【書評】『世界の歴史3 古代インドの文明と社会』

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

きょうはつぎの本を紹介します。

『世界の歴史3 古代インドの文明と社会』概要

まずは、目次から。こんなかんじです。

1 インド亜大陸
2 インダス文明の謎
3 アーリヤ人と先住民
4 農耕社会の成立
5 古代王国の成立
6 非正統派思想の興起
7 古代インドの統一帝国
8 外来民族と土着勢力
9 流動期の亜大陸
10 古典文化の繁栄
11 有力国家の分立と抗争
12 転換期の社会と宗教
13 インド文化の伝播 ─ スリランカ、中央アジア、チベット

1〜4で、インド地域の自然環境や、アーリア人の進出について述べていきます。インド文明は、キホン、このアーリア人によってつくられていきます。

5〜9で、初期の王朝とカースト制度の形成&崩壊について。個人的には、ココが本書の読みどころだと思います。

10〜13で、インド文化のなかみ、イスラム勢力の流入、他国へのインドの影響について、カンタンにふれていきます。

スッキリした構成で、さらっと読んでいけます。

文体もやわらかく、たいへん読みやすいです。

『世界の歴史3 古代インドの文明と社会』詳細

以下、気になったトコをみていきます。

つぎの4点です。

  • カースト制度の成り立ち&なかみ
  • マウリア朝による統一
  • マウリア朝における統治のしくみ
  • マウリア朝の崩壊要因

カースト制度の成り立ち&なかみ

いまでこそ緩和されましたが、インドでは「カースト制」が根付いています。

それは、いつ、どのようにつくられたのでしょうか。

カースト制度は、すでに、後期ヴェーダ時代( BC.1000年〜BC.600年ごろ)に、できあがっていました。

背景には、農耕の発展があります。

ほかの人たちより、生産高・貯蓄高の多い者が、特権意識をもつようになり、階級が形成されていきます。

はじめは、君主/奴隷くらいの区分しかありませんでした。

時代を下るごとに、4つの階層に分かれていきます。

・バラモン=司祭
・クシャトリヤ=統治者
・ヴァイシャ=農民&商人
・シュードラ=奴隷

身分制が、インド社会のベースになります。

では、どのようにして「バラモン」という身分は、つくられていったのでしょうか。

その過程&方法は、つぎのとおりです。

祭祀の複雑化

排他的な内婚集団

みずからを神格化

収入の確保

貯蓄高が増え、一部の人たちが特権意識をもったのも要因の1つです。

しかし、それ以上に、これら4つの手順&方法から、バラモンは優れた身分になっていきました。

このあたりのしくみは、いまにも通じるはなしですよね。

カースト制のポイントは、バラモン(祭祀)とクシャトリヤ(統治者)が、依存関係にある点です。

つまり、権威 / 権力の〝棲み分け〟がなされていました。

これは、中世ヨーロッパでは「教皇 / 皇帝」、中世日本では「天皇 / 将軍」が分かれていたことに似ています。

宗教儀式を取りしきるバラモンが権威をもち、その権威のもとで、クシャトリヤが実権をにぎり、秩序を取りしまる。

それぞれの立場を、うまく組み合わせて、国内の統治をおこなっていたわけです。

バラモンはまず、特別な儀式によって、王権の正統性を保証し、また呪術によって王と王国に繁栄をもたらす。〔略〕つぎにバラモンは、王の守るべき神聖な義務を説くことによって、政治に参加した。王は、法の制定者ではなく、バラモンの伝持する聖なる法(ダルマ)に従って、統治する者とみられたからである。〔略〕さらに知識階級としてのバラモンは、大臣や裁判官として、また上下の役人として王に奉仕する。かれらが国政の運営と、国家の秩序の維持のうえに果たした役割は、きわめて大きい。(p.89)

権威/権力のカンケーは、ほかの文明・国家とくらべてみると、おもしろいですよね。

インドでは、紀元前のころから、すでに棲み分けが実施していました。このあたりが、4大文明の1つされる所以(ゆえん)かもしれません。

マウリア朝による統一

ふるくからカースト制度が根付いたとはいえ、インド地域では、統一王朝は、なかなかあらわれませんでした。

教科書などでは、インド全域を、はじめておさめたのが「マウリア王朝」とされています。

アショーカ王の活躍により、統一がかなったとされます。

ただ、マウリア朝は、先代の「ナンダ朝」が築いた「中央集権制度」を継承し、うまく利用していました。

その意味では、インド統一の観点からみた場合、マウリア朝よりもナンダ朝のほうが、貢献度は大きい。

本書では、中国史になぞらえ、はじめて中国地域に中央集権を導入した「秦(しん)」を「ナンダ王朝」に、それを継承・活用した「マウリア王朝」を「漢(かん)」にたとえています。

