どうも、りきぞうです。
ここ最近、マスメディアを中心に、「引きこもり」の問題を扱っている。
とくに NHK では、1週間に1度は、どこかのニュース番組で取り上げ、ドラマまでつくっている。
わたし自身、ここ10年くらい「引きこもり」の話題を目にしてきているため、
といった印象。
けれど最近の報道をみていると、「引きこもり」にたいする視点は、変わってきているように思う。
それこそ自分が過ごした2010年代は、
くらいのニュアンス。
どうにかして、この「社会悪」を取り除かないといけない、くらいの雰囲気だった。
(それに呼応するかたちで「いや、引きこもりは悪くない、かれら/かのじょたちは社会の被害者なんだ」という声も多かったけど)
でも近ごろでは、コロナ禍の状況もあり、
といった、擁護するような、やさしい意見が、よくみられる。
ここ10年近くで「引きこもり」にたいする〝世間の風向き〟は変わってきている。
◯
けれど、おりにふれて思うのは、世間・社会にとって、「引きこもり」の問題は、結局のところ「経済問題」に尽きる、ということ
むかしから「社会的つながり」うんぬん、と言って、非難する人がいる。
でも「社会性」やら「人として……」とか言ったりしていても、経済を回していない点をイヤに思い、批判している場合が、ほとんど。
平たく言えば、稼いでいないことを、表現を変えて〝悪く〟言っているにすぎない。
「近所との付き合いがないとダメ」
と〝道徳的なこと〟を述べているようにみえて、市場に参加していないことを非難しているだけ。
◯
けど、わたしは、その〝とりつくっている感じ〟を悪いとは思わない。
これって要するに、家にひきこもっていても、
って、ことになるから。
お金を稼ぎ、消費していれば、だれも文句は言わない。
引きこもりにたいする「善悪の基準」はころころ変わるけど、市場の参加/不参加を軸にした評価は、一貫している。
「引きこもり」の人は、ここに希望があるんじゃないかな。
だっていまは、ネットを開けば、カンタンなスキルで、稼げる仕事がたくさんあるんだから。
◯
いっぽうで、問題になるのは、「その額」。
家にこもっている人が、いくら稼いでいれば、許されるのか? 認めてもらえるのか?
個人的には、自給自足できるくらいの金額を稼いでいれば、「善い」んじゃないかなぁ、と思っている。
最低限の収入を稼ぎ、消費し、市場を回せば、「引きこもり」にたいして非難は向けられない。
くわえて、すこし先の未来をみたときに、機械化により人間が生産活動から〝ドロップ〟するようになると、BI(ベーシックインカム)が普及したり、年金の受給年齢範囲が広がってきたりする。
ひとは、マーケットにとって、消費することがメインの役割となる。
(※ このあたりの経済事情は、つぎの本がくわしいです)
こうなると、お金を使えば市場を回すことになるため、消費さえしていれば、引きこもっていようと問題視されない。
タイムスパンの問題があるけど、AIとキカイ化がすすめば、長期的には、いまのような引きこもりの問題は、さして重要視されなくなる。
なので、横暴な言い方になるけど、「引きこもり」でモンモンしているなんて、ショージキ、もったいないんじゃないかなぁ、と思ったりする。
少なくとも、未来の視点からすれば、「へぇー、そんなことで悩んでいたんだぁ」くらいの感覚で、受け取られそう。
◯
それでも、
という「こもりびと」 or 「こもりびと予備軍」がいる。
けど、こんな〝幻想〟は、無視してかまわない。
というのも、いわゆる、
・社会の常識
なんていうものは、ぐらぐら揺れ動き、はっきりとした答えなんか、1つもないから。
死のほかは、なにごとでも仮面をつけることができる。(no.1647)
─ モンテーニュ『エセー1』1巻18章
今回のコロナ騒動を経てわかるが、ちょっとした自然環境の変化で、〝世の中のあたりまえ〟などは、カンタンにひっくりかえる。
外出・移動は「善いこと」だった。
けど1年もかからないうちに、「悪いこと」に変わった。
世間の常識なんて、こんなもの。
だから、同じように、
とか、
といった〝警告〟には、目くじら立てず、軽くうけながすくらいでいい。
あなたが決めるべきことは、あなたが決めばいい。
家に引きこもっていようと、ほとんど人と会ってなくても、あなたが〝健やか〟でいれば、それで「善い」。
いまの環境を〝世間のしがらみ〟に合わせる必要もない。
◯
わたし自身は、閑暇な暮らし(=ゆとりのある生活)が好ましいと思っている。
・自給自足の生活
・ほどよい知的好奇心
─ これが達成できれば、問題ない。
問題ないどころか、目指すべき目標じゃないかと思う。
きみが自分だけの生活に戻ったら、すべてがずっと小さな規模になるだろうが、すべてが満足できるほどあふれているだろう。(p.73)
─ セネカ『倫理書簡集』19
その意味で「引きこもり」は、理想の暮らしに、そう遠くない距離にいる。
あとは〝世の中の目〟に囚われず、気分よく、健康に過ごすだけじゃないかな。
…
では、またお元気で。