【書評】『世界の歴史4 オリエント世界の発展』

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

きょうはつぎの本を紹介します。

『世界の歴史4 オリエント世界の発展』の概要

まずは、目次から。こんなかんじです。

1 地中海アジアの夜明け
2 諸民族のめざめ
3 イラン高原とその住民
4 アケメネス朝ペルシアの成立と発展
5 地中海アジアの隷属
6 ヘレニズム時代の人々
7 パルティア王朝 ─ 第二イラン王朝
8 ローマの東方進出
9 サーサーン朝ペルシアの興亡
10 地中海アジアの終末

1・2では、古代オリエント文明の特徴について。

3・4で、イラン地域にしぼり、さいしょの帝国「アケメネス朝ペルシャ」を。

5・6では、シリア&東地中海エリアにうつり、「バビロン捕囚」など歴史事件をあつかいます。

7で、イラン地域にふたたびうつり、二番目の帝国「パルティア王朝」を。

8では、キリスト誕生の経緯を描き、9では、中東地域全体をおさめた「ササン朝ペルシャ」をみていきます。

10は、その後の中東エリアの展開を述べていきます。

共著などで、あつかう地域が、いったりきたりしますが、時間軸にそって、歴史をたどっていきます。

著者のふたりは、古代オリエント、古代イランの専門家。

本書は、中央公論新社から出ている「世界の歴史」シリーズの1冊です。

出版から10年以上たっていますが、内容は古びていません。

おふたりとも研究者ですが、一般向けに書かれています。

画像も豊富で、文体もやわらかい。なので、すいすい読めます。

古代オリエント時代を、ざっくり把握するには、おすすめの1冊です。

まえもって、中東地域をおさめた、各時代の王朝を、アタマにいれておくと、わかりやすいです。

流れは、こんなかんじです。

・アケメネス朝ペルシャ(BC.550年〜)

・アルサケス朝パルティア(BC.238年〜)

・ササン朝ペルシャ(BC.226年〜)

本書も、王朝の発展&衰退にそって、構成されています。

順々にみていくのも良いですが、目次をみて、気になる時代&王朝から読んでいくのもアリです。

『世界の歴史4 オリエント世界の発展』の詳細

以下、気になったトコをみていきます。

つぎの2点です。

  • ダレイオス1世による統治
  • アレクサンドロス大王による征服&統治
  • アルサケス朝パルティアによる統治

それぞれ、くわしくみていきます。

ダレイオス1世による統治

中東地域を、さいしょにおさめた王朝&帝国が「アケメネス朝ペルシャ」です。

創設者は「キュロス2世」で、

・メディア

・リュディア

・バビロニア BC.539

などのエリアを、侵略していきました。

しかし、領域・領土を広げ、官僚機構など統治システムを整備したのが、ダレイオス1世です。アケメネス朝の発展にとって、彼の功績はかなり大きいです。

おもしろいのは、ダレイオス1世が国王になった経緯です。

先代の王カンビュセスが亡くなったあと、領土を奪いたい野心から、至るところで反乱が起きます。各地で「国王」を自称する者が、10人ちかくあらわれました。

カンビュセスに仕えていたダレイオス1世は、それぞれの豪族をおさえます。戦いの数は「19回」にも、およんだそうです。それにより、彼は国王の座につくことになりました。

こうのべると、カンビュセスのため、アケメネス朝のために、労力を注いだようにみえます。

しかしじつは、亡くなったカンビュセスには弟がいました。血統からみれば、ダレイオスよりも、この弟のほうが王位につく資格があり、かつ、ふさわしいとされました。

そこで、立場のうえで不利なダレイオスは、弟に反乱の疑いをなすりつけ、彼を逆賊にしたてあげます。こうして、武力制裁の大義をえて、弟の王位継承を阻止しました。

なので、いまの歴史家からみると、みずからの野心のために、争いをつづけいたフシが多分にあります。

カンビュセスには子供がいなかったので、バルディヤ〔弟〕は唯一の相続人だった。もしバルディヤが殺されておらず、単に叛乱を起こしただけだとすれば、カンビュセスが死んだ時点で、かれが正統な王位継承者になっていたはずである。〔略〕ダレイオスは、叛乱を起こしたバルディヤを偽者と主張することによってようやく、カンビュセスの意をくんで、バルディヤを倒し、自らの正当化できたのではなかろうか。(p.148)

