エーゲ文明の歴史 ─ クレタ文明・ミケーネ文明・地図・場所・宮殿・暗黒時代【わかりやすく解説】

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・エーゲ文明の歴史を知りたい
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・クノッソス宮殿
・ミケーネ・ティリンス
・海の民
・イオニア人
・アイオリス人
・暗黒時代
重要人物
・シュリーマン(考古学者)
・エヴァンス(〃)
ポイント
・海洋文明のクレタ文明は開放的かつ平和的であるいっぽう、ミケーネ文明は巨石による城塞を築くほど戦闘的だった

この記事では、つぎの本を参考にしました。

エーゲ文明の歴史① ─ クレタ文明

クノッソス宮殿の遺跡

いまのところ、古代ギリシャにおいて、さいしょに文明をきずいたとされているのが、クレタ文明です。

時期は、B.C.2000年〜B.C.1450年ごろにかけて。

系統民族は不明で、いまのクレタ島を中心に発展しました。

もっとも有名な建造物はクノッソス宮殿です。それまでに栄えたオリエント文明の影響をうけて、青銅器をつかったモノがぞくぞく発掘されています。

発見された土器には文字も書かれ、これは線文字Aとよばれています。

また、宮殿には城壁がなかったことから、クレタ文明は、たいへん開放的で海洋文明によって発展した、と想像されています。

エーゲ文明の歴史② ─ ミケーネ文明

ミケーネ文明の遺跡 黄金の仮面

つづけて繁栄した文明が、ミケーネ文明です。かれらこそ、いまのギリシャ人の祖先です。さきに興ったクレタ文明に侵入し崩壊させたのち、発展しました。

ミケーネ・ティリンスとよばれる王国をギリシャ本土にきずき、小規模ながらも地域一帯に村や町をきずいていきました。

城は巨大城塞のかたちをとっていることから、ギリシャ人はかなり戦闘的だった、と想像されます。

また、統治制度は王政をとり、貢納王政によって、役人組織が農民から貢納金を徴収していました。

行政組織があったことからも、文化は大きく発達し、クレタ文明と同じように、文字も使われていました。ミケーネ文明の文字は線文字Bとよばれ、英国の学者ヴェントリスによって解読されています。

約400年ほど文明をきずいたミケーネ文明ですが、さいごは出自不明の「海の民」による侵攻に合い、滅亡をむかえます。

なお、発掘史に目をむけると、クレタ文明&ミケーネ文明ともに、何人もの考古学者の努力より発見されました。

代表的な研究者は、つぎのとおりです。

・クレタ文明 → シュリーマン
・ミケーネ文明 → エヴァンス

なかでも、シュリーマンの研究エピソードは物語としてもおもしろく『古代への情熱』として本になっているほどです。

エーゲ文明の歴史③ ─ 暗黒時代

イオニア人の兵士

ミケーネ文明が崩壊したのち、つづいてイオニア人アイオリス人が、ギリシャ半島にむけて南下し、入りこんできます。

かれらはもともと、ミケーネ文明の人たちと同じ時期に文明をきずいていましたが、ギリシャ人が衰退したのをきっかけに、南下してきました。

そのほか、しばらくしてドーリア人も下ってきます。

しかしどの民族も、クレタ文明やミケーネ文明ほど大規模な居住区や組織をつくることはありませんでした。

そのため、B.C.12世紀〜B.C.8世紀のあいだは文明の衰退期間ということで暗黒時代とよばれています。

いっぽう暗黒時代の時期に、ギリシャ一帯に鉄製技術が伝わり、鉄器時代へと移っていきます。

もしかしたら単純に、暗黒時代にさかえた文明遺跡が、まだみつかっていないだけかもしれません。だとしたら、暗黒時代という名称も、変わるかもしれませんね。

おわりに

エーゲ文明の歴史をみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

流れ
① クレタ文明
② ミケーネ文明
③ 暗黒時代
キーワード
・クノッソス宮殿
・ミケーネ・ティリンス
・線文字A/線文字B
・海の民
・イオニア人
・アイオリス人
・暗黒時代
重要人物
・シュリーマン
・エヴァンス

この記事が、エーゲ文明の歴史を知りたい人の参考になれば、うれしいです。

では、また。