どうも、りきぞうです。
大学のころから、世界史に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?
きょうは、この問いに答えていきます。
答えは、つぎのとおり。
・ポズナニ暴動
・ハンガリー事件
・ベルリンの壁
・プラハの春
この記事では、つぎの本を参考にしました。
以下、
- 大戦直後
- 1950年代
- 1960年代
- 冷戦体制崩壊後
に沿って、戦後の東ヨーロッパ諸国についてみていきましょう。
目次
戦後の東欧諸国① ─ 大戦直後
ソ連によるナチス=ドイツからの解放により、東ヨーロッパ諸国では人民民主主義政権がつぎつぎ成立しました。
具体的には、
・東ドイツ
・ハンガリー
・ルーマニア
・ブルガリア
・ユーゴスラビア
・アルバニア
です。
またチェコスロバキアではクーデターがおこり、ベネシュ大統領が辞任したのち、同じく人民民主主義政権が成立します。
ただし「人民民主主義」といっても、共産党を中心とした〝民主政権〟で、その実態は共産党幹部による独裁体制でした。
各国の共産党を支配していたのがソ連で、ときの大統領スターリンのよびかけでコメコンが結成されます。
コメコンとは対資本主義陣営を目的とした軍事同盟で、ソ連を中心に東ヨーロッパの6カ国が参加しました。
いわば社会主義圏内の分業体制であり、これにより東ヨーロッパの国々は、(ソ連に頼らない)経済面での自立がほぼ不可能になりました。
戦後の東欧諸国② ─ 1950年代
大戦終結から15年ほど経って、スターリンが亡くなります。
するとソ連共産党の幹部から彼の政策にたいする批判が噴出します。同じく、東ヨーロッパ諸国でも反スターリン&反ソ連の動きが出てきます。
なかでも抵抗運動がもりあがったのが、
・ハンガリー
・東ドイツ
・アルバニア
でした。
ポーランドでは、生活改善と政治的自由をもとめるポズナニ暴動がおこります。
しかし共産党第一書記のゴムウカ政権の弾圧に合い、運動は鎮圧されます。
同じくハンガリーでも政治的自由と社会主義体制&ワルシャワ条約機構からの脱退をもとめる暴動がおこります(ハンガリー事件)。
けれどこちらも、社会主義体制からの離脱を恐れたソ連軍の弾圧に合い、民主化運動に参加していた首相ナジ=イレムが失脚し、処刑されます。
東ドイツでも抵抗運動がもりあがり、さらにベルリンでは西側諸国へ亡命する人たちが急増します。人民流出に危機感をおぼえたソ連は、ベルリン市内に壁を建設し、人びとの逃亡を抑えこもうとします。このとき建てられた壁が、有名な「ベルリンの壁」です。
また中央アジア寄りのアルバニアでは、中国を支持することでソ連との国交を断絶します。
戦後の東欧諸国③ ─ 1960年代
60年代後半になると、社会主義体制にかげりがみえはじめ、東欧諸国でのソ連にたいする抵抗がよりいっそう高まっていきます。
ここでも激しい運動を展開したのが、ソ連の隣国に位置する、
・ルーマニア
・ポーランド
でした。
チェコスロバキアでは、ときのトップであるドプチェク第一書記が自由化&民主化をもとめ、ソ連にたいして反旗をひるがえします(プラハの春)。
彼は「人間の顔をした社会主義」をとなえ、ソ連体制からの脱却をはかろうとします。
しかしこちらもソ連と東欧諸国からなるワルシャワ条約機構軍の弾圧に合い、多数の被害者を出します(チェコ事件)。
ルーマニアでは、もともと石油資源に恵まれていたので、社会主義の経済協力機関でであるコメコンに以前から不満をもっていました。
そこでチャウシェスク政権は、ソ連と経済交渉にのぞみ、ほかの国々とも経済協定を単独で結んでいくことになります。
ポーランドでは自主管理労働組織である「連帯」が結成され、ソ連への反抗を強めていきます。
戦後の東欧諸国④ ─ 冷戦崩壊前後
冷戦体制が崩壊する頃になると、独立の動きは一気に高まっていきます。
いわゆる「東欧革命」がおこり、その直接のきっかけとなったのが、ソ連による
・グラスノスチ(改革)
・ペレストロイカ(情報公開&言論の自由)
でした。
ハンガリーでは、複数政党制がとられ、社会主義体制が否定されます。
ポーランドでは、さきにあげた「連帯」が政権を獲得し、民主派のワレサ大統領が就任します。
チェコスロバキアでは、いわゆる「ビロード革命」により共産党政権が崩壊します。
東ドイツでは、ホネカー書記長が辞任に追いこまれ、冷戦の象徴だったベルリンの壁が崩壊します。それにより東西ドイツの統一が実現します。
ルーマニアでは、社会主義体制のもと独裁をしいてきたチャウシェスク大統領夫妻が銃殺され、民主政へと移行します。
これらの動きにより、コメコン&ワルシャワ条約機構は解体し、ついには東欧の社会主義圏は完全に消滅することになります。
いっぽうユーゴスラビアは、社会主義が崩壊し、指導者だったティトーが亡くなったあと、民族対立が激しくなります。
それにより、
・スロベニア
・マケドニア
の3カ国が独立します。
さらにボスニア=ヘルツェゴビナも独立を宣言しますが、こちらは軍閥争いと宗教対立から内戦に発展します。
その結果、多数の難民が発生し、さいごは国際社会の調停により、セルビア人共和国とムスリム・クロアチア人連合による連邦国家が成立します。
また同じユーゴスラビア圏内ではセルビア=モンテネグロが独立を宣言しますが、こちらも住民同士の争いがおこり、内戦にまで発展します。
いわゆる「コソヴォ問題」で、アルバニア系住民の自治権要求にたいして、ときのミラシェヴィチ政権が軍事弾圧をくわえます。
それにたいして非人道的なふるまいを理由に、NATO 軍がセルビアへの空爆をはじめます。これによりミラシェヴィチ政権は退陣を余儀なくされ、国際刑事事件としてあつかわれることになります。
おわりに
戦後の東欧諸国をみてきました。
まとめると、こんなかんじです。
・ポズナニ暴動
・ハンガリー事件
・ベルリンの壁
・プラハの春
この記事が、戦後の東欧諸国を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。
では、また。