【書評】中山元『労働の思想史』感想&レビューです。

どうも、りきぞう(@rikizoamaya)です。

大学院では、キャリア論と社会保障を研究していました。

社会人なってからは、予備校講師 → ウェブディレクター → ライターと、いろんな職業にたずさわってきました。

働き方についても、契約社員 → 正社員 → フリーランスと、ひと通り経験してきました。

日本の雇用環境が変化してますね。

これまでの働き方、仕事にたいする考え方も変わってきています。

そんなとき、つぎの本が目につきました。

中山元『労働の思想史』


著者は、西洋哲学の翻訳家さんです。

内容は、古代から現代までの「労働観」の流れを解説しています。

端的にまとめられ、サラサラ読めます。

いまの(西洋由来の)日本の働き方を考えるには、最適な1冊です。

中山元『労働の思想史』の概要

目次は、こんなかんじ。

序 労働と仕事
第一章 古代の労働観
第二章 中世の労働観
第三章 宗教改革と労働――近代の労働観の変革(一)
第四章 経済学の誕生――近代の労働観の変革(二)
第五章 近代哲学における労働
第六章 マルクス主義の労働論
第七章 労働の喜びと悲惨
第八章 労働論の功罪
第九章 グローバリゼーションの時代の労働



1章で古代ギリシャの仕事観・労働観。

そこでは「労働」は卑しいものとされていた。いまとは真逆の価値観が広がっていたようすを指摘します。

2章で中世の労働観にふれたあと、3章〜5章で、いまの「労働観」につながる「変革=パラダイムシフト」が起きた流れをみていきます。

ポイントは、宗教改革・市場経済・近代哲学です。

6章〜8章では、近代の労働について考察した論者をそれぞれ取りあげていきます。

中心となる人物はマルクスです。

ラスト9章で、いまの労働におきている現象をとりあげ、シャドウワーク・感情労働についてみていきます。

古代ギリシャから現代の労働観の流れが書かれてあります。

言葉づかいもカンタンで、サラッと読めます。

中山元『労働の思想史』で気になったトコ

以下、気になった箇所をあげて、コメントしていきます。

古代ギリシャの労働&仕事

うえにのべたとおり、古代ギリシャでは、労働は「卑しいもの」、それゆえに、奴隷が担うものとされていました。

古代のギリシアでは、このような必然性にしたがう営みは、自由な市民にはふさわしくないものとみなされた。だからポリスの自由な市民は、農耕や調理のような「労働」を嫌って、市民に含まれない女性や奴隷に押しつけたのだった。(0164)

それをふまえて、同時のギリシャ都市をみたアリストテレスは、人間の行為・階層は4つ分かれていると指摘しました。

  • 奴隷 → 労働
  • 職人 → 仕事
  • 政治家 → 活動
  • 哲学者 → 思索
  • 下にいくほど、階層を上がっていきます。

    人間の行為のうちに労働、仕事、活動、思索というヒエラルキーが成立する。 そこから、四種類の人間像が生まれる。これらは、労働に従事する奴隷、仕事に従事する職人、活動に従事する政治家、思索に従事する哲学者であり、労働が最も卑しい営みであり、思索がもっとも望ましい営みであるとみなされることになる。(0208)

    ちなみに、職人の「仕事」とは、いまでいう「創作」に近いです。

    政治家の「活動」も、自己利益(私欲)を考えない「公共活動」「慈善活動」に近い考えです。

    ポイントは、いまの近代社会とは、真逆の価値観が広まっていた点です。

    近代では、労働がもっとも「尊いもの」とされ、政治活動や思索・思考は、〝二の次〟とらされます。

    この事実だけでも、驚きじゃないですか。

    さらにいえば、いまは近代の転換点をむかえているため、ふたたびギリシャ型の労働観・仕事観に戻りつつあるということです。

    背景には、テクノロジーの進化によって「労働」がキカイに代替されていく状況があります。

    かつて奴隷がしていたふるまいをキカイが代替することで、人間の行為が「仕事」「活動」「思索」に移っていくイメージです。

    労働にたいする価値観の変化

    古代ギリシャ〜中世にかけては、労働は〝下見られて〟いました。

    それがいまのように「イチバン尊いもの」とされたのは、資本主義(市場経済)が盛りあがる近代に入ってからです。

    というのも、資本主義を支えるためには、労働(者)が、不可欠だったからです。

    資本主義的な市民社会が確立されるためには、否定的な刻印がまだ残る労働についての考え方が根底から覆される必要があった。資本主義が開花するためには、労働そのものが肯定的なものとして積極的に評価されることが必要だったのである。労働そのものにたいする評価が向上するのと並行するかのように、資本主義と市民社会の時代である近代の幕が開ける。このような労働の評価の変動こそが、近代を作りだしたとも言えるのである。(0409)

