【書評】北村厚『教養としてのグローバル・ヒストリー』感想&レビューです。

どうも、りきぞう(@rikizoamaya)です。

大学院では、キャリア論と社会保障を研究していました。

社会人なってからは、予備校講師 → ウェブディレクター → ライターと、いろんな職業にたずさわってきました。

働き方についても、契約社員 → 正社員 → フリーランスと、ひと通り経験してきました。

働くなかで思うのは、自分の市場価値をアップするには「教養」が大切だということ。

・できるなぁ
・発想がすごいなぁ

と、思う人は、キホン、教養を身につけています。

なかでも、重要なのは「世界史」です。

ここ数年、ビジネスマンの必須知識として「世界史」が注目をあつめています。

ネット時代をむかえ、グローバル化が加速しているからです。

世界史では、エリア別の流れも大切ですが、地域間の交流・交易にも目をくばる必要があります。

とはいえ、ひとくちに交易といっても、あつかう年代も長く、範囲も広い。

理解するのも、一苦労です。

そんなとき、つぎの本をみつめました。

著者は、世界史の研究者。

地域間のネットワークに注目する「グローバル・ヒストリー」をベースに、世界史における交易の流れをたどっていきます。

そのさい用いる素材は、高校世界史Bの教科書 ─ 。

専門用語は使わず説明しているので、理解しやすいです。

構成もスッキリしていて、文体もカタくない。

交易の歴史を知るには、おすすめの1冊です。

北村厚『教養としてのグローバル・ヒストリー』の概要

せまい範囲での交易は、ずっとまえからおこなわれていました。それが、15世紀の「大交易時代」をキッカケに、地球規模にまで拡大します。

本書では、その時期をターニングポイントとしつつ、人類がつなげてきた「交易ネットワーク」の歴史をたどっていきます。

目次は、こんなかんじです。

はじめに
プロローグ ネットワークの黎明
第1章 ユーラシア・ネットワークの形成 ─ 前1千年紀〜後2世紀
第2章 民族大移動の時代 ─ 3〜6世紀
第3章 東西の大帝国 ─ 7〜9世紀
第4章 海洋の発展と大陸の分裂 ─ 10〜12世紀
第5章 大モンゴルのユーラシア ─ 13世紀
第6章 ユーラシア・ネットワークの危機 ─ 14世紀
第7章 大交易時代の到来 ─ 15世紀
第8章 世界の一体化 ─ 16世紀
第9章 大交易時代の終焉 ─ 17世紀
第10章 アジア/大西洋の分岐点 ─ 18世紀
第11章 不平等なネットワークの構築 ─ 19世紀前半
第12章 ネットワークの緊密化と「帝国」 ─ 19世紀後半
エピローグ 20世紀から現代へ
おわりに

