【書評】杉山正明『遊牧民から見た世界史』感想&レビューです。

どうも、りきぞう(@rikizoamaya)です。

大学院では、キャリア論と社会保障を研究していました。

社会人なってからは、予備校講師 → ウェブディレクター → ライターと、いろんな職業にたずさわってきました。

働き方についても、契約社員 → 正社員 → フリーランスと、ひと通り経験してきました。

働くなかで思うのは、自分の市場価値をアップするには「教養」が大切だということ。

・できるなぁ
・発想がすごいなぁ

と、思う人は、キホン、教養を身につけています。

なかでも、重要なのは「世界史」です。

ここ数年、ビジネスマンの必須知識として「世界史」が注目をあつめています。

ネット時代をむかえ、グローバル化が加速しているからです。

世界史といえば、4大文明エリアがメインですが、ほかの地域にも目を配っておく必要があります。

なかでも、ユーラシア大陸・草原地域で活躍した「遊牧民」の歴史は大切です。

西洋 / 東洋をつなぎ、交易ネットワークを広めた意味では、たいへん重要です。

とはいえ、遊牧民の歴史は、研究・調査がスタートしたばかりで、あまり体系化されていません。

フツーの人が、全体の流れを把握するのも、一苦労です。

そんなとき、つぎの本をみつめました。

著者は、モンゴル史研究の第一人者です。

日本では、かれの研究によって、遊牧民の存在が見直されました。

それくらい、業績をのこし、影響力のある方です。

本書は、かれの主著で、遊牧民の流れを、詳しく、かつ、大まかにみていく内容になっています。

構成もスッキリしていて、文体もカタくない。

遊牧民の歴史を知るには、おすすめの1冊です。

杉山正明『遊牧民から見た世界史』の概要


さいしょに、ユーラシア大陸(モンゴル草原)の自然環境にふれます。そのあと、気候変動が、遊牧民にあたえた影響について述べていきます。

つぎに、東西にまたがり草原地域をおさめた、代表的な民族をあげていきます。

ざっとみると、以下のとおり。

スキタイ&匈奴

ウイグル

キタイ

モンゴル帝国

各民族の特徴をみながら、遊牧民の歴史をたどっていきます。

そのうえで、目次は、こうなっています。

1 民族も国境もこえて
2 中央ユーラシアの構図
3 遊牧国家の原型を追って
4 草原と中華をつらぬく変動の波
5 世界を動かすテュルク・モンゴル族
6 モンゴルの戦争と平和
7 近現代史の枠組みを問う

1〜2で、ユーラシア大陸の自然環境、遊牧民の特徴をざっとみていきます。

3〜6で、各民族を順々におっていき、7で、いまに与える遊牧民の影響について述べます。

興味あるところからチェックしてもいいですが、個人的には、1・2は、さいしょに読むことをおすすめします。

全体の概要にあたるトコなので。

杉山正明『遊牧民から見た世界史』の詳細

以下、気になったトコをみていきます。

スキタイ&匈奴にみる「遊牧民」の特徴

遊牧民は、むかしから存在していました。

しかし、かれらは「文字」で記録する文化がなかったので、くわしいことはわかっていません。

さいしょに文献資料として登場するのは、ほかの国での記述です。

はじめて遊牧民についてふれた、著者&著書は、つぎのとおりです。

アテネ(ヨーロッパ) → ヘロトドス『歴史』
漢帝国(中国) → 司馬遷『史記』

「歴史の父」といわれるふたりですが、両者ともに、当時のようすを描いた著書のなかで、遊牧民についてふれています。

ヘロトドスは「スキタイ」とよび、司馬遷は「匈奴」と記しました。

ふたりのあいだには、300年ほどのひらきがありますが、紀元前のころから、遊牧民が、ユーラシア大陸・草原地域をおさめていた可能性をうかがわせます。

本書では、ヘロトドス&司馬遷の記述にもとづいて、遊牧民(=スキタイ&匈奴)の特徴をあげていきます。

スキタイの特徴

ヘロトドスは、スキタイが5つの階層から成ると指摘しました。

① 農耕・通商
② 商業風の農業経営
③ 純粋な農業民
④ 遊牧民の諸集団
⑤ 遊牧民の王朝

都市国家「アテネ」など、農耕文明の人たちにとって、遊牧民といえば、戦闘的で、野蛮なイメージがあります。

けれど、じっさいには、武力で侵略してくるのは、ごく一部であり、たいていは、農業・商業を営んでいました。

一部のトップ層(④&⑤)が実権をにぎり、ときおり、ギリシャの都市国家に侵略していました。

バルバロイ(=野蛮人)といわれるほど、凶暴ではなく、それほど侵略行為をはたらいていません。

その意味で、スキタイという国家があったわけでなく、核となる一部の階層が「国家」とよべるくらいのものでした。

スキタイは、遊牧民が中核となった「国家」ではありえても、スキタイという「民族」単位の遊牧民族国家ではありえない。(p.116)

