【書評】岩村忍『世界の歴史 5 ─ 西域とイスラム』(中公・旧版)感想&レビューです。

どうも、りきぞう(@rikizoamaya)です。

大学院では、キャリア論と社会保障を研究していました。

社会人なってからは、予備校講師 → ウェブディレクター → ライターと、いろんな職業にたずさわってきました。

働き方についても、契約社員 → 正社員 → フリーランスと、ひと通り経験してきました。

働くなかで思うのは、自分の市場価値をアップするには「教養」が大切だということ。

「できるなぁ」
「発想がすごいなぁ」

と、思う人は、キホン、教養を身につけています。

なかでも、重要なのは「世界史」です。

ここ数年、ビジネスマンの基礎知識として「世界史」が注目をあつめています。

ネット時代をむかえ、グローバル化が加速しているからです。

外国との交流が増えたことで、日本だけではなく、地球全体の歴史を知る必要が出てきました。

とはいえ、世界史は範囲も広く、どこから手をつければ良いか、わからないですよね。

分量も多くて、なんだかムズかしそう。。

そこでおすすめしたいのが、大手出版社から出ている「シリーズ本」を読むこと。

なかでも、こちらのシリーズは、さいしょに手にとってほしいです。

中央公論社が出した「世界の歴史」シリーズで「旧版」にあたるものです。

中公は、2000年代に、あらたに「世界の歴史」シリーズを刊行しました。

こちらを「新版」とよび、以前のシリーズは「旧版」といわれます。

じつは〝読みやすさ〟でいえば、「旧版」のほうがすぐれています。

「新版」のほうは、どちらかといえば「研究者」「玄人」むけ。

世界史の流れを理解・把握するには適していません。

すでに絶版なのが難点ですが、古本屋 or ネット通販をつかってゲットしてほしいと思います。

そこできょうは、第5巻にあたる

を紹介したいと思います。

「5」では、[中央アジア〜中東]エリアについて、あつかいます。

年代は、古代〜近代初期までです。

岩村忍『西域とイスラム』(中公・旧版)(中公・旧版)の概要

まずは目次から。

こんなかんじです。(※ こちらの都合で、番号をふりました。)

1 西域と東洋・西洋
2 流砂にうもれた都市
3 絹の道
4 草原の革命
5 草原とオアシスの争い
6 ユーラシア草原の動き
7 コーランと剣
8 遊牧民の黄金時代
9 最後の光輝
10 遊牧民の落日
11 変貌する草原とオアシス

2〜6で、遊牧民の歴史。

7で、イスラムのカンタンな歴史。

8〜11で、ふたたび遊牧民をとりあげ、モンゴル帝国を中心にみていきます。

イスラム&モンゴル帝国をいっしょにとりあげています。

個人的に、すこし〝つめこみすぎ〟かなぁ、と思います。

とはいえ、アジア文明の多様性を示すため、いっしょにみせたとも感じました。

とかく、西洋文明にたいして「アジア文明」は、ひとくくりにされるからです。

〔……〕ひと口に東洋=アジア文明といっても、それはけっして西洋文明という概念に対立する概念ではない。西洋文明に対立する概念は、むしろ、メソポタミア文明・イラン文明・インド文明・中国文明の一つ一つでなければならない。言いかえれば、これらのアジア文明は、そのおのおのが、異質な文明として関係しているといえる。(p.015)

もちろん、たんなる字数のカンケーかもしれませんが(笑)

内容については、政治・経済・文化 ─ ジャンルをバランスよくあつかっています。

文体もカンケツで、読みやすい。

とくに、遊牧民の歴史を知るには、おすすめです。

岩村忍『西域とイスラム』(中公・旧版)の詳細

以下、気になったトコを、カンタンにのべていきます。

ポイントは、つぎのとおり。

・結束がつよい遊牧民
・遊牧生活の成り立ち
・遊牧民の戦闘スタイル
・遊牧民と漢民族のカンケー
・西洋と遊牧民
・カリフとは?

