どうも、りきぞうです。
大学のころから、世界史に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。
きょうは『世界の歴史 11 ビザンツとスラブ』を紹介します。
本書は、中央公論新社から出ている「世界の歴史シリーズ」の第11巻です。
目次
『世界の歴史 11 ビザンツとスラブ』の概要
まずは目次から。こんなかんじ。
1 ビザンツ帝国への旅立ち
2 生まれ変わる帝国
3 ビザンツ帝国の青春
4 栄光から危機へ
5 栄枯盛衰をきざむ帝国
6 ビザンツ帝国の晩秋
7 歴史の旅を終えて
第2部 スラヴ ─ その多様性の源泉
1 世界史の構成員としてのスラヴ人
2 スラヴ人の登場
3 スラヴの国家建設とキリスト教の受容
4 南東欧のスラヴ人
5 東中欧のスラヴ人
6 ロシアの発展
7 エピローグ ─ 東欧世界の成立
本書のテーマは、ビザンツ(東ローマ)と東欧 ─ 。
期間は、500年〜1500年までの約1000年です。
第1部では、ビザンツ帝国の盛衰をあつかいます。
第2部では、スラブ人を軸に、ポーランド&ハンガリー&キエフ=ロシアの歴史をたどっていきます。
各部で著者はちがいます。けれど、どちらも語り口はやさしく、かんたんに読みすすめることができます。
とくに、第1部のビザンツは、君主個人のエピソードを豊富にあげているので、エッセイのように味わえる。
宮廷社会ならでは〝ドロドロ〟も、たっぷりです(笑)
時代&地域にカンケーなく、権力争いは、いつでもどこでも悲惨で、残酷ですね。
『世界の歴史 11 ビザンツとスラブ』のポイント
わたしが気になったトコは、つぎの2点。
- ビザンツ帝国のしたたかさ
- イタリア人文主義の背景
それぞれ、みていきます。
ビザンツ帝国のしたたかさ
ゲルマン人の移動&侵入により、ローマ帝国は衰退にむかいます。東西分裂後、395年に、西ローマは滅びます。
いっぽう、東ローマは侵入の被害を避けることができたので、滅亡を回避できました。首都「コンスタンティノープル」の繁栄を活かし、ユスティニアヌスのころには、一時ヨーロッパ一帯をおさめるまでに成長します。
しかしそれも一時的でした。以後、版図を広げすぎたのがアダとなり、統治経営にくるしむことなります。
700年〜800年代の時期を、ビザンツ研究者のあいだでは「暗黒時代」とよんでいます。その証拠に、この時期を記す文献資料が、きょくたんに少ないそうです。
ですが「ビザンツ帝国」はしぶとい(笑)
「他国からの侵入」「地方軍人(テマ)の台頭」に対応しながら、ふたたび息をふきかえします。各エリアに官僚制をしきながら、皇帝の権力を高めていきます。
ビザンツ帝国のおもしろさは、その統治方法です。
皇帝の権威を高めるために、「儀式」をぞんぶんに活用します。海外遠征での勝利 or 皇帝&皇后の即位など、コトあるごとに、人ひどを競技場にあつめ、盛大なイベントをひらきます。
こうすることで、皇帝の威信をむりやりにでも演出するわけです。エンタメが政治に直結していた、といえます。
なかでも目をひくのは「美人コンテスト」です。
地方軍人がおさめる各エリアから、皇后の候補をあつめ、皇帝みずから、その場で選ぶ大会です。身分&家柄にカンケーなく、女性ならだれでも参加できました。
こうすることで、各勢力の〝集合性〟を高め、スムーズな統治をねらったわけです。ビザンツというと、したたかで、あの手この手で細々と生き延びたイメージがあります。こういうところにも、この帝国の〝ずるさ〟と〝うまさ〟が、あらわれているような気がします。
皇帝専制国家といっても、皇帝と取りまきの高級官僚だけで成り立っているわけではない。〔略〕国家はテマを統制し、皇帝権力を全国すみずみにまで、いきわたらせることによって成立したのである。新しい支配体制にふさわしい全国規模の儀式として誕生したのが、皇妃を選ぶための全国美人コンテストであった。
─ 3章 p.86
モスクワが台頭した背景
いまにつながるロシアが勢力をのばすまえ、エリア一帯は、小国が分立していました。そこから台頭したのが「モスクワ」です。
個人的に、統治圏を拡大した理由が、おもしろかった。
この時期のロシアは、モンゴル帝国の支配下にありました。で、世界史のよくあるはなしとして、そこから強い君主があらわれて、独立運動の結果、みずからの国家を樹立する、というのが王道パターンです。
けれど、モスクワはちがいます。
モンゴル帝国に敬うことで「徴税権」をゆずりうけ、まわりの国々から〝お金をむしりとる〟ことで、チカラをつけていきます。つまり、モンゴル帝国のカサのもとで、勢力を拡大し、みずからの権威を高めていくわけです。
さらには、版図を広げきったところで、今度は衰退したモンゴル帝国に反旗をひるがし、ロシアの独立を達成します。
モスクワがロシア統一の中心となる背景には、この徴税権をモスクワ大公が独占したことがあった〔略〕モスクワはハンの権威を笠に着て、これを可能としたのであるが、やがてその力を、タタール〔モンゴル〕からの独立闘争にふりむけていくことになるのである。
─ 13章 p.489
『ドラえもん』でいえば、「スネ夫」みたいなふるまいです。いや、さいごは「ジャイアン」にまでケンカを売るわけですから、それ以上のしたたかさです。
ロシアはこうしてできあがってきました。
いまのプーチン政権をみるうえでも、このあたりのプロセスを知るのが、たいせつかなぁと思います。
ご存知のとおり、ひとすじ縄ではいかない相手です。
おわりに
以上のように、本書ではビザンツ帝国と、関係の深いロシアの歴史をあつかっています。
両エリアの歴史を知るには、もってこいの内容です。
よければ、チェックしてみてください。
では、また。