戦後のヨーロッパの歴史 ─ 統合・移民・地図・第五共和政・パリ協定・東西ドイツ基本条約【世界史】

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・戦後のヨーロッパについて知りたい
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・第五共和政
・パリ協定
・東西ドイツ基本条約
重要人物
・アトリー
・サッチャー
・ド・ゴール
・アデナウアー
・コール
ポイント
・イギリスをはじめ大戦後の西欧諸国では議会制民主主義が定着し、政治運営が安定した
・西ドイツのブラント首相は東方外交を展開し、ソ連&東欧諸国との関係を改善した

この記事では、つぎの本を参考にしました。

以下、

  • イギリス
  • フランス
  • ドイツ

に焦点をあてて、戦後ヨーロッパのようすをみていきましょう。

戦後ヨーロッパの歴史① ─ イギリス

アイルランドを訪問するサッチャー

戦後のイギリスは

・福祉国家

・小さな政府(新自由主義)

・社会民主主義

といったかたちで政治方針が移りかわっていきました。

まず戦後直後はアトリーが首相に就きます。

内政では軸となる産業を国有化し、社会保障を充実させたうえで、福祉国家をおしすすめていきました。

そのさいのスローガンは「ゆりかごから墓場まで」でした。

外交にかんしては、インドの独立を認め、つづいて英連邦からの離脱を正式に承認します。

またアイルランドも国家として認め、こちらも英連邦からの離脱を正式に承認にしています。

その後、いったん保守党に移ったあと、ふたたび労働党が政権を獲得します。そのさいの首相はウィルソンでした。

内政ではポンド切り下げをおこない、イギリスは海外貿易競争から一歩遅れをとることになります。

さらに外交では、スエズ以東より軍隊の引き上げを決めます。これにより19世紀に繁栄をほこった大英帝国は崩壊していきます。

あいだをおいて労働党政権がつづいたあと、保守党のサッチャーが首相に就きます。

彼女が就任した当時のイギリスは、過度な社会保障制度と国有化企業が負担となり、財政を圧迫していました。

そこでサッチャーは国有企業の民営化をはかり、さらに社会保障費を大幅に削減します。

「サッチャリズム」とよばれ、彼女の起点にイギリスは福祉国家から「小さな政府」へと政治方針を大きく転換しました。

つづいて就任したのがブレアです。約20年ぶりの労働党政権でしたが、社会保障を充実をうたったものの、きほんはサッチャーの「小さな政府」を継承した政治運営でした。

そのために福祉国家への回帰というよりも「社会民主主義」とよばれています。

戦後ヨーロッパの歴史② ─ フランス

ド・ゴール

戦後直後のフランスは第四共和政が成立します。

そのフランス共産党が勢力をのばし、躍進していきます。

いっぽう外交では、インドシナ半島での敗北をきっかけにフランス軍への信用が下がります。

さらにフランス領だったアルジェリアが独立したことで、人びとの不満が一気に高まり、第四共和政は崩壊します。

かわって台頭したのが第二次大戦で活躍した軍人のド・ゴールでした。

彼は第五共和国を成立させたうえで大統領の権限をいちじるしく強化します。

それにより内政では「フランスの栄光」をとなえ、原爆の実験を成功させます。

外交では、エヴィアン協定でアルジェリアの独立を正式に承認し、(社会主義国の)中国も国家として認めます。

さらに東西冷戦体制からも距離をおき、資本主義陣営の軍事同盟である NATO からも離脱します。

そんななかでフランス国内では、学生や民衆を中心とする大きなデモがおこり、反ド=ゴール運動が展開されます(五月危機)。その結果、翌年の国民投票で敗北し、失脚を余儀なくされます。

その後はミッテラン大統領をはじめとした安定した政権がつづき、いまに至っています。

戦後ヨーロッパの歴史③ ─ 西ドイツ

東方外交をおこなうブラント首相

西ドイツはベルリン封鎖のあと、ドイツ連邦共和国として成立しました。

初代首相はアデナウアーでした。

内政では経済復興をおしすすめ、パリ協定をむすんだことで、主権回復と軍備保有を認められます。

外交では NATO に加盟し、さらにいまの EU のもととなる EEC を発足させます。

づづいて就任したブランド首相は、東西冷戦のさなか東方外交をおこない、ソ連&東欧との関係を改善します。

これにより、

・ソ連=西独武力不行条約の締結
・西独=ポーランドの国交正常化

が実現します。

さらに東ドイツとも関係改善をはかり、双方合意のもと東西ドイツ基本条約が締結され、翌年には国際連合に同時に加盟することになります。

つづいて就任したコール首相は、イギリスのサッチャリズム、アメリカのレーガノミクスの影響をうけて、新保守主義をかかげ、政策を実行していきます。

彼のときにちょうど東西冷戦体制が終結し、ベルリンの壁が崩壊します。これにより正式に東西ドイツが統一されました。

戦後ヨーロッパの歴史④ ─ その他の国々

オーストリアの国会議事堂(ウィーン)

さいごに、そのほかの国についてみていきましょう。

オーストリアは対戦直後、連合国側から4分割統治をうけますが、オーストリア国家条約により独立を回復しています。

その後オーストリアは永久中立となります。

イタリアは大戦での敗北後、王政が廃止され、国民投票により共和政が発足します。

その後しばらくして、共産党が勢力をのばし、イタリア共産党が成立します。かれらはユーロコミュニズムをとなえ、ヨーロッパ一帯における共産主義運動の起点となっていきます。

おわりに

戦後ヨーロッパをみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・第五共和政
・パリ協定
・東西ドイツ基本条約
重要人物
・アトリー
・サッチャー
・ド・ゴール
・アデナウアー
・コール
ポイント
・イギリスをはじめ大戦後の西欧諸国では議会制民主主義が定着し、政治運営が安定した
・西ドイツのブラント首相は東方外交を展開し、ソ連&東欧諸国との関係を改善した

この記事が、戦後ヨーロッパ史を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。

では、また。