【書評】『世界の歴史 20 近代イスラームの挑戦』感想&レビュー

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

きょうは『世界の歴史 20 近代イスラームの挑戦』を紹介します。

本書は、中央公論新社から出ている「世界の歴史シリーズ」の第20巻です。

『世界の歴史 20 近代イスラームの挑戦』の概要

まずは目次から。こんなかんじ。

1 イスラームのいちばん長い世紀
2 ナポレオンとムハンマド・アリー
3 東方問題の開幕
4 アラブ vs トルコ
5 イスラームの文明開化
6 イスラーム国家の破産と領土分割
7 イラン改革とシーア派
8 シルクロードのイスラームとロシア
9 イスラームと民族問題
10 日露戦争から二つの革命へ

本書のテーマは、イスラーム史 ─ 。

近代前後の西アジア地域をあつかっています。

オスマン朝をはじめ、エジプトを独立に導いたムハンマド=アリーや、イラン地域の混乱ぶりを、くわしく描いています。

本シリーズでは共著が多いなか、この巻では山内さんひとりで書かれています。そのため、文体のトーンが統一されているため、たいへん読みやすいです。

また、説明調におちいらず、エンタメ性をとりいれながら記述しているので、飽きることなく読みすすめることができます。

個人的には、日本の近代化と対比してながら描いているのも、わかりやすいポイントかなと思いました。

『世界の歴史 20 近代イスラームの挑戦』のポイント

わたしが気になったのは、つぎの2点。

  • イスラームにとっての近代化
  • 中東にたいするイギリスの思わく

それぞれ、みていきます。

イスラームにとっての近代化

日本の近代化にとって「黒船来航」が、ひとつの転機だったのは、まちがいありません。あの得体のしれない、大型旗艦をみたときに、わたしたちははるかに劣っていると、感じました。

では、オスマン世界のなかで生きる人びとにとって〝西洋の衝撃〟は、いつだったのか?

いっぱんには、ナポレオンによるエジプト侵略のときといわれています。

それまでオスマン側は、ヨーロッパからの侵攻をはねのけてきました。しかし、ナポレオン軍のまえでは、あっさり敗れてしまいます。そして、これが「力の差」をみせつけられた事件であると。

ですが通説に反して、オスマン世界の住人にとっては、ナポレオンによる侵攻は、それほどショックを受けるものではありませんでした。

場所が首都コンスタンティノープルではなく、地方都市カイロだったのも、驚きが少なかった要因です。

いっぽう、ナポレオンの侵略以上よりも衝撃だったのが、エジプト占領をきっかけに、

・キスワ(カーバ神殿の天幕)
・スッラ(巡礼のための義捐金)

が、聖地メッカに送付されなくなったことだった。つまり、ムスリムたちの巡礼が途絶えるようになったほうが、よっぽどショックでした。

ムスリムにとって、イスラームの教えは、なによりも大切です。けれどそれ以上に、イスラーム圏のつながり、つまりネットワークが途切れることが、なによりもおそろしいことでした。

ご存知のとおり、イスラームは「商人の論理」でうまれた宗教です。

商いにとって、交易ルート(=イスラームのネットワーク)の断絶は、生死をかけるはなしでした。メッカへの贈与が途絶えたのは、イスラーム世界が〝ほころんでいる〟ことを、いやでも感じさせるできごとでした。

オスマン世界に生きる人びとにとって、キスワ&スッラの停滞こそが、〝西洋の衝撃〟にあたるものでした。

本書では、トインビーの説をあげて指摘します。

イスラームの巡礼という制度は、それ自体としては外面的に厳格な宗教儀礼のひとつにすぎない。しかし、ひとつの象徴として、それはあらゆるムスリムを一体にむすぶ同胞精神を意味する。それゆえに巡礼が下火になるならイスラーム圏も危殆にひんする〔略〕

─ 1章 p.60

商いの論理から誕生したイスラーム ─ その世界に生きる人びとのリアリティをふまえた、おもしろい指摘です。

中東にたいするイギリスの思わく

ナポレオンの侵攻から約50年後 ─ オスマン朝にたいする「近代化圧力」は、日をおうごとに強まっていきます。とくに力をくわえてきたのが、イギリスでした。

なぜでしょうか?

それは、オスマン帝国がインド洋につながるスエズ地域をおさえていたから、です。

それまでイギリスは南アフリカまわりで、統治下のインドとの交易をおこなっていました。スエズ経由のルートを確保することで、より積極的に海洋貿易を促進しようとします。

そのために、オスマン帝国が弱体化しているすきに、これまで確保できなかったスエズルートをおさえようとします。

近代化させることで、交渉を有利にはこび、海洋覇権をにぎろうとします。

いっけんすると、オスマン帝国のためにしているようにみえます。けれどその真意は、ほかの列強に、インドにつながる交易ルートを〝奪われない〟ようにするためです。

とくに、猛烈に近代化をすすめる北方ロシアを牽制する必要がありました。

オスマンに強くなってもらうことで、ロシアの南下をふせぐ ─ 。あわせて近代化を〝サポート〟することで、かわりに、エジプト地域の交易ルートを認めてもらう ─ 。

〔略〕インドとのコミュニケーションを迅速かつ直接に果たすためにも、ロシアに「病人〔=オスマン〕の部屋の黄金キー」を渡してはならないのである。インドを保全するためには、スエズ地峡がライヴァルの手におちいることを阻止しなくてはならない。

─ 5章 p.189

イヤらしいくらい、自国優先主義の戦略に満ちあふれています。大英帝国をきずいたメンタリティを、ここにみることができますね。

おわりに

以上のように、本書では近代前後のイスラーム世界をあつかっています。

この時代を知るには、もってこいの内容です。

よければ、チェックしてみてください。

では、また。