このようにダレイオス即位の正統性については、かなり問題がありました。しかし、ダレイオスの軍事能力&政治センスは、すばらしいものがありました。

じっさい、王位就任後には、

・インド・パンジャブ地方

・小アジア

・黒海・北部

へと、ペルシャ帝国の領土を広げていきます。さらに、帝国内の官僚制をしき、統治のしくみをととのえていきます。

こうして、アケメネス朝ペルシャは、中東エリアをおさめ、大いに繁栄します。

ペロポネソス戦争において、ギリシャの「アテネ」に敗れてからは、じょじょに衰退していきますが、それまでは絶大な影響力をほこりました。

このプロセスをどうみるかで、評価は変わってきます。王位を奪った人物ですが、その後の繁栄をみると、ダレイオスを優れたリーダーだと認めざるをえません。

アレクサンドロス大王による征服&統治

アレクサンドロス大王は、アケメネス朝の領土をすべておさめました。

彼の死後、領土は分割され、各人物が統治します。

こんなかんじです。

・エジプト → プトレマイオス
・アナトリア → アンティゴノス
・バビロニア → セレウコス

歴史の流れとして、あたりまえのように、権力争い&領土争いが起こります。そのなかで、イチバンは発展したのが、エジプトの都市「アレキサンドリア」でした。

このあとの「ヘレニズム時代」「ローマ時代」をつうじて、もっとも栄えた都市とされます。

経済面で繁栄だけではなく、学術・文化面でも、大いに発展しました。

民族の交流も活発で、いわゆる「ヘレニズム文化」が栄えます。

この間に、少数派の都市住民ギリシャ人と多数派のエジプト原住民のあいだで、人種の融合が進行した。日常生活や軍隊での接触や、両者のあいだでの結婚が起こり、ギリシャ人はしだいにエジプト化した。かれらの多くは、ファラオ時代からの古い宗教、神官たちの伝承と学問、ヘレニズム時代を代表するエジプト神イシスとセラピスの崇拝などに影響された。(p.222)

こうみると、人びとのつながりが活性化すれば、経済も文化も発達するんですね。

アルサケス朝パルティアによる統治

その後、イラン地域は、[アルサケス朝パルティア → ササン朝ペルシャ]による統治へつづいていきます。

しかし、いまの「古代オリエント史」の研究では、500年つづいたのに、アルサケス朝パルティアの存在感は、かなりうすい。その理由は、「ササン朝ペルシャ」による歴史観が、あまりにつよいからです。

じつは、ササン朝ペルシャは、そのまえに統治していた「アルサケス朝パルティア」の政治&文化を、毛嫌いしました。

もっといえば、アルサケス朝を否定することで、みずからの正統性を高めていった、とみなすこともできます。

ササン朝の歴史観が、いまにもつながり、そのために、アルサケス朝パルティアの歴史が、どうしてもないがしろにされているわけです。

ササン朝は、文化的にも歴史的にも、アルサケス朝の後続者であったにもかかわらず、同じバールス出身であるアケメネス朝の伝統継承を意識的に強調した。アルサケス朝は、イラン文化より、むしろヘレニズム文化に毒された、とるにたらない存在であり、イラン文化の発展になんら貢献していないというのである。(p.270)

このあたりも、歴史をみるさいのポイントですよね。

どの立場から、歴史が記述されているのか。

研究者の意見を参考にしつつ、偏見をもたずに、ながめていきたいものです。

とはいえ、イラン地域は、[アケメネス朝 → アルサケス朝 → ササン朝]を軸に、展開してきたのは、まちがいありません。古代オリエント史をみるには、3つの王朝を軸に、理解するのが良さそうです。

おわりに

さいごに著者は、古代地中海エリアの特徴をつぎのように、まとめています。

① 古代では先進地帯だった
② アルファベットをふくめた文字の起源
③ ユダヤ教・キリスト教の発祥地
④ 大河がないため「巨大帝国」ができにくい
⑤ 地中海は、アジア、交易の中継地

このリストをみるだけでも、世界史において「古代中東エリア」が、どれほど重要かわかります。中東史を把握するには、もってこいの1冊です。

ぜひ、本書を利用して、中東の歴史にふれてみてください。