どうも、リキゾーです。
これまで、予備校講師 → ウェブディレクター → ライターと、いろんな職業にたずさわってきました。
働き方も、契約社員 → 正社員 → フリーランスと、ひと通り経験してきました。
大学院では、社会学をベースにキャリア論や社会保障を研究していました。
いろいろ学び、働くなかで感じるのは、これからひとは労働から解放される、ということ。
その理由は、AIなどのキカイが広がり、BIなどの生活保障が整備されていくからです。
では、ここでいう「労働」とは何でしょう。
経済誌などは「失くなる職種」を個別にリストアップしているが、あんまり意味はありません。
テクノロジーなど世の中の変化が激しくて、細かい予測はできないからです。
それよりも「労働」の意味を具体的に問いなおしたほうが、これからの働いていくうえで重要になってきます。
同じような意味で「仕事」という言葉があります。
じつは「仕事」との違いを示すことで、「労働」の特徴が浮きぼりになってきます。
「今後ひとは労働から解放される」──こう言うときの「労働」の意味が明らかになります。
結論から先にいえば、
・「仕事」とは、モノの製作や、グループへの貢献のために働くこと
です。
ちなみに、この定義は、アーレントの議論を踏まえたものです。
ふたつの違いから、「労働」の特徴を示しつつ、ひとが労働から解放される意味を明らかにしていきます。
目次
労働から解放される意味

くりかえすと、「労働」と「仕事」の違いはこんなかんじです。
・「仕事」とは、モノの製作や、グループへの貢献のために働くこと
つまり「労働」は、「身体的な命」を保つために働く行為です。自己保存がベースです。
アルバイトでもサラリーマンでも、どんなスタイルであれ、自分の生活を維持するために働いていれば、それは「労働」ということになります。
労働 labor とは、人間の肉体の生物学的過程に対応する活動力である。人間の肉体が自然に成長し、新陳代謝を行いない、そして最後には朽ちてしまうこの過程は、労働によって生命過程の中で生みだされ消費される生活の必要物に拘束されている。そこで、労働の人間的条件は生命それ自体である。(019)
H.アーレント『人間の条件』
いっぽうの「仕事」は、自分の生活のためには働くことではありません。
死んだあとでも残るようなモノを作るために働きます。
アートづくりなどが典型ですね。
また、所属する集団のためにも働きます。
属するグループにたいして、自らの才能や能力をギブするために働きます。
つまり「働く=製作」「働く=貢献」なわけです。
仕事 work とは、人間存在の非自然性に対応する活動力である。〔……〕仕事は、すべての自然循環に際立って異なる物の「人工的」世界を作り出す。〔……〕この世界そのものはそれら個々の生命を超えて永続するようにできている。(019-020)
H.アーレント『人間の条件』
古代では「労働」は蔑視されていた
アーレントによれば、古代ギリシャでは「労働」は軽蔑され、「仕事」は尊敬されていました。
自分の生命、自分の生活のためにしか働かない者は「価値ナシ」というわけです。
そのため「労働」の担い手は「奴隷」で、「仕事」は「職人」「市民」が担っていました。
ただしこれには注意が必要で、「職人」や「市民」が善良だったから、創作に打ちこんだり、集団のために働いていたというわけではありません。
当時はバリバリの階級社会で、この身分の人たちには「食うために困らないほど」豊かであり、生活の心配をする必要がありませんでした。
だからこそ製作に励み、集団への貢献ができたわけです。
もっといえば、金をもってるんだから、まわりを感動させるモノをつくったり、自分の能力をコミュニティのために使えよ、ということだったのかもしれません。
「労働」の価値が高まる近代
しかし、近代では「働く」の価値観に変化がおこります。
「仕事」よりも「労働」が上位にきて、だれもが生活のために働くようになります。
これがいまの常識につながっています。
まずは「自分の暮らしを守る」「自分の命を維持する」ために働くべきで、そのあとでモノを製作するなり、集団への貢献を果たすべき──この考え方が当たり前になっています。
「労働」の価値が引き下がる未来
しかし AI などの普及で、単純作業が人の手からキカイに置きかわろうとしています。
くわえて今後、BIなどの保障が整備され、生活のためにムリに働く必要がなくなってきます。
いまとは違い「労働」の地位が下がっていきます。
これがはじめに述べた「人が労働から解放される」ことの意味です。
「自分の命を守るための働き」「自分の生活を維持するための働き」が不要になってきます。
注意したいのは、自己保存のための「労働」はなくなる一方で、モノの製作、コミュニティへの貢献などの「仕事」はなくならない、という点です。
むしろ「仕事」は増えていきます。
「労働から解放される」分、時間があまるためです。
「どんな仕事をするか」「仕事をつうじてどう評価されるか」は別のはなしですが、ひとが「労働から解放される」のは、まちがいありません。
まとめ
「ひとが労働から解放される」──。
「労働」と「仕事」の対比から、その意味を明らかにしてみました。
「AIが仕事を奪う」
「BIで働く必要がなくなる」
──こう言うとき「働く」の定義が混乱しているようにみえます。
AIとBIによって失くなるのは「労働」です。
生活を維持するための「働く」が失くなり、「労働から解放」されます。
いっぽうで、モノの製作や、コミュニティへの貢献を意味する「仕事」は増えていきます。
どんな仕事が生まれ、どんな評価を受けるかは分かりませんが、「製作」と「貢献」を軸にした「仕事」へとシフトしていくのはハッキリしています。
そんな未来を想定しながら、いまの「働く」に取り組んでいくほうが、豊かな人生を歩めそうです。
きょうはこのへんでー。
ではまたー。

