「こだわりをもつこと」について

どうも、りきぞうです。

きょうは、「こだわりをもつこと」について考えてみました。

※ 本文の引用は、最下部の文献によります。




それなりに生きていたり、働いていたりすると、いっぽうでは、

「こだわりをもって生きろ」

と言われ、

もういっぽうでは、

「こだわらずに働け」

と言われる。

「いったいどっちなんだ?」 ─ あなたも、こんな悩みをかかえたことがあるかもしれない。

ずばり答えをいってしまえば、あなたが「こだわり」を持とうと持つまいと、どちらだってかまわない

じつは、相手の要求にさえ応えれば、こだわりの有無は、どうだっていい。

たとえば、受験勉強のやり方だって、志望校試験の合格最低ラインをクリアすれば、どんな勉強法をしたってかまわない。

仕事上のこだわりについても、取引先とのあいだで交わした仕様書どおりに納品すれば、あってもなくてもいい。

「こだわれ」「こだわるな」とアドバイスする人だって、自身の要求が満ちる/満ちないで判断し、忠告しているにすぎない。

なので、こだわりに、良いも悪いもない。

人間というのは、ものごと自体ではなく、そのものごとにいだく考えによって、いつも苦しめられている(no.2702)

─ モンテーニュ『エセー2』1巻 40章

なにかの番組でみたが、ビートたけしさんは、舞台での出番がある日には、かならず左足から靴を履くようにしていたらしい(右足だったかもしれない)。

「落ち着かない」というのがその理由だが、このこだわりだって、目のまえお客さんをしっかり笑わせるなら、右足だろうが左足だろうが、どちらだってかまわない。

そもそもお客さんには、舞台の芸人さんが、どっちの足から靴を履いてやってきたなんて、分かりやしないのだから。

こだわり自体に「こだわり」はない。




とはいえ、要求を満たしたうえでのこだわりは、いいアクセントになる。

また本人にとっては、なくてはならないコト or モノになる。

これまた人物をあげれば、マケドニアの「アレクサンドロス大王」も、名馬「ブケパロス」に乗らなければ、大遠征をする気など起きなかった。

作家「ジェインオースティン」も、かのじょの作品同様、お気に入りのミニマルテーブルじゃないと、筆がすすまなかった。

同じく作家の「プルースト」も、ぜんそくの恐れもあってか、ぶ厚いカーテンで部屋を閉めきり、光をさえぎる一室ではないと、『失われた時〜』を描けなかった。

武功 or 創作物のうらには、それなりのこだわりが秘められている。

また、そのこだわりが、成功者だったり、クリエイターの魅力を引きたてる。

・出番があるときは、左足から靴をはく
・戦には、いつも同じ名馬を連れていく
・ミニマルなテーブルで小説を書く
・部屋の光を遮断して、創作に打ちこむ

それぞれのふるまいを耳にしたときに、「あ、あの人ね」と、当人を思い出し、ちょっとした親しみをおぼえる。

こだわりが、その人の価値を引き立てる。

ビジネスにおいては、本人の市場価値を高めたりすることだってある。

料理でいえば、ちょっとしたスパイスといったところだろう。




ただし、こだわりを持ちすぎると、当然ながら、どんな相手だろうと、ケムたがられる。

要求に応えてくれるとはいえ、さまざまな道具を駆使したうえで成果物をみせられると、気の毒に思い、しぜんと避けるようになる。

なにしろ、あまりに礼儀が正しすぎて、かえって失礼な人とか、丁重さがすぎて、わずらわしい人をずいぶん見てきた(no.1324)

─ モンテーニュ『エセー1』1巻 13章

スペック満載のPCよりも、スマホ一つで、納品してくれる人のほうが、気軽に頼める。

また、行きすぎたこだわりは、本人自体を苦しめる

本来こだわりは、作業の効率だったり、優れた成果を生みだすためになされるわけで、それ自体が重しとなっては、元も子もない。

アルガン 〔……〕ピュルゴン先生は、毎朝、部屋のなかで、12歩あるいて、12歩もどれ、とおっしゃったが、縦だか横だか、それをきくのを忘れてしまったわい。(p.51)

─ モリエール『病は気から』2幕 2

快適にするはずのこだわりが、当の本人を苦しめる。

アルガン 薬をあと12錠のみ、浣腸を12回しなければ、腹の虫がおさまるもんじゃない。(p.38)

─ モリエール『病は気から』1幕 6

経験からいえば、道具なら3つくらい、ルーティンでいえば5つくらいが限度かと思っている。

それより増えると、To Do がきつくて、逆に、キュウクツになる。

こだわりの数は、人によって異なるだろうから、自分なりに点検してみるのがいいだろう。

では、お元気で。