どうも、コント作家のりきぞうです。
きょうも、コント作品をレビューしていきます。
取りあげるのは、シェイクスピア『から騒ぎ』。
喜劇のなかでは、後期にあたる作品です。
以下、ストーリーの大枠をみたあと、笑いのポイントをあげていきます。
ちなみに、河合訳、Kindle 版でよみました。
以下、引用のページ番号は、うえの文献によります。
目次
ストーリーの大まかな流れ
人物
クローディオ
ベネディック
ペドロ
ジョン……ペドロの弟
ボラキオ……ジョンの子分
レオナート
ヒアロー……その娘
ビアトリス……その姪
アントーニオ……レオナートの弟
場所
メッシーナ(イタリア)
あらすじ
争いあと、メッシーナの町にもどってくる「クローディオ」「ベネディック」。
クローディオは知事のむすめ「ヒアロー」に恋をする。
いっぽう、ベネディックは恋をバカにし、知事の姪「ビアトリス」とは、顔をあわせるたびに口論をくりかえす。
ふたりの世話役である「ペドロ」は、クローディオとヒアローの仲をとりもち、婚約させる。
そのいきおいでペドロとクローディオは、ひねくれ者のベネディックにワナをかけ、ビアトリスを意識させようとたくらむ。
ビアトリスにも意識させ、おたがいの耳に相手が想ってることをこっそりつたえる。
おもわくどおり、ビアトリスとベネディックは、あいてが自分にホレているとカン違いする。
事態がおさまるかと思いきや、メッシーナにペドロの弟「ジョン」がやってくる。
日ごろから兄を毛ぎらいするジョンは腹いせに、ペドロと仲良くするクローディオの婚約をぶち壊そうと思いつく。
手下「ボラキオ」はつぎのような策をすすめる。
まず知事の家につかえる女中のマーガレットをヒアローに仕立る。
つぎにボラキオである自分とマーガレットがイチャつく現場を、クローディオにこっそりみせる。
さいごに、ヒアローの不貞っぷりに失望させ、本人の口から婚約を解消してもらう。
結果、ジョン & ボラキオの策略どおり、クローディオはヒアローが浮気していると思いこみ、激しい口調で婚約を解消する。
あらぬ疑いをかけられたヒアローはそのまま倒れ、命の失いかける。
こちらに罪があるとはいえ、むすめを殺されたかけた父「レオナート」は決闘をもうしこむが……。
ひとこと
名誉を傷つけられたとしてクローディオが激しい非難をあびせる。
身におぼえのない罪をきせられたヒアローが卒倒し、命の危険にさらされる。
あらすじだけみると悲劇のようにみえるが、あくまで喜劇であり、笑いばなし。
しょせんは、ジョン & ボラキオのイタズラで、それにひっかかるクローディオの仲間や、ヒアローの家族のアタフタぶりを楽しめばいい。
ドタバタ劇で、タイトルが示すように「から騒ぎ」なんだけど、クローディオの失望するようすや、ヒアローの憔悴ぐあいなんかみると、あっけらかんと笑いにくい。
さすがシェイクスピアだけあって、喜劇でも人間の本質を突きつける内容になっている。
原題は『Much Ado About Nothing』で、「nothing なのに大さわぎ」という意味合いがある。そのいっぽうで、この時代の「nothing」 は「noting(気づき)」と同じ発音をした。そのため「気づくことについての大さわぎ」とも解釈できるという。
すくなくともリアルタイムで観ていた人は、そう解釈していたと想像できる。
つまり、この作品は、取り越し苦労をする人たちを描き、笑わせるだけではない。
ひとの認識とはいかにテキトーで、デタラメな世界でしか生きらないことを訴えてもいる。
この劇は(……)気づくこと/認識(noting)をめぐる騒ぎを描いたものである。現実を正しく認識することは難しいということだけではなく、人間は所詮自分勝手な認識で作った世界の中で生きているのだということが明らかになる 。その意味でも、認識を誤った者を責めるよりも、認識そのものの難しさに思いを致すべきであろう。
(no. 2453)
笑いのポイント
笑いのポイントをみていきます。
コントや喜劇で大事なのは、キャラクターとプロット。
この作品ではプロットに注目してみます。
コントのプロットはとてもシンプル。
[設定 → 展開 → オチ]がキホンのながれ。
コントの書き方 ─ プロットの構成についてなかでも「展開」が、作品の良し悪しを決めるんだけど、これにも「型」があります。
パターンは「反転」「逆転」「交錯」の3つです。
コントの書き方 ─ プロットの展開についてストーリーを整理して、パターンをあてはめてみてると、構図は「交錯」だとわかります。
「交錯」では、人物が、真相を隠したり、ワナをしかける。それにより、カン違いする人物が、スジ違いのセリフを吐いたり、行動に出たりする。
そのようすが笑いを引き起こす。
この作品でも、ジョン&ボラキオのワナにより、ヒアローの不貞をカン違いしたクローディオが、婚約を解消する。
そのことでヒアローは命を失いかけ、逆ギレした父がクローディオに決闘を申し込む。
このスジ違いのセリフやアクションが、笑いを引きおこす。
図にするとこんな感じ。
・クローディオ、婚約を解消
・ヒアロー、たおれる
・父がクローディオに反逆
ヒアロー ≠ 浮気 & 不貞
このほか、ヒアローの父レオナートはクローディオに決闘をいどむ。
それに協力するかたちで、かれの弟アントーニオも同じく闘いに参加しようと意気込む。
しかし、じつほふたりとも、かなりトシをとっているため、剣などまともにぎれず、フラフラになりながら、クローディオに受けてたつことに。
そのようすは、とってもコッケイ。
弟 (……)さあ 、かかってこい! わしが相手だ。さあ、こい、小僧。こい、坊や、こい、こっちだ。青二才め! おまえのお突きなどたたきのめしてやる。わしも紳士だ、やってやるぞ。
レオナート おい 、弟…… 弟 まあ、いいから。わしが姪を愛していたことは神もご存じだ。それが死んでしまった。悪党どもの中傷を受けて殺された。そいつらにちゃんとした男の相手をさせようじゃないか。毒蛇の舌を摑むつもりでわしが相手をしてやる。小僧ども、猿め、法螺吹き、ろくでなし、臆病者!
レオナート アントーニオ……。
(no. 1545)
原作では、弟が怒り狂い、そのふるまいをじっさいに被害にあった父親のほうがおさえるというながれをとっています。
ただし、シェイクスピア劇は「中世劇」で、ト書きにこまかい指示がない。
そのため演出にもハバがある。
よりコッケイにされるために、老人ふたりのやり取りもいろいろ工夫できそうです。
まとめ
こんなふうに、プロットに注目してみていくと、よりいっそうコントを楽しめます。自分でつくるときにも役立ちます。
ほかの作品でも、こんな視点に立って作品で観ています。ちがう記事ものぞいてみてください。
ではまた。
よきコントライフを〜。