    資本主義は、キホンとして「労働力」の「余剰分」をテコにして発展していくので、時間を切り売りして生活を維持をする「労働者」がなくてはなりませんでした。

    近代哲学 → 労働こそが人間の価値

    しくみとしては、資本主義の普及によって、「労働=尊い」とされました。

    それをふまえて、近代哲学でも人間の価値は「労働」によって決まるとされました。

    アダム・スミスは、とくにそうです。

    スミスにおいて労働という営みが、市民社会の根底を支えるものであることが、明確に示されたことは重要である。(0747)

    マルクス → 近代における労働を批判

    しかし、ある種〝牧歌的な近代の労働観〟を批判したのがマルクスでした。

    じつは、近代における労働者は、資本家(経営者)に、対価以上の「労働力」を提供していて、搾取されている、と指摘しました。

    本書では、パン工場長とパン職人を例に、この問題をとりあげている。

    資本家は、この八時間一万円の交換価値で、パン職人の労働力を購入した。パン職人は、この時間において、自分の技能を使って具体的な労働をしなければならない。この契約は、たがいに平等な交換価値の交換として行われているのであり、同じ価値が交換されている。しかしパン職人の使用価値を作りだす労働そのものは、この八時間のうちで、その交換価値の妥当する価値よりも多くの価値を作りだすことができる。そして資本家はその分をパン職人に与える必要はない。その労働はすでに買い取ったものだからである。この剰余分が、剰余価値を作りだすのである。(1255)

    すこしムズかしい言葉つがいですねぇ。。

    わかりやすくいうと、労働者は、「使用価値」分の労働力を提供すればいいはずなのに、資本家(経営者)は「交換価値」(=マネー&資本)に変えたいがために、労働者から「使用価値」以上の価値を〝むしりとる〟ということです。

    ちなみに、なぜ労働者は抵抗できないかといえば、すでに給料というカタチで、労働者を買い取っているからです。

    どうです、コレって、いまのサラリーマンと同じ構図じゃないですか?

    サラリーマンというと工場で働く「労働者」のイメージはないかもですが、しくみとしては同じです。

    必要以上に、労働力を〝むしりとられている〟わけです。

    労働の問題点──3つの批判

    マルクスをふくめて、近代の労働にたいしては、3つの批判ポイントがあります。

    1. 搾取
    2. 環境破壊
    3. 生そのものの破壊

    は、マルクスが批判した点です。

    は、ハイデガーを中心に、技術・環境にスポットをあてた批判です。

    人間は、労働を武器にして、自然のエネルギーを〝掘り出し〟〝あばき出し〟、 浪費しているという指摘です。

    は、もともと人間を豊かにするはずの労働活動が、その行為をおこなうことで、人間の尊厳を破壊する、という指摘です。

    感情労働の文脈で語られがちですが、いまでは大して生産性のない作業を、延々とやらされるサラリーマンなどにも、あてはまる問題です。

    これら3つの問題は、近代の労働をつづけるがきり、つねに問題になるテーマです。

    おわりに

    西洋哲学の視点から、労働観の流れ(変遷)をおさえた名著です。

    たんに教養として読むのいいですが、なぜいまサラリーマンみたいな「働き方」がフツーなのか、なぜ労働がもっとも尊いものかを理解するには、最適な1冊です。

    とくにいまは近代社会の価値観がグラグラ揺らいでるので、「労働=尊い」とは必ずしも言えなくなっています。

    キカイ化がすすめば、ますますそうなるでしょう。

    みずからの仕事観を考えるためにも、目を通しておいて損はありません。

    よければチェックしてみてください。

    ではまた〜。