どうも、りきぞうです。
こちらの記事で、コロナにより飲み会が減れば、会社の「飲みニケーション」も減るのか? と問いかけている。
筆者の回答は、記事をみてもらうとして、わたしは「増える」と思う。
なぜそうなるのか? ─ そのプロセスを考えてみる。
◯
コロナ以前、会社に入れば「飲みに行く」のはあたりまえだった。
頻度はさまざまだが「まったく行かない人」なんかは、マレ。
よく週刊誌とかでは、
なんて書かれているけど、そんなのはよっぽど「人見知り」か、「意識高い系」のどちらか。
たいていの人は誘われたら「行こうかなぁ」と考える。
だって、先輩・上司・同僚が、本音では、どんなことを考えているかを知りたいから。
お酒を飲んだら、本音が出ることくらい、小学生でも知っている。
それを知るためにも、誘われたら「行こかなぁ」とは思うのは、当然。
で、ここでひとつ問題だったのは、たいていの人は誘いにのるため、〝断る選択肢〟が、ほぼなかったこと。
いやあるにはあるんだけど、断ったときのペナルティがあまりに大きい。
つぎの日から会社では、
だの
だの、偏見・差別の目を向けられる。
最初から無知と偏見にとらわれて、すっかり理性を失っていたのだ(no.126)
─ ジェイン・オースティン『高慢と偏見』36章
こんなこともあって、さきにあげた「人見知り」「意識高い系」の方々が、
「ムリに飲み会に誘う上司は、仕事ができない」
といった〝プロパガンダ〟を展開した。
あまりに極端な意見だけど、かれ/かのじょたちの気持ちもわかる。
だって「断る選択肢」がないんだから。
だったら「作る」しかない。
「飲みに行かない選択もさせろ」、と。
◯
そんな中、今回の「コロナショック」がやってきた。
強制的に、
にさせられた。
そう、くしくも、自分たちの〝啓蒙活動〟とは別に、人見知り&意識高い系の方々は、「飲みに行かない選択肢」を手に入れてしまった。
で、めでたし、めでたし……
……
……
……かといえば、そうではない。
だれもが予測するけど、「バックラッシュ」がやってくる。
みんな、うすうす感じているけど、「コロナ騒動」なんて一時的。
ワクチンなんかできれば、〝せきを切ったように〟飲み会にジャンジャンくりだす。
当然、「飲みニケーション」も活性化する。
◯
さてこうなったとき、人見知り or 意識高い系の方々は、どうなるのか?
どうするのか?
ここがおもしろいところで、かれ/かのじょたちは、コロナ以前のように、〝飲みニケーション撲滅運動〟を展開する必要はない。
論戦を張る必要もない。
というのも、〝飲み会否定論者〟にかぎらず、人びとの意識のなかで、
が、しっかりと刻まれたから。
最初のうちは、どれほど〔……〕不思議なことであっても、だれでも少しずつ、驚かなくなっていく(no.2828)
─ モンテーニュ『エセー1』1巻20章
たしかに一時的には、飲み屋にくりだすし、バックラッシュが起こる。
けど、じょじょに鎮静化し、フラット化する。
そして、飲みに行く/行かないの選択が、ほどよく天秤にかけられる。
コロナ以前は「飲みに行く」はあたりまえで、そのほか、一切の選択はなかった。
けどコロナ禍を経て「飲みに行かない」も〝アリ〟になった。
「飲みに行かない」という選択肢が、常態化し、いつでも選べるようになった。
ほんとうの意味で、〝市民権〟を獲得した。
◯
で、ここからが、わたしの予測 ─ 。
ほんらいの意味で、
・同僚・先輩・上司と飲みニケーションする/しない
の選択肢がオープンになっているとき、人びとは飲みに行こうとするのか?
これがさいしょの答え。
つまり、行く人が「増える」と思う。
というのも、「飲みに行かないのはアリ」となったときの「飲みニケーション」は、もはや、
・先輩&同僚の悪口
なんていう〝非生産的な〟飲み会は、ほんとうに嫌悪される。
めちゃくちゃイヤがられる。
「飲み行かないのはアリ」となった状況のなか、わざわざ何のトクもない飲み会にいきます?
そりゃあ、行きませんよ。
その結果、あたりまえの流れとして、
みたいな雰囲気が生まれてくる。
おのずと飲み会は増えて、人見知り or 意識高い系の方々だって、(ブーを垂れながらも)参加すると思う。
◯
「飲み会に行かない選択肢」が認められる ─ 。
結果、会社の飲み会が増える ─ 。
これが、コロナ後に「飲みニケーション」が増えるプロセス&理由です。
では、またお元気で。