。

出典:『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書』

第三次中東戦争

つづいて、ふたたび、パレスチナ地域を舞台に争いがおこります。

なんとか、聖地「イェルサレム」を取りもどしたい、イスラム教徒のアラブ人は、

・パレスチナの奪還
・難民の帰還

を目的に、パレスチナ解放機構(PLO)を設立 ─ 。

再度、イスラエルにたいして戦争をおこします。

対抗措置に出たイスラエルは、

・エジプト
・シリア
・ヨルダン

を攻撃。

さらに、パレスチナの全領土&シナイ半島を占領します。

戦争は、1週間も経たずに、終結しました。

敗北により、パレスチナすべてを失ったアラブ人は、さらに、難民を増やす結果になります。

出典:『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書』

第四次中東戦争

それでも、パレスチナを奪還したいアラブ人は、みたび戦争をしかけます。

武力衝突では勝てないと踏んだ、アラブ諸国は、「アラブ石油輸出機構(OAPEC)」を設立し、

イスラエル側を支援する国々にたいして、石油の輸出を制限する

という策に出ます。

つまり、相手方の〝エネルギー供給〟を断ち、軍事攻撃をさせない作戦です。

「石油資源」をタテにして、領土回復の交渉にのぞみます。

当時、アメリカ国内では、石油利権にカラむ企業がたくさんありました。

世論のあと押しもあり、アメリカ政府は仲介に入り、アラブ側と話し合いをおこなうことに。

結果、

・ガザ地区(シナイ半島)
・ヨルダン川西岸地区

の譲渡をみとめ、アラブ諸国は、2つの地域を手にいれます。

出典:『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書』

その後、80年代に入り、和平交渉がおこなわれ、「平和条約」がいくつか結ばれます。

しかし、いまでも問題は解決せず、宗教対立にもとづく「テロ」が頻発しています。

さいきんでも、トランプ大統領が、イスラエルが有利になるよう働きかけるなど、混迷は深まっています。

現代の歴史③ ─ インド/パキスタンの対立

大戦後、インドは、イギリスの植民地から独立を果たします。

けれど今度は、インド国内で、「ヒンドゥー教徒 vs イスラム教徒」の対立が、激しくなります。

インド地域から、ヒンドゥー教徒の「パキスタン」が独立 ─ 。

それ以降、インド連邦とパキスタンの対立は激化します。

この争いは、いまだに解消していません。

さらに、両国ともに「核保有国」なので、戦争は、世界全体からみても、大きなリスクになっています。

年代としては、1950年〜現在にかけてです。

以下、

  • インド連邦/パキスタンの分離
  • ガンディーの暗殺
  • 「カシミール地方」をめぐる争い
  • 「バングラデシュ」の独立

のポイントにそって、みていきます。

インド連邦/パキスタンの分離

ほかの植民地と同じように、第二次大戦後、インド地域もまた、イギリスの植民地から独立していきます。

しかし、独立前に、領主のイギリスが、ヒンドゥー教徒&イスラム教徒の多い地区に、それぞれ支援をおこなっていました。

イギリスからすれば、おたがいにたいして軍事支援することで、わざと対立を引きおこす作戦でした。

インド全体が独立したあとも、両地域の対立がつづいていきます。

うえでのべたとおり、ヒンドゥー教徒・イスラム教徒が多い地区は、それぞれつぎの国家を建設します。

・ヒンドゥー教徒 → インド連邦
・イスラム教徒 → パキスタン

フクザツなのが、インド連邦をまたがるように、東西に「パキスタン」が独立した点。

地理上、ヒンドゥー教徒のインドは、対立する国に、挟まれることになります。

ガンディーの暗殺

ヒンドゥー教徒/イスラム教徒の対立は、日増しに高まっていきます。

そのなか、インド独立に貢献したカンディーは、宗教融和をはかろうとします。

インド各地で、運動を展開し、ヒンドゥー教徒&イスラム教徒に「手を取ろう」とよびかけます。

しかし、かれの努力は実らず、同じヒンドゥー教徒から暗殺されてしまいました。

かれの死をきっかけに、インドパキスタンの対立は、より激しくなっていきます。

「カシミール地方」をめぐる争い

なかでも深刻だったのが、「カシミール地方」です。

ちょうど、インド連邦/パキスタンの国境付近にあたります。

いまでも、どちらの領土に属するのか、決まっていません。

領土権をめぐって、緊張状態に陥っています。

両国ともに「核保有国」です。2国間の争いとはいえ、世界全体からみたときに、全人類に被害を与えかねません。いまだに解決の道すじが見えないため、世界各国が、注視している状態です。

