カラダの匂い/部屋の匂いについて

どうも、りきぞうです。

きょうは、「カラダの匂い/部屋の匂いについて」について、考えました。

※ 本文の引用は、最下部の文献によります。




「匂い」と言うとき、たいていの人は、カラダの匂いを話題にする。

というのも、体臭というのは、見た目以上に人に影響を与えやすく、いい気持ちにも、不快にもさせるから。

もうひとつの理由として、カラダの匂いは、コントロールしやすく、当人の努力で、どうにでもなるからという点がある。

「ハゲ」「シワ」など、自然の摂理では、どうしようもないことはガマンできる。

けれど、すこし気をつかえば対処できることしないでいるのは、たとえ気心の知れた知人であっても、どうにも耐えられない。

(キツい)匂いそのものより、自己管理できず、節制できない性格にイラだってしまう。

そういえば、中世初期のヨーロッパで、ゲルマン人の侵入に悩まされたローマ人が、かれらと領土をめぐる交渉をしているとき、

「こちらのチカラが弱く、不利な立場に立っているのは分かっているが、あの体臭はどうにもガマンならない」

と、大いに不満をもらしていた。(鯖田豊之『ヨーロッパ中世』)

このエピソードなんかは、体臭への気づかいが、民族の優劣を決める典型といえる。

いまに生きるわたしたちも、カラダの匂いを気にしない人と接すれば、節度のない者とみなし、どうしても、さげすんでしまう。

逆に、力の及ぶ範囲で気づかっていれば、それ相当な人だと、判断できる。

馬の能力をしっかりと知るには、スムーズに、ぴったりと止まれるかどうかを見ればわかる。(no.911)

─ モンテーニュ『エセー1』第1巻9章

ちなみに個人的には、体臭はコントロールできるからといって、あまりベタベタと香水をつける必要はないと思う。

とくに毎日お風呂につかる日本では、香水をつけずとも、不快をあたえるような、カラダから匂いは発しない。

(逆に、香水をつけることで、ケムたがられる)

肉食をひかえ、和食を中心した食事なら、しぜんと体臭も消えてくる。




カラダのほうは配慮できるいっぽう、部屋の匂いは、コントロールしにくい

わたし自身、これまで部屋の匂いに、何度も悩まされてきた。

なかでもキッチンの排水溝まわりがやっかいで、対策をとっても「ふわぁー」と、ニオってくる。

そのなかでも、それなりに効果があったツールは、つぎのとおりで、ひんぱんに使うことで、なんとかおさえることはできた。

また、たとえバッチリ匂いを抑えたとしても、カラダの匂いとちがい、部屋の匂いは、しみついて、はなれない。

もはや、本人の一部となっていて、その人の本性が、そのまま出ている印象さえある。

そこに足を踏み入れたとたん、密封しておくべきだった名前をわずかに開いてしまった感がある。(p.65)

─ プルースト『失われた時を求めて』第2編 2部

たとえば、他人の家を訪ねたとき、置いてある家具やレイアウトよりも、匂いのほうが、本人の性格をそのまま表しているように感じる。

消臭剤・お香など、部屋の匂い対策はしているにもかかわらず、なんとも言えない匂いを感じると、「とりつくろっているのでは?」と思ってしまう。

(わるいと分かっているが)不信な気持ちさえ抱いてしまう。

わたし自身も、「素直でいい子だなぁ」と思っていた女性の部屋へ行ったとき、「なんとも言えない匂い」を感じたのを覚えている。

反対に、ハデで、陽気な女性のマンションを訪ねたときは、彼女のイメージに反して、単純素朴で、落ち着く匂いを感じた。

部屋の匂いとは、ある種の〝宿命〟みたいなもので、こればかりは人の手の及ぼないトコにある。

けれど不思議なことに、わたしが「気になる」と思っている匂いであっても、ほかの人は気にしないどころか、心地よく感じている場合が、かなりある。

じじつ、例にあげた、部屋の匂いが気になる女性については、そのときいっしょに訪れたわたしの友人とお付き合いすることになった。

男女の付き合いも、部屋の匂いも、〝自然の采配〟で、わたしたちには、どうにもならないようだ。




では、お元気で。