プロローグで、むかしから人類がつなげてきた、代表的な交易ルートを3つあげます。

3つのルートを基準に、各地域のつながりをみながら、時間をくだる構成になっています。

目次で、あつかう年代を記しているのは、ありがたいですね。

1章から順々に目を通すのがベターだと思います。

交易ネットワークの拡大プロセスを、じっくりたどることができますので。

もちろん、気になる、時代&エリアの箇所を、さいしょに読むのもオーケーです。

各章のはじめに、「年表」と「その時代を示すキーワード」が記されています。

ザッとみれば、年代の特徴をつかむことができます。

このあたりも、読み手のキモチを考えてくれています。

北村厚『教養としてのグローバル・ヒストリー』の詳細

はなしの前提として、人類がつないできた、代表的な交易ルートを3つあげます。

① 草原の道
② 砂漠の道
③ 海の道

ポイントは、すべてユーラシア大陸を中心に形成された点です。

いま、航海技術がすすみ、アメリカ大陸をふくめた、太平洋&大西洋の貿易がさかんです。

けれど、長いあいだ、人類は、ユーラシア大陸を軸に、交易ネットワークをつくってきました。

本書では、この3つが、もっともよく使われてきたルートだとします。

もちろん、いきなりできたわけでなく、長い年数と、いくつかの技術革新をへて、つくられてきました。

それぞれの道において、キッカケとなった技術(テクノロジー)は、つぎのとおりです。

① 草原の道 ← 騎乗の技術
② 砂漠の道 ← カナートの技術
③ 海の道 ← 季節風航行の技術

たとえば、「① 草原の道」は、人が馬を乗りこなすことで、はじめて開拓できたルートです。

オアシスが点在する場所なので、「人間の足」だけでたどろうとすれば、資源・食料不足におちいり、倒れてしまいます。

馬に乗ることで、移動スピードがあがり、その分より遠くに行けて、点在するオアシスを渡れるようになります。

それにより、広範囲に道がつくられ、結果、草原の道といえる交易ルートができたわけです。

こんなふうに、さまざまな知恵・経験・技術革新をふまえて、交易ネットワークはつくられました。

本書は、以下3つのルートを軸に、各年代&地域をたどっていきます。

以下、気になったトコをみていきます。

モンゴル帝国による交易ネットワークの形成

本書は、14世紀・大交易時代をキッカケに、地球規模での交易ネットワークが築かれた、という立場をとっています。

航海技術の発展により、ヨーロッパ諸国が、海洋貿易に乗りだしたからです。

しかし以前にも、地球規模で交易ネットワークをつくりあげた国がありました。それが「モンゴル帝国」です。

ユーラシア大陸・中部から、範囲を広げたモンゴル帝国は、東は中国地域、西は中東地域まで、領土を拡大します。

それにともない、ユーラシア大陸全体で、交流・交易がおこなわれました。

もちろん、はじめは武力による侵略でしたが、いったんおさめてからは、領地・領土間のやり取りは、キホン自由でした。

結果、交易の流れもスームズで、経済活動も活発におこなわれます。

うえにあげた3つのルートもすべてつなげて、それぞれの地域を発展&繁栄させます。

13世紀末に、草原の道、オアシス道、海の道が有機的に結びつき、ネットワークの円環が実現された。大モンゴルのユーラシアとは、大帝国によって統合された大陸と、その恩恵を享受して繁栄する自由な海との理想的な統合だったのである。(p.108)

1301年、大モンゴルを約35年にわたり分断してきたハイドゥの乱が終息した。これにより、ユーラシア・ネットワークの海洋と大陸との円環が、真の意味で完成した。大都までつながる海の道、カラコルム〜キエフまでつながる草原の道、大都からタブリーズまでつながるオアシスの道 ─ これらは地中海交易圏のネットワークと連結し、さらに、インド洋・南シナ海のムスリム商人の道とつながった。(p.109)

