【書評】R.ブレグマン『隷属なき道』感想 & レビューです。

どうも、りきぞう(@rikizoamaya)です。

これまで、予備校講師 → ウェブディレクター → ライターと、いろんな職業にたずさわってきました。

働き方についても、契約社員 → 正社員 → フリーランスと、ひと通り経験してきました。

大学院では、労働問題と社会保障を研究してきました。

いまも月10冊くらいのペースで知識をストックしています。

数年まえから AI と BI のカンケーについて盛んに論じられていますね。

経済学者・経営者・社会運動家など、立場もさまざまです。

将来的にそうなるんだろうなぁとはわかりますが、詳しい中身は「?」ってかんじです。

そんなときに、つぎの本が目につきました。

R.ブレグマン『隷属なき道』


著者は、オランダの若手経済学者です。

29歳で本書を自費出版し、じょじょに話題になりました。

いまでは先進各国で翻訳されています。

日本でも、一部で話題になりました。

東京都知事の小池百合子さんも目を通して、政策に取り入れようとしているらしいです。

経済学の知見をつかって、だれもが「1日3時間労働」で、生活をしてのは可能かをテーマに述べていきます。

BI (ベーシックインカム)についてはもちろん、キカイ化がすすむ未来での「働き方」について考えたい人にも、おすすめの1冊です。

R.ブレグマン『隷属なき道』の概要

目次はこんなかんじ。

第1章 過去最大の繁栄の中、最大の不幸に苦しむのはなぜか?
第2章 福祉はいらない、直接お金を与えればいい
第3章 貧困は個人のIQを13ポイントも低下させる
第4章 ニクソンの大いなる撤退
第5章 GDPの大いなる詐術
第6章 ケインズが予測した週15時間労働の時代
第7章 優秀な人間が、銀行家ではなく研究者を選べば
第8章 AIとの競争には勝てない
第9章 国境を開くことで富は増大する
第10章 真実を見抜く一人の声が、集団の幻想を覚ます
終章 「負け犬の社会主義者」が忘れていること
解説 欧州の新しい知性の登場 日本語版編集部



1章で、豊かさのなかの不幸について。

2、3、4章で、お金の直接給付= BI (ベーシックインカム)の内容・効果・歴史について。

5章で、GDP メインの弊害について。

6章で、短時間労働の可能性について。

7、8章で、テクノロジーと豊かさのカンケーについて。

9章で、後進国での BI の可能性について。

10、終章で、将来、BI があたりまえに社会を紹介します。

全体をとおして、ポジティブに描かれています。

やや理想論のニオいがしますが、著者は、不可能な理念(アイデア)が世界を変えてきたと主張します。

あえてユートピアを述べているフシもありますが、読んでいて前向きなキモチになります。

R.ブレグマン『隷属なき道』で気になったトコ

以下、気になったトコを引用しつつ、コメントしていきます。

テクノロジーと BI が普及したときの問題

だが唯一、彼が危惧していることがあった。それは退屈が蔓延することだ。人類は「主に機械の世話をする種族」になり、「深刻な精神的、情動的、社会学的影響」が生じるだろう、と彼は書いた。二〇一四年には、精神医学が最も重要な医療分野になっているだろう。なぜなら、何百万もの人が、膨大な「強制された余暇」の中で目標を見失い、精神を病むからだ。そして『仕事』は我々の語彙の中で最も輝かしい言葉になる、と彼は続けた。(1848)

ここでいう「彼」とは、SF作家・アシモフのことです。

ロボットをテーマにした作品をたくさん出版しましたが、「退屈」こそが問題になると指摘しました。

2014年の未来を描く話も書きましたが、当たっているトコがあって怖いですね。

いまはまだ「強制された余暇」に悩んで、精神科に通う人はありえませんが、あながちまちがっていないかもです。

キカイ化と BI が普及がすれば、まちがいなくヒマになるわけで、その膨大に余る時間を、どう使うか(潰すか?)が、ひとりひとりにとって問題になります。

個人的には、仕事ができる人 / できない人に、階層が分かれていくとみています。

ちなみにですが、近代以前の中世では、1年の半分は余暇に費やしていました。

社会全体からみれば、近代が終焉をむかえ、中世のスタイルに戻りつつあるのかもしれません。

皮肉にも現代のわたしたちに比べると、中世の人々の方が、この豊饒の地の怠惰で満ち足りた生活に近い暮らしをしていたようだ。一三〇〇年頃のカレンダーには、休暇と祭日が溢れていた。ハーバード大学の歴史学者で経済学者であるジュリエット・ショールは、当時は一年の三分の一以上が休暇だったと見積もっている。驚くべきことにスペインではそれが五カ月、フランスでは六カ月に近かった。ほとんどの小作農は、生きていくのに必要な以上には働かなかったのだ。(1960)

豊かになっても、なぜ余暇が増えないのか?