「バングラデシュ」の独立

もうひとつの懸念点が、インドにまたがる「東西パキスタン」が、対立していること。

もともと、ヒンドゥー教徒の国家として、おたがいにイギリスから独立しました。

しかし、両地域の経済格差が広がり、それをきっかけに争うようになります。

結果、東のパキスタン地域が独立 ─ 。「バングラデシュ」として建国を果たします。

「インド統一」は遠のき、3ヶ国が争っている状態です。

現代の歴史④ ─ 中国の動向

大戦中、中国地域では、共通の敵である「日本」を倒すため、「国民党」と「共産党」が協力関係をむすんでいました。

けれど戦後、敗れた日本が中国から徹底すると、ふたたび争い、内戦状態になります。

結果、戦いに敗れた「国民党」は、中国本土を脱出し、台湾島へ逃れることになります。

これがいまの「台湾」です。

そして、本土に残った「共産党」が、いまの「中華人民共和国」となります。

中国本土から、国民党が離れたあとは、ひとまず内戦はおさまります。

しかし、共産党による計画経済政策によって、民衆は反発 ─ 。

それを鎮圧するため、虐殺にちかい弾圧がおこなわれます。

いっぽう、政治は「一党独裁体制」ですすんでいきますが、市場は開放され、自由競争が導入されます。

これがいまの中国経済の発展につながっています。

年代としては、1950年〜現在にかけてです。

ポイントは、つぎのとおり。

  • 中華人民共和国の成立
  • 台湾(中華民国)の成立
  • 毛沢東による「五カ年計画」
  • 文化大革命
  • 鄧小平による「改革開放」
  • 天安門事件

それぞれ、みていきます。

中華人民共和国の成立

第二次大戦中、進出してきた日本を排除するため、それまで争っていた「国民党」「共産党」は、手をむすびます。

しかし、大戦後、共通の敵である日本がいなくなると、両者はふたたび争いを始めます。

その過程で、共産党は、(現在の)「中華人民共和国」を成立させます。

主導者は、

主席「毛沢東(もうたくとう)」
首相「周恩来(しゅうおんらい)」

の2人です。

台湾(中華民国)の成立

内戦では、共産党の「中華人民共和国」が国民党に打ち勝ちます。

敗れた国民党は、中国本土から抜け出し、台湾島へ渡ります。

そこで、共産党とは距離をおくカタチで、国民党政権(=中華民国)を存続させます。

これがいまの「台湾」です。

背景をみれば分かるとおり、国民党は残ったままです。

そのため、共産党の「中華人民共和国」も、国民党の「中華民国(台湾)」も、

自国こそが、正統な中国政府

であると、主張しています。

戦争は起きていませんが、正統性をめぐって対立がつづいています。

中華人民共和国は、いまでも台湾にたいして「ひとつの中国」であることを、くりかえし訴えています。

毛沢東による「五カ年計画」

戦後、共産党である中国は、ソ連と「中ソ友好同盟相互援助条約」をむすび、社会主義陣営につくことになります。

国内にたいしては、計画経済をおしすすめていきます。

具体的には、地主&資本家の資産をすべて、共産党政府が没収 ─ 。

そして、とりあげた資産を、貧しい農民&労働者に、平等に振り分けていきます。

さらに、農業の発展、重工業産業の強化のため、

・五カ年計画
・大躍進政策

などの改革を実行していきます。

しかし、農業生産量は向上しません。

むしろ、数値目標の〝帳尻を合わせる〟ため、共産党幹部が、農民からムリヤリ作物を取りあげることに。

結果、地方では、餓死する人たちが急増します。

いっぽう、重工業産業でも、ムリに生産量を増やしため、たくさんの〝不良品〟が市場に出回ります。

このように、経済は豊かにならず、民衆の暮らしは苦しくなっていきます。

文化大革命の失敗

計画経済の失敗により、さまざま地域で、主席である「毛沢東」への不満は高まっていきます。

民衆の暴発・暴走をおそれた毛沢東は、「プロレタリア・文化大革命」を実施します。

学生メンバーから成る「紅衛兵(こうえいへい)」を結成し、「反・毛沢東」運動にかかわる人たちを、いっせいに排除します。

文化大革命によって、自殺・殺害された人数は、「数百人規模」といわれています。

鄧小平による「改革開放」

毛沢東が亡くなると、つぎに「鄧小平(とうしょうへい)」が国家主席に就きます。

毛沢東による「計画経済」「文化大革命」から一転して、「市場経済」「自由競争」を導入します。

この政策を、「改革開放」とよびます。

市場メカニズムが働くことで、国外から資本が流入し、中国経済は、うまくまわっていきます。

これをきっかけに、中国は、いまのように、急激に発展していきます。

天安門事件

いっぽうで、政治のしくみは、共産党による「一党独裁」のままでした。

そこで、学生・知識人を中心に、民主化運動がおこります。

しかし、共産党に支配をつづけたい中国政府は、改革運動をおさえつけます。

北京の天安門広場に集まった、民衆にむけて、武力による弾圧をおこないます。

結果、民主化の動きはおさまり、いまでも共産党による一党支配がつづいています。

まとめ

まとめると、

りきぞう

・現代の歴史は、[ EU(欧州連合)の成立 → 中東パレスチナ問題 → インド/パキスタンの対立 → 中国の動向]の流れでおさえると、すっきり理解できる
・大事なキーワードは、「マーストリヒト条約」「中東戦争」「カシミール地方」「中華人民共和国/台湾の対立」など
・重要な人物は、「ガンディー」「毛沢東」「鄧小平」など

といったかんじ。

この記事が、「現代の歴史を知りたい人」の参考になれば、うれしいです。

ではまた〜。