【書評】中山治一『世界の歴史 13 ─ 帝国主義の時代』(中公・旧版)感想&レビューです。

どうも、りきぞうです。

大学院では、キャリア論と社会保障を研究していました。

社会人なってからは、予備校講師 → ウェブディレクター → ライターと、いろんな職業にたずさわってきました。

働き方についても、契約社員 → 正社員 → フリーランスと、ひと通り経験してきました。

働くなかで思うのは、自分の市場価値をアップするには「教養」が大切だということ。

「できるなぁ」
「発想がすごいなぁ」

と、思う人は、キホン、教養を身につけています。

なかでも、重要なのは「世界史」です。

ここ数年、ビジネスマンの基礎知識として「世界史」が注目をあつめています。

ネット時代をむかえ、グローバル化が加速しているからです。

外国との交流が増えたことで、日本だけではなく、地球全体の歴史を知る必要が出てきました。

とはいえ、世界史は範囲も広く、どこから手をつければ良いか、わからないですよね。

分量も多くて、なんだかムズかしそう。。

そこでおすすめしたいのが、大手出版社から出ている「シリーズ本」を読むこと。

なかでも、こちらのシリーズは、さいしょに手にとってほしいです。

中央公論社が出した「世界の歴史」シリーズで「旧版」にあたるものです。

中公は、2000年代に、あらたに「世界の歴史」シリーズを刊行しました。

こちらを「新版」とよび、以前のシリーズは「旧版」といわれます。

じつは〝読みやすさ〟でいえば、「旧版」のほうがすぐれています。

「新版」のほうは、どちらかといえば「研究者」「玄人」むけ。

世界史の流れを理解・把握するには適していません。

絶版なのが難点ですが、古本屋 or ネット通販をつかってゲットしてほしいと思います。

きょうは、第13巻にあたる

を紹介したいと思います。

「13」では、タイトルどおり、帝国主義時代ををあつかいます。

年代としては、1800年〜1900年ごろにあたります。

中山治一『世界の歴史 13 ─ 帝国主義の時代』(中公・旧版)の概要

まずは目次から。

こんなかんじです。(※ こちらの都合で、番号をふりました。)

01 現代の玄関口
02 技術の革命
03 マスコミュニケーションと世紀末思想
04 議会政治の国々
05 皇帝政治の国々
06 最後のヨーロッパ政策
07 「20世紀の怪物」帝国主義
08 神に選ばれた民 ヨーロッパ人
09 太陽の没しない帝国 ヨーロッパ
10 外交革命
11 第二インターナショナルとマルクス主義の修正
12 乳牛の誕生
13 委託された使命?
14 「われわれは一国民だ」
15 帝国をおそう怒涛
16 アヘン戦争と太平天国
17 洋務から変法へ
18 辛亥革命
19 世界の一体化

01〜10で、大陸ヨーロッパ世界をあつかいます。

政治史が中心です。

11で、労働運動・革命運動について。

12で、インド。

13で、アフリカ地域。

16〜18で、中国地域についてあつかいます。

全体として、文体もカンケツで、読みやすい。

内容については、政治・経済・文化 ─ ジャンルをバランスよくあつかっています。

中山治一『世界の歴史 13 ─ 帝国主義の時代』(中公・旧版)の詳細

以外、気になったトコをみていきます。

ポイントは、つぎのとおり。

  • 未発達なドイツ帝国
  • 1871年の転機
  • 帝国主義の主役は企業

ひとつひとつ、のべていきます。

未発達なドイツ帝国

フランス革命のあと、民主主義の理念が広がっていきます。

それはドイツも同じでした。

けれど、議会はできたものの、ほぼ帝政といえる状態でした。

統帥権は維持され、宰相が軍事権・外交権を手にします。

ドイツ帝国では統帥権の独立が維持されていたのである。プロイセン王国でも、ドイツ帝国でも、軍事費の承認をもとめる以外、軍の統帥にかんすることはみな、政府や議会の支配をうけなくてよいことになっていた。たとえば、統帥にかんする事項の発令には、議会にたいして責任のある陸軍大臣の副署が必要でなかったということなども、そのあらわれだ。(p.98)

軍隊は、皇帝直属の組織であり、議員・議会のチカラで動かすことはできない。

また、帝国宰相の責任は、皇帝に源泉があり、議会にあるわけではありません。

議会の権限も制約され、法案審議のみで、立法権はありませんでした。

いっぽう、貴族院では、軍事・外交などの国家大権があたえられていた

つまり、

・政府・議会による組織
・参謀総長を頂点とする組織

といったかんじで、二重組織の国家だったわけです。

その意味で、ドイツの民主制は、未発達でした。

〔……〕一般の民意を代表する議会が、たんなる諮問機関の役割しか演ずることができず、しかも古くからの君主権がすくなくとも本質的には制約されずに維持されたということになる。プロイセン王国=ドイツ帝国が、偽装された立憲主義の国といわれる理由は、そこにある。(100)

すべては宰相しだい

いっぽうで、すぐれた宰相がいれば、国がいい方に発展するのも、事実です。

じっさいに鉄拳宰相「ビスマルク」によって、ドイツはヨーロッパなかで勢力をのばしていきます。

ぎゃくにヴェルヘルム2世など、政治運営がヘタな人物がつくと、国はガタガタとくずれていきます。

かれの時代には、大海軍の建設が一気になされました。

当時、帝国の支持基盤は、

・大農場主(ユンカー)
・工業資本家

でした。

保護貿易でユンカーを救い、あまった資金で工業資本家(軍事産業資本家)がうるおう構図ができあがっていました。

そのため、資金の流れがかたまると、軍艦の建設を止められなくなります。

結果、農業の保護貿易によって、ロシアと対立 ─ 。

さらに海軍強化で、イギリスともギクシャクします。

農産物にたいする高い関税は、小麦の輸出国であるロシアと、その輸入国であるドイツとの関係をまずくした。〔……〕他方、大海軍の建設は、海上覇権に生命をたくしているイギリスをおびやかし、イギリスとドイツの関係をすくいがたいものにした。(p.114-115)