ナンダ朝は、2世代30年ほどの短命な王朝であったが、この王朝が果たした旧秩序の破壊者としての役割は重要である。中国史の比較でいえば、ナンダ朝は「秦」、それにつづくマウリヤ朝は「漢」に相当する。秦は、旧秩序を破壊して中央集権支配のための改革を性急に断行し、自身は短命であったが、漢帝国の繁栄への道をひらいた。(p.170)

このあたりも、本書を読まないと、わからないところですね。

マウリア朝における統治のしくみ

中央集権制度をとっていたマウリア朝 ─ 。

領土の拡大にともない、属州に分けて、それぞれに君主(=太守)をおきます。

これを「属領制」とよびます。

以下、4つの州に区分けされました。

① 西北インド(タクシラ州都)
② 西インド(ウッジャイン州都)
③ 南インド(スヴァルナギリ州都)
④ カリガ(トーサリー州都)

「中央」と「州都」とをむすぶ幹線道路を建設し、中核・周辺のつながりも密接にしていきます。

アショーカ王の親族(=皇太子)が、「太守」に就いて、協同で統治するように工夫をこらしました。

マウリヤ朝の崩壊原因

アショーカ王は、強固な中央集権体制を築くつもりでしたが、そのもろさもかねそなえていました。彼は優れた政治能力をもっていましたが、制度のほうは脆弱(ぜいじゃく)でした。

国王が亡くなったとたんに、マウリア朝は、一気に崩壊します。

アショーカ一族でインド全域をおさめるマウリア朝ですが、じっさいの権力・財政は、地方の豪族に依存していました。そのため、アショーカ王の死をきっかけに、分断がすすみ、インド統一はくずれていきます。

〔……〕現実には地方政治は土着の有力者の協力のもとになされており、さらに、帝国領内には、独立・半独立の勢力や森林の民も、多数存在していた。アショーカは〔……〕忍耐と細心の注意を払いつつ、こうした勢力に対処していると素直に述べている。(p.190)

本書では、崩壊要因を、3つあげています。

・各太守による独立
・財政の破綻
・宗教団体による反乱

さらにもう一つ、著者は、おもしろい仮説を提示しています。

それは、マウリア朝が、100年ちかく安定して統治したことで、周辺地域が豊かになり、それが独立&反乱をまねいた、というものです。

〔……〕1世紀におよぶ帝国統一のあいだに、先進地域から後進地域へと物資・技術・文化が流れ出た。またマウリヤ朝がすすめた国家主導型の経済政策は、後進地域における生産活動や森林開拓、鉱山開発をうながした。その結果、先進地域と後進地域との落差は急速に縮小し、〔……〕諸地域における民族の独立をまねいた。(p.196)

つまり、周辺・辺境が豊かになったことで、独立・分権のながれを引き起こし、マウリア朝は崩壊した。

仮説とはいえ、かなり納得のいくはなしですよね。

マウリア朝が崩壊したあと、インド地域には、目立った統一王朝は、生まれません。

秩序が乱れているようにみえますが、むしろ各地域で商業が発展し、人びとの暮らしは豊かになったとされています。それを示すように、海外交易も活発になり、たとえば、ローマ帝国との貿易も、さかんになります。

ローマ帝国の繁栄した西暦1世紀〜2世紀は、ローマ市民の生活が奢侈に流れた時代であり、南海の産物への需要が増大した。(p.259)

統一王朝ナシでは、秩序は乱れると思いがちですが、この時代のインドのように、経済・商業が発展するケースもあります。

これも歴史の教訓ですね。

その後、「グプタ王朝」が成立し、インド全域をおさめようとしますが、マウリア朝ほど領土を広げることはできません。

グプタが崩壊したあとは、中東地域で生まれた「イスラム勢力」が、進出・侵入してくるまで、小国が分立した状態になります。

年代としては、550年ごろ〜1206年 ─ 約650年間です。世界用語では「ラージプート時代」とよびます。

かなり長いですよね。

このような背景から、つぎの時代になっても、なかなかインド地域全体を統一することはできません。

各地域の独立意識がつよく、団結・統一を呼びかけても、すぐに反発をまねくからです。

その意味では、1500年代以降に、ムガル帝国が全インドをおさめたのが、すごい偉業だとわかります。

ムガル帝国の統治については、こちらの本がわかりやすいです。参考にしてみてください。

おわりに

本書は、古代インドの歴史を、カンケツにまとめています。

カースト制度の成立過程や、統治のなかみについても、くわしく書かれています。

出来事の流れだけでなく、しくみや内容について、深く知りたい方は、たいへん参考になります。

文体もカタくなく、読みやすいです。

初期インド文明を知りたい方は、ぜひチェックしてみてください。

ではまた〜。