「引きこもり」は悪なのか? ─ うーん、結局、「経済の問題」じゃない?

どうも、りきぞうです。

ここ最近、マスメディアを中心に、「引きこもり」の問題を扱っている。

とくに NHK では、1週間に1度は、どこかのニュース番組で取り上げ、ドラマまでつくっている。

わたし自身、ここ10年くらい「引きこもり」の話題を目にしてきているため、

「またか……」

といった印象。

けれど最近の報道をみていると、「引きこもり」にたいする視点は、変わってきているように思う。

それこそ自分が過ごした2010年代は、

引きこもり=落伍者

くらいのニュアンス。

どうにかして、この「社会悪」を取り除かないといけない、くらいの雰囲気だった。

(それに呼応するかたちで「いや、引きこもりは悪くない、かれら/かのじょたちは社会の被害者なんだ」という声も多かったけど)

でも近ごろでは、コロナ禍の状況もあり、

「家にこもる」のは、それほど悪いことなのか?

といった、擁護するような、やさしい意見が、よくみられる。

ここ10年近くで「引きこもり」にたいする〝世間の風向き〟は変わってきている。




けれど、おりにふれて思うのは、世間・社会にとって、「引きこもり」の問題は、結局のところ「経済問題」に尽きる、ということ

むかしから「社会的つながり」うんぬん、と言って、非難する人がいる。

でも「社会性」やら「人として……」とか言ったりしていても、経済を回していない点をイヤに思い、批判している場合が、ほとんど。

平たく言えば、稼いでいないことを、表現を変えて〝悪く〟言っているにすぎない。

「友だちがいないのは良くない」
「近所との付き合いがないとダメ」

と〝道徳的なこと〟を述べているようにみえて、市場に参加していないことを非難しているだけ。




けど、わたしは、その〝とりつくっている感じ〟を悪いとは思わない。

これって要するに、家にひきこもっていても、

マーケットに携わっていれば、悪くない

って、ことになるから。

お金を稼ぎ、消費していれば、だれも文句は言わない。

引きこもりにたいする「善悪の基準」はころころ変わるけど、市場の参加/不参加を軸にした評価は、一貫している

「引きこもり」の人は、ここに希望があるんじゃないかな。

だっていまは、ネットを開けば、カンタンなスキルで、稼げる仕事がたくさんあるんだから。




いっぽうで、問題になるのは、「その額」

家にこもっている人が、いくら稼いでいれば、許されるのか? 認めてもらえるのか?

個人的には、自給自足できるくらいの金額を稼いでいれば、「善い」んじゃないかなぁ、と思っている。

最低限の収入を稼ぎ、消費し、市場を回せば、「引きこもり」にたいして非難は向けられない。

くわえて、すこし先の未来をみたときに、機械化により人間が生産活動から〝ドロップ〟するようになると、BI(ベーシックインカム)が普及したり、年金の受給年齢範囲が広がってきたりする。

ひとは、マーケットにとって、消費することがメインの役割となる。

(※ このあたりの経済事情は、つぎの本がくわしいです)

こうなると、お金を使えば市場を回すことになるため、消費さえしていれば、引きこもっていようと問題視されない。

タイムスパンの問題があるけど、AIとキカイ化がすすめば、長期的には、いまのような引きこもりの問題は、さして重要視されなくなる。

なので、横暴な言い方になるけど、「引きこもり」でモンモンしているなんて、ショージキ、もったいないんじゃないかなぁ、と思ったりする。

少なくとも、未来の視点からすれば、「へぇー、そんなことで悩んでいたんだぁ」くらいの感覚で、受け取られそう。




それでも、

「世間の目が気になる」

という「こもりびと」 or 「こもりびと予備軍」がいる。

けど、こんな〝幻想〟は、無視してかまわない。

というのも、いわゆる、

・世間のフツー
・社会の常識

なんていうものは、ぐらぐら揺れ動き、はっきりとした答えなんか、1つもないから。

死のほかは、なにごとでも仮面をつけることができる。(no.1647)

─ モンテーニュ『エセー1』1巻18章

今回のコロナ騒動を経てわかるが、ちょっとした自然環境の変化で、〝世の中のあたりまえ〟などは、カンタンにひっくりかえる。

外出・移動は「善いこと」だった。

けど1年もかからないうちに、「悪いこと」に変わった。

世間の常識なんて、こんなもの。

だから、同じように、

「友だちは、最低でも◯◯人いなくちゃいけない」

とか、

「両親とは仲良くしていなければならない」

といった〝警告〟には、目くじら立てず、軽くうけながすくらいでいい。

あなたが決めるべきことは、あなたが決めばいい。

家に引きこもっていようと、ほとんど人と会ってなくても、あなたが〝健やか〟でいれば、それで「善い」。

いまの環境を〝世間のしがらみ〟に合わせる必要もない。




わたし自身は、閑暇な暮らし(=ゆとりのある生活)が好ましいと思っている。

・最小限の付き合い
・自給自足の生活
・ほどよい知的好奇心

─ これが達成できれば、問題ない。

問題ないどころか、目指すべき目標じゃないかと思う。

きみが自分だけの生活に戻ったら、すべてがずっと小さな規模になるだろうが、すべてが満足できるほどあふれているだろう。(p.73)

─ セネカ『倫理書簡集』19

その意味で「引きこもり」は、理想の暮らしに、そう遠くない距離にいる。

あとは〝世の中の目〟に囚われず、気分よく、健康に過ごすだけじゃないかな。

では、またお元気で。