どうも、りきぞうです。
大学のころから、世界史に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。
きょうはつぎの本を紹介します。
目次
『世界の歴史9 大モンゴルの時代』概要
まずは本書全体の目次から。こんなかんじです。
1 世界史が世界史となるとき
2 蒼き狼たちの伝説
3 世界文明への射程
4 めぐりあう東西
5 近代世界の扉
第2部 モンゴルとイスラーム
1 チンギス・ハンの王権神授説
2 チンギス・ハンと預言者ムハンマド
3 チャガタイ家とバルラス家
4 チンギス・ハンとオグズ・ハン
5 チンギス・ハンの遺産
本書のテーマは、モンゴル世界 ─ 。
期間は、モンゴル帝国がうまれた1200年から、ユーラシア大陸に影響をあたえた1600年ころまで。
第1部では、チンギス・ハーンによる帝国の成り立ちから、クビライによる元朝の発展をメインに描きます。
第2部では、ユーラシア大陸の各地にたてられた、それぞれの帝国について説明していきます。
イスラム教との関係&対立を軸に語っているトコがポイントです。
1部/2部で書き手が異なります。そのために語り口も、だいぶ違います。
1部の杉山さんは、キビキビした文体で、モンゴル帝国のあらましを、ざっくりのべていくかんじです。くわえて、いまの世界史研究(西洋史/動東洋史の区分など)にかんしても、するどく批判していきます。このあたりは、モンゴル研究者ならではの視点ですね。
いっぽう、第2部の北山さんは、モンゴル帝国にたいするイスラム教の影響を、こまかく説明していきます。
モンゴル帝国が版図をひろげる時期は、西アジア&中央アジアでは、イスラムを信仰する国々が建てられていました。モンゴルが征服したのち、その君主たちが、土地に根付く宗教に影響をうける ─ これは当然のことです。
そのあたりのプロセスを、かたい口調で描いていきます。
…
いい意味でも、わるい意味でも、切り口&文体は、それぞれの書き手に任されています。
そのために、1部/2部の〝トーン〟があまりに違い、モンゴル通史を期待する人は、とまどうかもです。
各部で、別の本と思ってもらうほうが、いいくらいです。
歴史の読みものとして楽しみたいなら、1部の杉山さん ─ 。論文調の歴史本が好きなら、第2部の北山さんといったかんじです。
『世界の歴史9 大モンゴルの時代』詳細
以下、気になったトコをあげていきます。
つぎの2点です。
- モンゴルの遠征パターン
- チンギスとイスラムの権威
それぞれ、くわしくみていきます。
モンゴルの遠征パターン
モンゴル帝国といえば、その領土を急速にひろめていったイメージがあります。
たしかに、チンギスが「ハーン」に即位したあと、金国&ホラズム朝など、わずか20年ほどで、まわりの国々を征服していきました。
けれど、表面上の勢力拡大とはウラハラに、征服のしかたは、かなり慎重なものでした。
支配しようとする国については、チンギスを中心に、各部の軍隊長と何度も話し合いをおこなう。狙いをさだめたあとは、軍事戦略について、これまた何度も会議をひらく。侵略の方針が決まれば、実行までの準備に、「約2年」の時間をあてる。
想像とちがって、計画もなしに〝行け行けどんどん〟で征服していったわけでは、ありません。
そのうらに、慎重なチンギスの性格をあいまって、綿密なプランのもと、じっくり時間をかけて支配していきました。
モンゴルの遠征パターンはを通観すると、その準備に2年間をあてるのが、ふつうである。近代国家のように、専門の常備軍がつねに出動態勢をととのえており、支配体制と整備されているわけではない。〔略〕 前近代において、思い立ったらすぐに出軍するなど、小説の世界でしかない。(p.103)2章
このあたりは、たんに年表や版図マップをみるだけでは、なかなかわからないトコですね。
チンギスとイスラムの権威
モンゴル帝国はユーラシア一帯を支配しました。
征服するときは、武力でおどして、人びとをおさえつけることができます。国家運営をはじめるころにも、各エリアのトップ(モンケ&フラグなど)は、帝国の威力をつかって、民衆をコントロールできました。
しかし、時代がくだるごとに、おさえが効かなくなります。いまは亡き「チンギス・ハーン」の権威だけでは、国の正統性を保てなくなるわけです。
そのさい、いちばんのネックは「イスラム教」でした。
モンゴル支配以前、イスラムが浸透していた国々では、天井の神アッラーと、地上を支配するスルタンを敬っていました。
そこへモンゴルの大軍がやっていきます。
支配された人びとは、(信仰の自由は認められつつ)モンゴル君主(=ハーン)に従うよう強制されます。
しかし、帝国の威力が下がるごとにムスリムたちは、「ハーン」ではなく、「カリフ」や「スルタン」に敬意の対象をもどしていきます。
しぜん、モンゴル帝国の君主たちも、人びとの動きに対処せざるをえません。
ここに、
の権威争いが、起こることになります。
けっきょく、各エリアのモンゴル君主たちは、イスラムへの改宗をよぎなくなれます。
なかには、ほんとうの信仰心をもって、イスラムに改めた君主もいました。けれど、たいていのハーンは、おさめる国の情勢をみて、イスラムを信仰することにしました。
もはや、それまで君主の権威を高めていた「チンギス・ハーン」の存在は、ムスリムたちにとっては〝侵略者〟でしかなく、彼を敬っているモンゴルの君主は、危険な存在ですらありました。
モンゴルのトップが、イスラムの改宗するときの生々しい現実があります。
ムスリムとなったチンギス・ハーンの子孫たちは、これ以上〔彼の〕権威に従って、支配の正統性を主張することは、不可能となった。チンギス・ハーンの評判は、ひどく悪いからである。〔略〕すると、イスラームでは、主権はほんらい神に属するものであるから、世俗の君主は、カリフであったり、カリフの保護者となるのほうが、都合がいい〔略〕(p.384)7章
このあたりも、教科書や概説本では、なかなかわからないトコです。
かんたんには語れないほど、国家のトップ には、背負いきれないほどの、悩みや困難があります。それはいまもむかしも、かわりませんね。
おわりに
本書は、「詳しさ」と「分かりやすさ」が、ほどよくマッチしています。
世界史学習にはぴったりなので、ぜひ手にとってみてください。