どうも、りきぞうです。
大学のころから、世界史に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。
きょうは『世界の歴史 30 新世紀の世界と日本』を紹介します。
本書は、中央公論新社から出ている「世界の歴史シリーズ」の第30巻です。
目次
『世界の歴史 30 新世紀の世界と日本』の概要
まずは目次から。こんなかんじ。
2 ヨーロッパ再生
3 地域再生と地域紛争
4 アジア社会主義の苦悩
5 韓国と台湾
6 東南アジア・ASEAN・APEC
7 アメリカの世紀は続くのか
8 国際組織の発展
9 模索する日本
10 二十一世紀の挑戦
本書のテーマは、現代の世界 ─ 。
冷戦崩壊から2000年代初頭までを描きます。
ヨーロッパやアメリカはもちろん、東欧や中東地域の民族問題、ASEAN の発展など、いまにつうじる話をひと通りあつかっています。
日々のニュースを理解するにも、最適な1冊です。
ただし、いま話題になっている中国の台頭については、そこまでくわしく説明していません。そこがすこし物足りないかもです。
いっぽうで、著者のひとりがロシア現代史を専門としているので、冷戦後の旧ソ連地域について、かなりこまかく解説しています。
冷戦後のロシアを知りたい人にも、ぴったりかなと思います。
『世界の歴史 30 新世紀の世界と日本』のポイント
わたしが気になったのは、つぎの2点。
- 東欧民主化の動き
- ASEAN 形成の背景
それぞれ、みていきます。
東欧民主化の動き
ソ連崩壊後、東欧の社会主義国も、民主化の動きが加速します。
ロシアでは、エリティン大統領が、なかばクーデターのようなかたちで、ソ連を崩壊させ、民主化を達成させました。
いっぽう隣接する東欧諸国では、労働組織「連帯」がきっかけとなって、各国を民主化させていきます。
「連帯」とは、民衆主導でつくられた労働者グループで、同じく〝労働者の味方〟だったはずのソ連とは、一線を画していました。
労働者を救うために生まれたソ連が、労働者たちから反抗をうけてしまうところに、冷戦の終わりを感じさせます。
自主的労働組合「連帯」の誕生は、直接にはソ連型社会主義の危機にくわえ、70年代のギエレク政権が200億ドルもの経済協力を西側とはかったことも背景にある。ポーランド労働者が「労働者の祖国」ソ連に反旗をひるがえしというのは、いかにもポスト冷戦的であった。事実、これがペレストロイカや東欧革命の直接の起源となった。
─ 2章 p.67-68
70年代にポーランドで「連帯」ができ、そして、80年代の終わりにかけて、東欧諸国では、つぎつぎに民主化が達成されていきます。
本書では、この動きをあらわすものとして、つぎのようなエピソードを紹介しています。
プラハのパーツラフ広場に「ポーランド10年間、ハンガリー10ヶ月、東ドイツ10週間、チェコスロバキア10日間、ルーマニア10時間」というポスターが89年末に貼り出された。ポーランドの民衆が「連帯」をつくって、軍事・党独裁の骨格をやぶるのに10年かかり、ハンガリー国民がマルクス・レーニン党からおさらばするのに10ヶ月かかった、ドイツ国民がホーネッカー体制をゴミ箱に投げ捨てるのに10週間かかった、チェコでは党権力が倒れるのに10日間かかった、ルーマニア国民が独裁者チャウシェスクとその妻を処刑するのに10時間かかった、という意味である。
─ 2章 p.78-79
ポーランド以外では、一気に東欧の社会主義が崩壊していったのが、わかります。
いまとなれば、社会主義にかぎらず、なにかのしくみであったり、組織が崩れるのは、あっという間だということを示していたんだなぁと実感できます。
ASEAN 形成の背景
いまのニュースでも、たびたび話題にのぼるASEAN ─ 。地理的な観点からも、日本経済にとっては、なくてはならない相手です。
いまでこそあたりまえの存在していますが、ASEAN 形成にいたるまでには、複雑な経緯をたどる必要がありました。
本書では、ASEAN がつくられた要因を3つあげています。
・世界各地での地域統合の動き
・カンボジア紛争の解決
さいしょのきっかけは、日本による経済投資です。
東南アジアの発展を見込み、さきに豊かになっていた日本が、お金を投入します。はじめのうちは「支援」の意味合いがつよい資金提供でしたが、じょじょに投資の側面が強調されます。
これが ASEAN 発展のエンジンとなりました。
つぎに、世界各地での地域統合の動きです。
ASEAN ができるころ、東南アジア以外でも、各国間の経済協調の動きが加速していました。たとえば、GATT や欧州統合などです。
そのなかでもとくにライバル視していたのが、中東のOPECです。
隣接する中東エリアに巨大経済圏できることを警戒した東南アジア各国は、小国では太刀打ちできないと判断し、手をむすぶようになります。
これがASEAN形成の2つ目の要因です。
さいごが、カンボジア紛争の解決です。
ASEAN ができる前後に、東南アジアのカンボジアでは地域紛争が多発していました。
紛争といっても、ほぼ「中国 vs ソ連の代理戦争」のかたちをとっていました。冷戦が終わり、ソ連をはじめ社会主義国が倒れることで、権勢の流れが変わります。
それまでカンボジアに投入されていた大国軍の撤退することで、東南アジア各国でも平和への動きがみられ、これからは経済面で協調しようとした雰囲気がうまれていきます。
これが ASEAN 形成の要因となりました。
こんなふうに、経済同盟がむすばれるまでには、いくかのステップをふむ必要がありました。
なにかしらの同盟関係がきずかれるには、さまざまな複数の要因が重なることを、ASEAN の例は示しています。
おわりに
以上のように、本書では21世紀前後の歴史をあつかっています。
この時代を知るには、もってこいの内容です。
よければ、チェックしてみてください。
では、また。