フラットなつながりで、ユーラシア大陸全体をおさめていたと思いがちですが、ちがいます。

しっかり階層化されて、トップ層の一部が、民族をまとめ、他国に侵略・進出していました。

コレは、おぼえていきたい事実ですね。

匈奴の特徴

時代はくだって、司馬遷も、遊牧民について、同じように記しています。

横のつながりを保ち、一気に侵略するというより、タテに階層化され、草原地域を3つにヨコにわけて統治していました。

ヘロトドスより、司馬遷は、より具体的に、統治システムの特徴をあげます。

・十進法による、軍事・政治・社会組織がつらぬかれていた
・南地域に面して、左・中・右の部分から、三分割で統治していた
・領民・分地をもつ、24人の「万騎」による連合権力体

本書は、司馬遷の記述をふまえて、君主を軸にした「左右両翼体制」だと指摘します。

そのために、司馬遷がつかえ、沿岸・川岸に国を築いた「漢帝国」は、いつも遊牧国家「匈奴」に苦しめられていました。

〔……〕漢帝国にとって、宿命の強大な敵国となった匈奴帝国が、本拠地、モンゴル高原の自然形態に見事なほどのっとり、東方・中央・西方という横ならびに国を構えていること、しかもそれらの大三部分をあわせてた全体で、あたかも鶴が翼をひろげたようなかたちをつくり、北から大きく南の中華地域をおしつつむごとく威圧していた〔……〕(p.165)

スキタイ&匈奴の特徴から、遊牧民は、しっかりとした統治制度のもとで、ユーラシア大陸・草原地域をおさめていたことがわかります。

たいへんおもしろい事実ですよね。

キタイ国家の発展&拡大

遊牧国家の代表といえば「モンゴル帝国」です。

けれど発展&繁栄の原型は、まえの時代の統治者、キタイ国家のころにつくられていました。

遊牧国家にとってイチバンの弱点は、拠点となる住居・都市をもたないために、分裂・崩壊しやすいことでした。

800年代〜1000年代に範囲を広げたキタイ国家は、人びとを「遊牧民 / 定住民」にわけたうえで、遊牧地域・農耕地域を同時におさめます。

2つの地域をベースに、統治システムをつくりあげていきました。

キタイ国家は、そのなかに遊牧社会と農耕社会をつつみこみ、その点でいえば、「牧農複合国家」とでも表現される構成となった。〔……〕三重・四重の複合構造となった国内を、遊牧民と定住民の二大体系に区別し、それにもとづく二重の国家・行政・社会体制をしいたのである。(p.332)

さらに、フクスウの都市を築き、遊牧民たちが、自由に往来できるように促しました。

それにより、各都市のつながりを深め、バラバラにならないようにしました。

結果、分裂・分散のリスクを回避できるようになりました。

本書のコトバでいう「牧農複合国家」の統治制度が、モンゴル帝国にも継承され、ユーラシア大陸全体をおさめることにつながりました。

遊牧国家といえば、チンギス=ハン率いる「モンゴル帝国」を思いだしますが、それまでの経験・蓄積があったからこそ、あれほどの範囲をおさめることができたわけです。

このあたりも、遊牧民の歴史をたどることで、わかることですよね。

武力で拡大したというより、都市&国家のつながり強化することによって、範囲を広げていきました。

繁栄の秘訣は、ネットワークづくりのうまさにあったわけです。

このあたりは、いまの会社組織にもいえることではないでしょうか。

冷静に原典資料と客観事実の語ることを眺めれば、モンゴルはユーラシアにおける草原の軍事力を史上もっとも広域かつ有効に組織化したのである。〔……〕そこには人種主義による人間差別は、ほとんど〔……〕存在しなかった。〔……〕モンゴル拡大の核心は、仲間づくりのうまさにあるといってよい。戦争といっても、よほどの例外をのぞき、じつはモンゴルはほとんど戦っていない。(p.373)

〔……〕当時のモンゴルたちの観念に言いなおすならば、「敵」(ブルガ)をなるべくつくらず、「仲間」(イル)をたくさんふやすことなのである。この点にこそ、モンゴル世界帝国の鍵があった。(p.374)

経済優先のいまの社会では、モンゴル帝国のやり方・方針に、学ぶトコが、たくさんありそうですね。

おわりに

日本にとって、遊牧民の歴史は、あまり縁がありません。

研究成果も乏しく、なかなか理解・把握しにくい地域です。

そのなかで、本書は、遊牧民の特徴&流れをカンケツにまとめています。

洞察も深く、教養を身につけることにも役立ちます。

よければ、チェックしてください。

ではまた〜。