どうも、りきぞうです。
大学院では、キャリア論と社会保障を研究していました。
社会人なってからは、予備校講師 → ウェブディレクター → ライターと、いろんな職業にたずさわってきました。
働き方についても、契約社員 → 正社員 → フリーランスと、ひと通り経験してきました。
働くなかで思うのは、自分の市場価値をアップするには「教養」が大切だということ。
「発想がすごいなぁ」
と、思う人は、キホン、教養を身につけています。
なかでも、重要なのは「世界史」です。
ここ数年、ビジネスマンの基礎知識として「世界史」が注目をあつめています。
ネット時代をむかえ、グローバル化が加速しているからです。
外国との交流が増えたことで、日本だけではなく、地球全体の歴史を知る必要が出てきました。
とはいえ、世界史は範囲も広く、どこから手をつければ良いか、わからないですよね。
分量も多くて、なんだかムズかしそう。。
そこでおすすめしたいのが、大手出版社から出ている「シリーズ本」を読むこと。
なかでも、こちらのシリーズは、さいしょに手にとってほしいです。
中央公論社が出した「世界の歴史」シリーズで「旧版」にあたるものです。
中公は、2000年代に、あらたに「世界の歴史」シリーズを刊行しました。
こちらを「新版」とよび、以前のシリーズは「旧版」といわれます。
じつは〝読みやすさ〟でいえば、「旧版」のほうがすぐれています。
「新版」のほうは、どちらかといえば「研究者」「玄人」むけ。
世界史の流れを理解・把握するには適していません。
絶版なのが難点ですが、古本屋 or ネット通販をつかってゲットしてほしいと思います。
…
きょうは、第9巻にあたる
を紹介したいと思います。
「9」では、中国地域・[宗教戦争〜絶対王政の確立]までをあつかっています。
年代としては、1600年〜1800年ごろにあたります。
目次
田村実造『世界の歴史 9 ─ 最期の東洋的社会』(中公・旧版)の概要
まずは目次から。
こんなかんじです。(※ こちらの都合で、番号をふりました。)
02 北京と南京
03 アジアの嵐
04 創業から守成へ
05 賢君と暗王
06 蒼き狼の子孫と八幡船
07 権臣政治の時代
08 激変する社会
09 明代文化の庶民性
10 破局への道
11 満洲からきた王朝
12 世界帝国への夢
13 中国支配の自覚症
14 「五族協和」
15 十字架をかけた人びと
16 村と都会
17 文運栄える乾・嘉
18 満州族支配の落日
19 朝鮮の専制国家
20 三大陸にまたがる帝国
21 インドの征服王朝
22 大砲をのせた商船
1〜10で明王朝。
11〜17で、清王朝。
18で、近世朝鮮の歴史。
19で、中東のオスマン帝国。
20で、インドのムガル帝国。
21で、ヨーロッパ諸国による貿易競争についてあつかいます。
オスマン帝国&ムガル帝国は、1章分しかありません。
とはいえ、コンパクトにまとまっているので、ざっくり知りたい方には、ちょうどいいかもです。
全体として、文体もカンケツで、読みやすい。
内容については、政治・経済・文化 ─ ジャンルをバランスよくあつかっています。
田村実造『世界の歴史 9 ─ 最期の東洋的社会』(中公・旧版)の詳細
以下、気になったトコを、カンタンにみていきます。
ポイントは、つぎのとおり。
- 明時代の社会変化
- 清の統治方式
- 康煕帝の人がら
ひとつひとつ、のべていきます。
明時代の社会変化
明は、元(モンゴル人による王朝)への反発から、漢民族を中心とした国づくりがなされました。
王朝の〝色〟が変わったのもおもしろいです。
けれどそれ以上に、民衆・社会のほうも大きく変化しました。
こちらのほうが興味ぶかい。
以前は、農民が貧しくなれば、土地をはなれ、小作人 or 農奴になるのがフツーでした。
いっぽう明時代では、土地をなくした農民たちは、都市にでるようになります。
都会に出て、商売をはじめ、そこで〝食いぶち〟を確保したわけです。
農民が困窮して土地をはなれることは、中国ではいつの時代でもあることで、ことに王朝の末期にはよくみる現象である。しかし〔……〕土地をはなれた農民の大部分が都市に出て、なんらかのかたちで生活の場所をみつけているところに特色かある。(p.128)
つまり明時代には、地方の働き手を包括できるくらい、都市が発展していた、ということです。
産業構造も、農業だけでなく、高利貸しをはじめ、さまざまなビジネスがうまれていたと予測できます。
〔……〕江南地方では大小の都市が発展して、農村の失業人口を吸収したわけである。〔……〕人口の移動からみて、〔……〕長江下流域のデルタ地帯では、経済産業構造のうえに、かなりの変化がおこりつつあったとかんがえられる。(p.128)
おそらく同時代でも、明時代の中国ほど商業が多様化した地域は、なかったかもしれませんね。
もうひとつおもしろいのは、同じ地方出身者でも、商売のうまい地域と、ヘタな地域があったこと。
山西商人、新安商人とよばれ、2つの地方出身者は、ビジネスセンスに長けていたそうです。
日本でいう「近江商人」みたいなかんじです。
おもしろいことに、この時代の商人には特定の地方の出身が多かった。ちょうどわが国で近江商人の名だかいのと同様である。明の中ごろまでは山西商人の活動がめざましかったが、〔明末〕になると、新安商人が覇権をにきった。(p.141)