かるくふれていきます。

結束がつよい遊牧民

遊牧民の生活は、「移動」を前提とします。

そのため、

・他民族との衝突
・オアシスをめぐる争い

は、フツーです。

裏切り・闘争・強奪は、ひんぱんにおこります。

そのため、集団の結束は、強固です。

グループのなかで、つよい信頼関係がないと、かこくな草原地域では、やっていけないわけです。

遊牧生活の成り立ち

草原エリアには、オアシスが点在します。

遊牧民は、そのあいだを移動しながら生活します。

じつは移動ができるようになったのは、「騎馬」が発明されてからです。

それまでは徒歩で移り住むことになりますが、距離に限界があります。

「騎馬」によって、長距離の移動ができ、ユーラシア大陸をまたにかけた生活が可能になりました。

〔……〕遊牧という生活様式は、中央アジアで、西暦前数千年の時代に発生し、それが前一千年後にいたって騎馬を発明し、その結果として、大規模遊牧が可能になり、東西に発展していったということが明らかになる。(p.93)

「騎馬」は起源は、ハッキリしません。おそらく、中央アジアで生まれ、東方へ伝わった、と考えられます。

中国エリアでは、遊牧民「匈奴」が猛威をふるいました。

けれど、そのまえに「スキタイ人」など遊牧民が、中東の帝国 or ギリシャの都市国家に進出・侵攻しています。

なので、さきに[中東北部〜中央アジア]で、騎馬文化がうまれ、じょじょに[チベット → 中国北部]へと伝わった、と推測されます。

遊牧民の戦闘スタイル

移動しつつ、戦いにあけくれた遊牧民 ─ 。

戦闘スタイルも、定住をキホンとする国家(=オアシス国家)とは、異なったものでした。

たとえば、スキタイ人 vs アケメネス朝ペルシャの対立。

オアシス国家のアケメネス朝は、歩兵が中心です。

大人数をそろえ、集団で進撃する戦法です。

いっぽう、スキタイは、騎馬兵が中心。

進撃&撤退をくりかえしながら、少人数で動きまわり、相手を撹乱させます。

オアシス国家であるアケメネス朝の、歩兵を主とする戦術は、数はすくないが、機動力にとむ遊牧国家スキタイの軍隊に、致命的な打撃をあたえることはできなかった。スキタイ人は、ペルシャの大軍が近づけば逃げ、ときには奇襲をかけ、相手がすくないと見れば襲いかかるという戦法であった。(p.97)

これもまた、遊牧生活がなせるワザです。

そのため、アケメネス朝ペルシャも、つぎの、アレクサンドロス大王ひきいる「マケドニア国」も、かなり手こずりました。

遊牧民と漢民族のカンケー

中国エリアの帝国も、遊牧民なくしては語れません。

おたがいの地域で、帝国が確立するごとに、カンケーをむすびます。

具体的には、

・匈奴帝国 – 漢帝国
・突厥帝国 – 唐帝国

です。

理由はカンタンです。

中国の帝国が、遊牧帝国を滅ぼしても、ふたたびユーラシア大陸・中部で勢力をのばす、帝国があらわれるからです。

たとえ、どんなに中国の帝国がチカラをつけても、中央アジアまで進出できません。

結果、くりかえしべつの遊牧帝国が出現し、中国の帝国を脅かすわけです。

突厥と、西域にたいする唐の関係は、匈奴と西域にたいする漢の関係とじつによく似ている。似ているはずである。匈奴帝国は滅んでも、ユーラシア大陸の遊牧勢力の発展は、いぜんとしてつづき、また、中国と西域との貿易はますます緊密になりつつあったからである。(p.182)