衰退要因

では、ユーラシア大陸全体をおさめたモンゴル帝国は、なぜ衰退してしまったのでしょうか。

なぜ、広範囲につながった交易ネットワークは、途絶えてしまったのでしょうか。

イチバンの要因は「寒冷化」です。

モンゴル帝国が、大陸全体を統治したあと、1300年代・初頭に、「寒冷化」の波がおそいます。

それにより、作物が育たず、農業は疲弊 ─ 。結果、経済のつながりも弱くなっていきます。

寒冷化はおさまらず、最終的には、交易ネットワークも途絶えてしまいます。

もちろん、帝国内の権力争いも、要因の1つですが、大きな視点でみると、

寒冷化 → 農産物の減少 → 経済活動の低下 → 交易の衰退

と、判断するのが妥当です。

こんなふうに、自然環境・気候条件は、いつの時代も、統治システムや交易ネットワークのあり方を変えてきました。

これは歴史をみるうえで、大切なポイントです。

ポルトガルによる海洋進出

いまのグローバル経済は、ヨーロッパ諸国&アメリカ主導で、つくられてきました。

そのさいしょのスタートは、15世紀の「大交易時代」です。

ヨーロッパ諸国で、先陣をきったのは、「スペイン」と「ポルトガル」でした。

両国とも、イベリア半島に位置して、大西洋に面しています。

むかしから、海洋貿易がさかんにおこなわれ、航海技術も高い ─ 。

いくつかの要因が重なり、大西洋&太平洋をまたにかけて、交易をおこなっていきます。

オスマン帝国 vs ポルトガル海洋帝国

とはいえ、スペインもポルトガルも、ラクラクと海外貿易をしていたわけではありません。

最大のライバルは、[中東地域 → 紅海 → インド洋]をおさめる「オスマン帝国」です。

なかでもスペインは、東地中海の覇権をめぐって、オスマン=トルコと、何度も争います。

しかし、経済力・軍事力でおとるスペインは、オスマン帝国との海洋交易争いに敗れます。

東地中海では海上覇権をとりもどすべく、ヴェネツィアとスペインの連合艦隊が、オスマン海軍に挑んだ。しかし1538年、プレヴェザの海戦で大敗し、東地中海の制海権は、オスマン帝国ががっちりと掌握した。(p.150)

ポルトガルの特異性

いっぽう、ポルトガルも、オスマン=トルコと、はげしい覇権争いをおこないます。

スペインと同じように、武力競争にやぶれ、劣勢に立たされます。

同じく1537年、オスマン帝国はインド北西部ディウのポルトガル要塞を攻撃する。ポルトガルはディウやホルムズから紅海・ペルシャ湾に進出しようとしていたが、いずれもオスマン帝国によって阻止されたのである。(p.152)

しかし、軍事争いに負けたポルトガルですが、交易ネットワークをおさえることには長けていました。

以後、ポルトガルは海洋交易の覇権をにぎりますが、本書では、その要因&特徴を3つあげます。

① 港市を軍事占領
② 交易ルートの独占
③ 遠方海域の支配

たとえば、ポルトガルは、ほかの国と軍事争いをするにしても、「領土拡大」のために軍事衝突することはありません。

あくまで、交易の拠点(要塞)を築くために争います。

それまでの帝国は、大陸など領土を広げるために、軍事力をつかいました。

いっぽう、ポルトガルは、交易ネットワークをつなぐ拠点づくりのために、戦争を起こしました。

これまでの海洋ネットワークにおいて国家が支配するのは、自国の沿岸部の港市、つまりネットワークをむすぶ点であり、線ではなかった。ポルトガルはネットワークの点を複数支配することで、ネットワークの線そのものを支配しようとしたのだといえる。(p.151)

つまり「点」の支配ではなく「線」の支配 ─ ネットワークをおさめるために戦っていたわけです。

さらに、拠点づくりだけなく、ネットワークを広げるために、さまざまな工夫をこらしていました。

〔……〕ユーラシア大陸の反対側まで拠点をつくり、大西洋・インド洋・南シナ海へと、本国からつづく、すべての大洋を自国の拠点につないでしまおうという試みは、前代未聞である。(p.151)

この点が、いままでの国家とは異なる特徴であり、ポルトガルが世界で覇権をにぎることができた要因でした。

そのため、この時代のポルトガルは「海洋帝国」とよばれることになります。

領域の支配ではなく、海洋ネットワークの支配によって複数の世界をむすぶ海上交易の独占をはかる国家を「海洋帝国」とよぶ。(p.151)

13世紀の「モンゴル帝国」は、陸のネットワークを支配するいっぽうで、16世紀の「ポルトガル」は、海のネットワークをおさえたわけです。

ここに、統治のイノベーション(変革)があります。

「点=土地・領土」ではなく、「線=海洋・交易」をおさめ、利益をあげる ─ この戦略は、以後、覇権をにぎるヨーロッパ諸国(オランダ → イギリス → アメリカ)のキホン路線になっていきます。

いまのグローバル経済の背景・過程を知るうえでも、15世紀「世界の一体化」〜16世紀「大交易時代」は、とても重要な時期です。

おわりに

本書は、世界史における交易の流れをたどっています。

いまのグローバル経済の発展は、ひとがつくってきた交易ネットワークのおかげです。

あらためて、現在の社会環境を理解するには、おすすめの1冊です。

人類がつむいできた経済の流れを知りたい人は、ぜひ手にとってみてください。

たいへん読みやすく、かつ、おもしろいです。

ではまた〜。