どうも、りきぞうです。
大学のころから、世界史に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。
きょうは『世界の歴史 19 中華帝国の危機』を紹介します。
本書は、中央公論新社から出ている「世界の歴史シリーズ」の第19巻です。
目次
『世界の歴史 19 中華帝国の危機』の概要
まずは目次から。こんなかんじ。
2 アヘン戦争 ─ 朝貢体制の動揺
3 太平天国運動
4 上海 ─ 「近代文明」の窓口
5 秩序の再編と洋務運動
6 辺境の危機 ─ 朝貢体制の崩壊
7 国家建設の構想
8 華人世界の拡大
9 義和団と「新政」
10 辛亥革命
テーマは、清朝末期から辛亥革命のころの中国 ─ 。
政治を中心に、交易関係から民衆の動きまでバランスよくあつかっています。
著者はふたりですが、文体は統一されて、1冊の本としてしっかりまとまっています。語り口もかんたんで、すらすら読みすすめることができます。
清朝末期から近代初期の中国を知るには、たいへんおすすめです。
『世界の歴史 19 中華帝国の危機』のポイント
わたしが気になったのは、つぎの2点。
- 転機としての日清戦争
- 清朝崩壊の要因
それぞれ、みていきます。
転機としての日清戦争
日清戦争といえば、敗れた清朝が、西欧列強に侵略するきっかけをあたえた出来事として知られています。
いっぽう、中国視点からの貿易体制を考えるうえでも、日清戦争での敗北は決定的でした。というのも、これ以降、欧米諸国による領土進出だけでなく、それまで維持していた朝貢体制が完全にくずれるから。
朝貢体制とは、
というしくみ。
イギリスがアヘンを売りつけることで、事実上、朝貢体制は崩壊していました。
けれど日清戦争の敗北で、清朝本国にとっても、朝貢体制は成り立たない、と自覚します。それまで敬意をはらってきた夷狄の日本に、敗れてしまったからです。
イギリスなど遠い西洋諸国ではなく、ついさいきんまで朝貢していた隣国に負けたのです。
日清戦争の場合、敗北したこれまでのような西洋諸国ではなく、同じ東アジアの小国日本だった。この敗戦によって、宗主国としての朝貢体制の中心的存在だった、清朝中国の威信は大きく低下した。
─ 6章 p.258-259
これにより朝貢体制が完全に成り立たず、どの国にたいしても、ひとつの貿易国として、ふるまわないといけない ─ 日本との敗北をきっかけに、ようやく西洋ベースの国際関係をつくる必要があると気づいたわけです。
その意味では、日清戦争は国際交易の面でも、たいへん大きな転機でした。
清朝崩壊の要因
250年以上つづいてきた清国ですが、辛亥革命により滅亡します(1912年)。
清朝をあつかう本なら、滅びた要因については、かならず書かれます。
本書では、
・地方権力の台頭
の2つをあげています。
「官僚の腐敗」については、中国史の王道パターンですね。
王朝末期なると、宮廷につかえる官僚たち(とくに外戚や宦官)の汚職が、じょじょに始まり、年々ひどくなっていく。
清朝も例外ではなく、よりいっそう不幸だったのは、実権をにぎる君主(=西太后)までが、それに加担していたことでした。
じっさい、西太后の遺産を調べてみると、その副葬品だけで、外国にたいする負債返せるほどの金額だったそうです。権力をカサに、民衆を追いつめ、絞りとっていたようすが分かります。
もうひとつの要因は「地方権力の台頭」です。
おどろくことに、清朝中枢には、まともな「軍隊」がありませんでした。
外国や国内反乱が起きたときも、鎮圧にあたらせていたのは、私兵をもつ地方豪族だったり、軍閥のトップでした。
清朝は「郷勇」という郷土防衛の義勇軍を組織して、白蓮教徒や太平天国の乱などの鎮圧に投入しなければならなかった。〔略〕郷勇は、どちらかというと地方大官の私兵にちかい軍隊であった。
─ p.389-390
そのため、なにかの拍子で権威が落ちれば、清朝崩壊はいつ起きてもおかしくない状態でした。
そのきっかけとなったのが「鉄道の国有化」でした。
鉄道事業は、民間レベルで興されたものでした。それがとつじょ、王朝が買いとり、運営すると言い出したわけです。しかもその買収資金は、外国からの借金でした。
この〝暴挙〟により、地方から支持を失い、清国の権威は一気に落ちていきます。
結果、実力のある地方勢力が反旗をひるがえし、清朝は崩壊の道をあゆんでいきます。
その意味では、辛亥革命は、地方反乱の波にのり、先んじて権力を掌握した、とみることもできます。起きるべきして起こったといった感じです。
おわりに
以上のように、本書では清朝末期をあつかっています。
この時代を知るには、もってこいの内容です。
よければ、チェックしてみてください。
では、また。