西洋と遊牧民

古代から遊牧民は、たびたびヨーロッパに進出し、脅威をあたえてきました。

けれど中世のころには、遊牧民の存在は、忘れされられます。

このころユーラシア大陸では、イスラムにかわり、モンゴル帝国が勢力をのばしていました。

けれど、ヨーロッパ諸国は、イスラム勢との争いに夢中で、遊牧国家の情報をまったくもっていませんでした。

たとえば、法王庁などは、イスラムを征服するモンゴル帝国は、キリスト教徒の味方とみなしていました。

さらには、「チンギス=ハン」については、キリスト王「ダヴィデ」と思っていたくらいです。

なかなか〝こっけい〟ですが、それほどヨーロッパ地域は、ユーラシア大陸と分断されていた、といえます。

法王庁では、モンゴル人がホラムズ帝国を滅ぼし、イスラムの勢力に大きな打撃を与えたことを知り、モンゴル人はイスラム教徒の敵で、キリスト教の味方だと考えていた。〔……〕チンギス=ハーンは、キリスト教の「王にして僧なるダヴィデ」だというような伝説がヨーロッパにつたえられていたくらいである。(p.325)

じっさい、期待は大きくはずれ、モンゴル帝国は、イスラム諸国だけでなく、ヨーロッパ諸国も〝駆逐〟します。

知らないぶん、不安・脅威は、そうとうなものでした。

ところが、その同じモンゴル人がキリスト教国である、ハンガリー・ロシア・ポーランド・ドイツなどを荒らしまわったのだから、驚いたのもムリはない。(p.325)

カリフ

分量は少ないですが、イスラムについても、カンタンにふれています。

個人的には、「カリフ」の説明が、おもしろかった。

イスラムを知るとき、「カリフ」の地位・称号は、どうもつかみづらい。

本書では、カリフの成り立ちを、つぎのように説明します。

カリフという名前は、アラビア語のハリーファがなまったもので、「アラーの神の福音の継承者」という意味である。現在では、この名前の価値は下落し、ちょうど日本で株屋や商家の主人〔……〕を「大将」というように、自動車の運転手・床屋・職人などをさすようになってしまった〔……〕(p.248)

なんかわかりやすいですよね。日本の文脈にそって、うまく説明してくれています。

また、ローマ法王(教皇)との、ちがいについても、こんなかんじでのべています。

〔……〕カリフをキリスト教における法王のようなものと考えてはいけない。まえにいったように、イスラムでは神と人間とは、直結すると考えられているので、地上に神の代表を必要としない。したがって、カリフはイスラム信仰を代表するものではなく、地上におけるイスラム共同体たるイスラム国家の指導者であり、イスラム教徒の最高指揮官とみなされていた。(p.248-249)

つまり、法王は「代弁者」ですが、カリフは、天上&地上 ─ 両方の指導者なわけです。

「なるほど〜」といったかんじですね。

とはいえ、イスラム国家では、この「カリフ」の継承手続きが、あやふやでした。

そのため、引き継ぎのときに、かならず争いがおこります。

さらに、もともとアラブ人が中心でしたが、[ペルシャ人 → トルコ人]も、イスラム共同体に浸透 ─ 。

結果、それぞれの人種が、勝手に「カリフ」を名のり、じょじょに形骸化していきます。

このあたりは、イスラムにかぎらず、どの王朝・王国でも、よくあるはなしですね。

〔……〕カリフ朝では、はじめからカリフの位の継承にかんして、紛争がつづけられていたので、軍隊の掌握ということが非常に重大な問題であった。軍隊の主力が、ペルシャ人、とくにトルコ人になると、その統制が困難になった。カリフは王位継承にかんして、自分と同じアラブ人はかえって信用できないので、まったくちがう種族のトルコ人を身辺の護衛につかった。ところが、このトルコ人親衛隊が、あとには宮廷内で勢力をえて、カリフを勝手に立てたり、廃したりするようになり、ついには、トルコ人であるセルジュークに国を奪われるまでになった。(p.266)

おわりに

旧版ながら、この「世界の歴史」シリーズは、かなり読みやすく、おすすめです。

ムズかしい用語を、ほとんどつかわず、一般の人がみても、わかるように書かれています。

なにより、知的好奇心をうながすように、歴史をたどるため、読んでいて飽きません。

ざっくり、かつ、ある程度、くわしく世界史の流れを知りたい人には、もってこいの1冊です。

よければチェックしてみてください。

ではまた〜。