こんなかんじで、統帥権がつよい分、トップの政治運営・外交方針がまずいと、国は揺らいでいきます。

じじつ、このままドイツは第一次大戦に突入し、ボロボロになって敗北します。

1871年の転機

ドイツの台頭をふくめ、長い目でみた場合、1871年は、ヨーロッパ世界が大きく変わった時期でした。

まず、ドイツ・プロイセンが「普仏戦争」に勝って、ドイツ帝国を樹立した年です。

ハプスブルク帝国にかわって、ヨーロッパの中央に大国の出現します。

いっぽうで、それまでバラバラだったイタリアが国民国家として統一します。

かくして1871年以降のヨーロッパでは、新しくドイツ帝国とイタリアが生まれ、それにフランス・オーストリアがくわわって、多数の強国が並存することになった。しかも東のロシア、西の島国イギリスが配合されて、いまや列強の複雑な星座関係ができあがったことになる。(p.139)

1871年に、ヨーロッパの勢力図は決まり、それぞれの思わくで、政治が動いていきます。

ドイツ主導

外交の動きからみると、覇権国ドイツしだいで、ヨーロッパのゆくえが決まる状態になります。

とはいえ、すべての国をまきこむ争いが起きなかったのは、ビスマルクの「平和外交」のおかげ。

かれは、各国がウィンウィンになるように、うらで操作していました。

とはいえ、ビスマルクは善良な人で、人類愛をかかげる理想主義者だったわけではない。

自国の生産力を高めるには、外でドンパチやらないほうが得策と考えていたからです。

〔ビスマルクが〕宗教的・道徳的に回心したとか、人類愛をとつぜんいだいたとかのためではない。新しくできあがったドイツ帝国が、まだじゅうぶんに内容がかたまっていないと判断したからにすぎない。かれはどこまでも現実政治家(リアル・ポリティカー)だ。〔……〕ビスマルクにとってドイツ帝国が統一の実をあげるためには、なによりもまずは現状を維持して、ヨーロッパ全体が平静にもどることが必要だったのである。(142)

動機はどうあれ、かれの外交能力があったからこそ、ヨーロッパには、しばらく戦争が起こらないようになります。

しかしうえでみたとおり、ビスマルクが失脚し、ヴェルヘルム2世のときになると、ドイツは傾きます。

結果、周辺各国も、ドイツの動きに警戒するようになり、張りつめた糸がとぎれていきます。

帝国主義の主役は企業

ヨーロッパの外に目をむけると、この時代は、帝国主義化が進んだ時期でした。

帝国主義というと、軍事侵攻のイメージがありますが、ちがいます。

帝国主義の主役は、国家ではなく企業でした。

まずは企業が、マーケットな未成熟な途上国に進出 ─ 。

そこで利益を独占し、一部を国に還元します。

そのときもし、現地で暴動・反乱がおきれば、鎮圧の手段として、国家の軍事力がつかわれます。

〔……〕この時期の植民地獲得になってばしめておこってくるほんとうの新しい現象というのは、いったい何であったか。それは、先進国の企業家たちが、後進国の現地で新しい企業をおこし、経営することをはじめたという点にある。たとえば、鉱山・油田を開発し、ゴム園を経営し、鉄道を敷設し、電信・電話線をひき、いろいろな工場を建設するというような事業が、後進国の現地でおこなわれはじめた。(p.173-174)

つまり、[企業 → 国家]の順番で、アフリカ・中東・アジアへ進出していきました。

イギリスの海洋進出

たとえば、イギリスのインド進出。

目的は、領土ではなく、インドの綿花産業でした。

ムガル帝国の統制が弱体化したのをチャンスに、小さなトコからじょじょに進出していきます。

〔……〕当時のインドは、ムガル帝国の統一的支配が有名無実のものとなり、各地に地方的勢力が台頭して、いたるところに政治的分裂と戦乱のなかにあった。こうした一種の戦国時代ともいうべき複雑な内部分裂があったため、まもなくヨーロッパ人が比較的小さな勢力で、土着の政治権力をつぎつぎに従えていけたのである。(p.343)

くわえて、輸出面でも、覇権をにぎっていきます。

当時、産業革命によって、イギリス本国の生産高が、うなぎのぼりでした。

そのため産業資本家のあいだで、海外マーケットをもとめる声が高まります。

インドは、生産工場ではなく、〝売り手〟としての役割を担うようになります。

イギリス「ランカシャー」の工場がつくりだした木綿が、インドでの買い手をもとめるわけです。

18世紀の末から、イギリスに産業革命が進行し、自国商品の海外市場拡大をもとめる声が、〔……〕ますます高く、ついに植民地インドにたいしても〔……〕要求が〔……〕あらわれるようになっていた。

結果、インドの職人が仕事をうしなうことに。

インドは、自国の産業を衰退させるという意味で、さんざんな目にあいます。

さらにイギリスは、インドで拠点を築いたあとで、中国にも進出します。

これがのちのアヘン戦争へつながっていきます。

おわりに

旧版ながら、この「世界の歴史」シリーズは、かなり読みやすく、おすすめです。

ムズかしい用語を、ほとんどつかわず、一般の人がみても、わかるように書かれています。

なにより、知的好奇心をうながすように、歴史をたどるため、読んでいて飽きません。

ざっくり、かつ、ある程度、くわしく世界史の流れを知りたい人には、もってこいの1冊です。

よければチェックしてみてください。

ではまた〜。