シェイクスピア『ヴェニスの商人』感想&レビューです。

どうも、コント作家のりきぞうです。

きょうも、コント作品をレビューしていきます。

取りあげるのは、シェイクスピア『ヴェニスの商人』。

喜劇のなかでは、後期の作品になります。

この作品のあと、シェイクスピアは、本格的に悲劇を書いていきます。

喜劇をうたう『ヴェニスの商人』でも、その片りんがうかがえます。

どこか残酷というか……。

以下、ストーリーの大枠をみたあと、笑いのポイントをあげていきます。

ちなみに、河合訳のKindle 版でよみました。

以下、引用のページ番号は、うえの文献によります。

ストーリーの大まかな流れ

人物

バサーリオ

アントーニオ……親友

ポーシャ……バサーリオの恋人

シャイロック……金貸し

場所

ヴェニス(イタリア)

あらすじ

貴婦人ポーシャに恋するバサーリオ。

いますぐ彼女のいる街へ行きたいが、借金のために、ヴェニスの街から出れない。

そこでアントーニオはお金を工面しようとするが、手もちの金がなく、所有する貿易船も海に出ているので、それを担保に借りることもできない。

しかたなくアントーニオは、金貸しのシャイロックから、自分のカラダを担保に、証文をつくり、3000ダガットの金を借りることに。

それを手にバサーリオはポーシャのもとをおとずれ、みごと夫の座につく。

そのとき、ヴェニスの町から知らせが届く。

アントーニオの船が遭難し、財産をすべてうしなった。

借金も返せないため、証文どおり、カラダを差しだすハメにおちいる。

まわりからの説得にもかかわらず、日ごろからアントーニオをうらむシャイロックは、かたくなに肉体をもとめる。

自分のために、命の危険にさらされる親友。

ポーシャをつれて、バサーリオはヴェニスの町へいそいでもどるが……。

ひとこと

シェイクスピア作品のなかでも、名のあるタイトルだけあって、ストーリーはバツグンにおもしろい。

テンポもよく、先へ先へとページをめくってしまう。

セリフまわしも機知にとみ、いろいろとメモってしまった。

たとえば、聖書のおはなしを引用して、シャイロックが金を貸すのを受けて、アントーニオが口にするセリフ。

アントーニオ 悪魔も聖書を引用する、都合のよいようにな

(no.369)

こういうアイロニーがきいた言葉がポンポンとびだすので、読んでいて飽きない。

おそらく再読しても夢中で読みすすめてしまうだろう。

笑いのポイント

笑いのポイントをみていきます。

コントや喜劇で大事なのは、キャラクターとプロット。

この作品ではプロットに注目してみます。

コントのプロットはとてもシンプル。

[設定 → 展開 → オチ]がキホンのながれ。

コントの書き方 ─ プロットの構成について

なかでも「展開」が、作品の良し悪しを決めるんだけど、これにも「型」があります。

パターンは「反転」「逆転」「交錯」の3つです。

コントの書き方 ─ プロットの展開について

ストーリーを整理して、パターンをあてはめてみてると、構図は「逆転」だとわかります。

「逆転」では、 ひとつの出来事をキッカケに、それまでの立場が反転するようすを描きます。

人物の地位や権威をひっくり返すことで笑いを生み出していきます。

この作品でも、借金の力でアントーニオの命(肉体)をつかんだシャイロックだったが、いそいでヴェニスにもどってきたバサーリオ & ポーシャにやりこめられる。

結局、せっかくの権利を手放すことになる。

とくにポーシャは学識者バルサザーに変装し、権威には弱いシャイロックをこっぴどくしめあげる。

ポーシャがシャイロックの言い分を出し抜いた論法はこちら。

ポーシャ〔ババルザー〕 (……)この証文は血一滴たりともそのほうに与えていない。文言ははっきりと「肉一ポンド」となっている。ゆえに証文どおり、肉一ポンドを取るがよい。だが、それを切る際、たとえ一滴でもキリスト教徒の血を流せば、おまえの土地と財産は、ヴェニスの法律により、ヴェニス国家に没収される。

(no.1681)

つまり、アントーニオから肉体をうばってもいいが、血をながしてならず、もちろん命を奪うなんてもってのほか。

こういうリクツで、シャイロックの足もとをすくい、アントーニオの身をすくう。

これにより、シャイロックの立場がひっくりかえり、このようすが観ている人の笑いを誘う。

図にするとこんな感じ。

構図 ─ 逆転
シャイロック > アントーニオ

・担保として肉体をつかむシャイロック
・ポーシャ、証文を逆手にとる
・シャイロック、借金 & 肉体ゲットできず

シャイロック < アントーニオ

このほかにもシャイロックは、むすめを恋人にうばわれ、かけおちまでされる。

さいごはなくなくふたりのカンケーを認めることに。

喜劇としてみた場合、主役は明らかにシャイロックです。

メインは「バサーリオとポーシャの恋」&「アントーニオとバサーリオの友情」です。

けれど、笑いどころは、ほとんどシャイロックがもっていく。

たとえば、つぎの場面。

アントーニオの船が難破したニュースと、自分のサイフを盗んだむすめが、かけおち先で散財をする知らせを、交互にきかせるハメに。

テューバル いや、不運に見舞われたのはほかにもいる。アントーニオだって 、ジェノヴァで聞いたところでは…… シャイロック なに、なに、なに? 不運か、不運か? テューバル トリポリから帰ってくる貨物船が難破した。 シャイロック やったぞ、やったぞ! 本当か、本当か? テュ ーバル その遭難から命からがら助かった船乗りと話をしたんだ。 シャイロック ありがとう、テューバル、いい知らせだ、いい知らせだ。はは!ジェノヴァで聞いたか!テューバル ジェノヴァで娘さんは、一晩で八十ダカット使ったそうだ。 シャイロック この胸が短剣で刺されるようだ。もうあの金は戻らない。八十ダカットだと! 一度に八十ダカットも!

(no.1036)

なんともコッケイで、おもしろいですね。

訳者が「あとがき」でのべるとおり、「シャイロック」にたいして、どういう価値判断をくだすかで、作品のトーンがきまってくる。

この作品は、観客の視点をどこまでシャイロックに近づけるかで、作品全体の色合いが変わってくる。 (……) シャイロックの心情が深く描きこまれているために、観客は彼を加害者ではなく犠牲者として見たくなる 。しかし、逆にシャイロックに同調しすぎると、今度は、最終幕のロマンティックな 「夜づくし」が浅薄に見えるなど 、作品全体の構造がアンバランスになってしまうという問題がでてくる。

(no.2423)

「喜劇か悲劇か」という問いも、同じです。

シャイロックを笑えるかは、彼の境遇に、どこまで同情するかで決まります。

みている人が、つよく共感するほど「悲劇」となり、ひとごとのようにとらえると「喜劇」になる。

みている人の価値判断によって、本作は、悲劇にも喜劇にも、なるわけですね。

まとめ

こんなふうに、プロットに注目してみていくと、よりいっそうコントを楽しめます。自分でつくるときにも役立ちます。

ほかの作品でも、こんな視点に立って作品で観ています。ちがう記事ものぞいてみてください。

ではまた。

よきコントライフを〜。