こういうところからも、農業だけなく、ビジネスのハバが広がっていたのがわかります。
清の統治方式
明につづいて、中国をおさめたのが「清王朝」です。
明とはちがって、清は広大な土地をおさめました。
ちょうど、2倍くらいの差がありました。
しぜん、統治方式には違い・工夫がうまれます。
八旗制
たとえば、有名なとこでいえば、軍事のしくみについては「八旗制」を導入したこと。
これは、満州族の「狩の手法」を軍隊に応用したもの。
色分けしたグループにわけて、包囲陣をくみつつ、エモノを追いつめる戦法です。
清の太祖ヌルハチは、満州族に国民皆兵制をしいた。その軍隊を八旗兵とよび、その編成法は、かれらの狩猟生活からあみだされた巻狩りの制を応用したものであった。
〔……〕まず獣をおいだす場所をきめ、そこに黄色い旗をたてて主領が陣どり、そこから藍色の旗を先頭にした部隊が左右にわかれて山をとりかこみ、包囲陣をつくる。その円陣に沿った中間に、紅色と白色の旗をたて、それから、黄旗のほうにむかって包囲陣をせばめていくのである。(p.198)
これをベースに統制をしき、軍事力を強化しました。
また清では、モンゴル人・漢人など、多様な民族を包括していました。
民族ごとにわけて、八旗制を導入していました。
八旗とは、軍隊の旗じるしに、〔……〕黄・白・紅・青の4色旗と、これをふちどった4旗をくわえたものをさすのである。〔……〕のちにモンゴル人・漢人が投降してくると、かれらは八旗制を適用して、それぞれモンゴル軍八旗・漢軍八旗とよぶようになった。(p.199)
統治方式
軍事のほか、地方行政についても、効率よく統治できるように、工夫をこらします。
帝国では、直接統治エリア / 間接統治エリアにわけて、ルールを柔軟につかいわけていました。
〔……〕清朝の統治方式は、〔……〕まず帝国を直接統治区域と間接統治区域とにわけた。前者はさらに、満州と中国本土の2つにわかれる。このうち満州は、清朝の出身地なので満州八旗を主体とする軍政組織、中国本土は内閣、六部を最高機関とする中央集権的官僚組織によった。(p.306)
モンゴル地域・新疆地域など、各地固有のルールはそのままに、ある程度の自治をみとめていました。
こうしてムリのない国づくりをおこなったわけです。
間接統治区域は、内外モンゴル、新疆のイスラム – トルコ、青海 – モンゴル、それにチベットである。これらの民族には、それぞれ固有の制度による、ある程度の自治がゆるされた。(p.306)
そのために清王朝は、広大な土地にもかかわらず、長く存続することができました。
康熙帝の人がら
清王朝について、さけて通れないのは、皇帝の存在です。
なかでも4代「康熙帝」は、当時から名君として知られていました。
ちょうど、ポルトガル宣教師がそばにいました。
かれらがヨーロッパに帰還したさいに「報告書」を広めたため、人びとのあいだでも知れわたるようになります。
おもしろいことに、この時代、フランスでは「ルイ14世」が、ロシアでは「ピュートル大帝」が実権をにぎっていました。
同時期に、魅力的な人物がうまれるのは、世の中の動きが関係しているのかもしれませんね。
17世紀から18世紀前半にかけて、くしくも東西に個性の強烈な大型君主が〔……〕うまれた。西にはフランスのルイ14世、ロシアのピュートル大帝、東には康熙帝をあげることができる。(p.223)
康熙帝の人がらを一言でいえば、寛容さと親しみやすさです。
おそらく本人が満州族出身ということで、多くいる漢人をおさめるには、みずからが〝身を正さない〟といけないと思っていたんでしょうね。
じゃないと民族をタテに、すぐに内乱が起きてしまうので。
康熙は、中国歴代の帝王のうちでも、屈指の名君にかぞえられる。その60年の治世のあいだ、何人も包容する寛容さと、日夜民衆の福祉を祈願する善意をもって、世界国家ともいうべき清帝国に平和と繁栄と光輝をもたらたのである。(p.224)
そのためには贅沢をせず、民衆のためになる政策を心がけました。
できるだけ税負担を軽くし、自身の宮廷ではムダな出費は、徹底的におさえることにしました。
国土人民を私有財産とかんがえた明の皇帝と、善政をねがった清の皇帝とでは、その生活ぶりはたいへんちがっていた。〔……〕清朝ほど人民に負担をかけなかった王朝は歴史はじまって以来なかったということになる。(p.242)
細かいとこをあげれば
・宮殿の部屋数 → 明の 3/10
・使用人の数 → 明:10万人 / 清:400〜500人くらい
といったかんじです。
さいごは地方官の横領により、王朝自体が財政難に陥ることになりました。
とはいえ、300年以上にわたり存続できたのは、清帝国の統治システムと、皇帝の「人がら」「徳」に要因があったといえます。
おわりに
旧版ながら、この「世界の歴史」シリーズは、かなり読みやすく、おすすめです。
ムズかしい用語を、ほとんどつかわず、一般の人がみても、わかるように書かれています。
なにより、知的好奇心をうながすように、歴史をたどるため、読んでいて飽きません。
ざっくり、かつ、ある程度、くわしく世界史の流れを知りたい人には、もってこいの1冊です。
よければチェックしてみてください。
ではまた〜。