答えは、近代以降の労働は、余暇のためではなく、消費のために働いたからです。

より便利で、より楽しいモノを手にするために、お金を稼ぎ、働くからです。

結果、ヒマにならず、余暇を犠牲にして、せっせと消費活動にはげんできました。

答えは実にシンプルだ。時は金なり。経済成長はさらなる余暇と消費を生み出す。一八五〇年から一九八〇年まで、わたしたちはその両方を手に入れたが、その後、増えたのは主に消費だった。収入が増えず、格差が広がっても、消費の流行は続いた。しかも借金によってである。(1967)

これをうけて、消費のための労働には限界がきていると指摘します。

理由は、賃金もさることながら、すでに豊かになりすぎて、消費意欲が失われつつあるかです。

とはいえ、これはピンチではなくて、余暇を生みだすチャンスともいえます。

八〇年以上を経て、わたしたちもまた同じ状況にある。わたしたちは貧しいわけではない。ただ、賃金労働が皆にいきわたるほどにはないというだけだ。だが、実を言えば、これは朗報なのだ。  なぜなら、十分な余暇を持つというおそらくは最大の課題に対して、準備を始められるからだ。(2064)

余暇の意味を見なおす

「余暇と消費の違いにビンカンであれ」と指摘します。

いまわたしたちが休日にしているのは、ほとんどが消費です。

余暇ではありません。

たとえばテレビ。

観ているときは、休んでいるようにみえますが、じつは知らないうちに「消費欲」を刺激されています。

CMはもちろん、番組のなかでは、買い物にうながすような工夫が施されています。

単純にテレビがワルいというわけではなく、近代社会では、ひとりひとりの消費欲が〝揺さぶられる〟ように、システムができあがっています。

まずはこの事実に気づき、余暇の見なおしをおこなうのが大切です。

本物の余暇は、贅沢でもなければ堕落でもない。それは、身体にビタミンCが欠かせないのと同様に、脳にとって欠かせないものなのだ。死の床にあって、「あともう少し会社にいたかった。もう少しテレビの前に座っていたかった」と考える人はいない。とは言え、たっぷりの休暇に慣れるのは、容易なことではないだろう。従って、二一世紀の教育は、労働力となることを教えるだけでなく、(さらに重要なこととして)人生をいかに生きるかを教えなければならない。「人間は、余暇に飽きることはないだろうから」、一九三二年、哲学者のバートランド・ラッセルは書いた。「受け身で空虚な娯楽に溺れるようなことにはならないだろう」わたしたちは、良い人生を導くことができる。(2130)

「労働=義務」という考えを捨てる

今世紀のどこかの時点で、生きていくには働かなければならないというドグマを捨てることだ。(2759)

消費をひかえ、余暇を見なおしつつ、労働から距離をとっていく──。

21世紀では、この選択をとる人たちが増えていきます。

その理由は、キカイ化がすすめば、働く機会が減り、にもかかわらず、働きたい人は減らず、競争がおきるからです。

そこには富の格差が生まれ、再分配のバランスの支障が出るからです。

社会が経済的に豊かになればなるほど、労働市場における富の分配はうまくいかなくなる。テクノロジーの恩恵を手放したくないのであれば、残る選択肢はただ一つ、再分配である。それも、大規模な再分配だ。(2760)

大規模な再分配こそが、メンバー全員に現金を配る BI(ベーシックインカム)です。

「1日3時間労働」の可能性

著者の意見は〝とっぴ〟なようにみえますが、わたしからすれば〝あえて〟おこなっているようにみえます。

というのも、どんなに〝ありえないアイデア〟でも、時代がくだれば、じょじょにあたりまえになっていくからです。

著者は、長いスパンで物事をみています。

少々時間がかかったが、その「非現実的だ」という批判が、わたしの理論の欠陥とはほぼ無関係であることに気づいた。「非現実的」というのはつまり、「現状を変えるつもりはない」という気持ちを手短に表現しただけなのだ。人を黙らせる最も効果的な方法は、相手に自分は愚かだと思わせることだ。そうすればほぼ確実に口をつぐむので、検閲より効果がある。(3687)

たとえば、女性の社会進出だったり、黒人に参政権を与えたり、むかしは〝非常識〟なか考えも、ひとりひとりが言いつづければ、いずれ現実になります。

著者は、その事実をふまえて主張しているわけです。

じつは、このスタンスは、社会主義というユートピアを非難したハイエクの考え方のようです。

現実主義者が、ユートピアの〝役割〟を見抜いていたのは、おもしろいですね。

新しいアイデアが社会に広がるのに、一世代かかることもあると、彼〔=ハイエク〕は主張した。ゆえに、わたしたちは、「ユートピア主義者になる勇気」を備えた忍耐強い思索家を必要としているのだ。(3528)

おわりに

キカイ化による豊かさと、BI の可能性について、楽観的に描かれています。

AI や BI について、詳しく明確に述べてはいませんが、なんていうか、読んでいてポジティブになれますね。

とくに若い人には、社会全体からみたときのキャリアについて考えさせらる内容です。

すくなくとも年金をもらえない世代の人は、必読本です(笑)

こまかいデータも出てきませんし、わりとササッと読めます。

よければチェックしてみてください。

ではまた〜。