【書評】宮崎市定『世界の歴史 6 ─ 宋と元』(中公・旧版)感想&レビューです。

どうも、りきぞう(@rikizoamaya)です。

大学院では、キャリア論と社会保障を研究していました。

社会人なってからは、予備校講師 → ウェブディレクター → ライターと、いろんな職業にたずさわってきました。

働き方についても、契約社員 → 正社員 → フリーランスと、ひと通り経験してきました。

働くなかで思うのは、自分の市場価値をアップするには「教養」が大切だということ。

「できるなぁ」
「発想がすごいなぁ」

と、思う人は、キホン、教養を身につけています。

なかでも、重要なのは「世界史」です。

ここ数年、ビジネスマンの基礎知識として「世界史」が注目をあつめています。

ネット時代をむかえ、グローバル化が加速しているからです。

外国との交流が増えたことで、日本だけではなく、地球全体の歴史を知る必要が出てきました。

とはいえ、世界史は範囲も広く、どこから手をつければ良いか、わからないですよね。

分量も多くて、なんだかムズかしそう。。

そこでおすすめしたいのが、大手出版社から出ている「シリーズ本」を読むこと。

なかでも、こちらのシリーズは、さいしょに手にとってほしいです。

中央公論社が出した「世界の歴史」シリーズで「旧版」にあたるものです。

中公は、2000年代に、あらたに「世界の歴史」シリーズを刊行しました。

こちらを「新版」とよび、以前のシリーズは「旧版」といわれます。

じつは〝読みやすさ〟でいえば、「旧版」のほうがすぐれています。

「新版」のほうは、どちらかといえば「研究者」「玄人」むけ。

世界史の流れを理解・把握するには適していません。

絶版なのが難点ですが、古本屋 or ネット通販をつかってゲットしてほしいと思います。

きょうは、第6巻にあたる

を紹介したいと思います。

「6」では、中国エリア・「五胡十六国〜宋王朝〜元王朝」までをあつかいます。

ちなみに本書は、宮崎市定による「東洋ルネサンス論」が読める貴重な1冊です。

(そのため、絶版ということもあり、やたら高額で取引されています。。)

単著として読んでも価値があります。

宮崎市定『世界の歴史 6 ─ 宋と元』の概要

まずは目次から。

こんなかんじです。(※ こちらの都合で、番号をふりました。)

1 民族の試練
2 冬きたりなば
3 新社会の建設
4 重圧に耐える中国
5 名をすてて実をとる
6 華やかな時代
7 王安石の登場
8 党派の争い
9 金国の侵入
10 宋の南渡
11 モンゴル帝国の出現
12 南宋の滅亡
13 元王朝の興亡
14 宋元時代の文化
15 東アジアのルネサンス

1〜2で、五胡十六国時代。

3〜8で、宋の政治・経済について。

9〜10で、金王国と、宋への侵攻。

11〜13で、モンゴル帝国 vs 南宋との争い

14で、宋文化。

15で、宮崎先生による「東洋ルネサンス論」が展開されます。

内容については、政治・経済・文化 ─ ジャンルをバランスよくあつかっています。

文体もカンケツで、読みやすい。

とくに、宋王朝を知るには、かなりおすすめです。

宮崎市定『世界の歴史 6 ─ 宋と元』の詳細

以下、気になったトコを、カンタンにみていきます。

ポイントは、つぎのとおり。

  • 最後の禅譲
  • 商業の発展
  • 侵攻まえの宋のようす

ひとつひとつ、のべていきます。

最後の禅譲

禅譲とは、君主が、みずからの地位を、血縁者以外の人物にゆずる行為です。

じっさいには、宮廷の有力者が、ムリヤリ譲位をせまるケースがほとんどです。

「禅譲」と称して、皇帝の地位を奪っていたわけです。

これは、[漢王朝〜唐王朝]にかけて、たびたびおこなわれていました。

しかし禅譲による権力剥奪は、宋王朝をさいごに、終わります。

その理由は、宋代において、君主の地位が、格段に増したからです。

それまでは、君主 / 臣下の権限・地位に〝ひらき〟はありませんでした。

けれど、宋王朝では、すべて権力が、君主に集中します。

それにより、臣下の裏切りによる「禅譲」は、おこらなくなります。

〔……〕禅譲という革命の形式は、中国の政治史を特色づける重要な事象の一つであるが、宋の太祖を最後として、以後の中国にはおこなわれていない。〔……〕宋代以後は、君主独裁政治が発達し、天子の権力が無限に発展したので、天子と臣僚かあいだに権力の大きな懸隔が生じたことが、一つの原因である。(p.071)

政治体制の移りかわりも、宋時代の特徴といえます。

商業の発展

宋時代では、商業が発展しました。

背景には、唐王朝をささえた「荘園」「封建経済」の衰退があります。

唐代・末期、内乱によって、地主が廃れていきます。

それにともない、かれらが抱えていた、奴隷・農奴が解放 ─ 。

結果として、小作人として働き手が増え、商業が盛りあがってきます。

〔……〕唐末から、荘園の封建経済がすたれ、商業がしだいに発達してきた。これは、唐末五代の騒乱によって、奴隷や農奴が社会的に解放され、多数の小作人が生じたことが大きな原因であろう。(p.085)

繁栄の要因

宋時代・中期になると、いっそう発展し、繁栄期をむかえます。

小作人の活躍もあります。

それにくわえて、各地域ごとで、独自の産業が発達 ─ 。

それぞれのあいだで商品として取引がなされます。

それまでは自給自足の経済でした。

市場が生まれ、商品経済ができあがることで、各地の生産性がアップします。

これが、繁栄の要因です。

〔……〕五代各国が分裂した時代には、〔……〕各国は、その土地に適した産業を奨励したので、各地にそれぞれの特産物ができるようになった。〔……〕以前の自給自足の荘園経済はすぎさって商品経済に入ったので、これらの産物は、従来よりはずっと大量に生産されるようになった。(p.157)

いっぽう、農民 / 傭兵の身分が、分離 ─ 。

兵士を中心に、給料でくらす人びとが増えます。

かれらが消費者となり、生産活動&市場経済をささえるようになります。

こうして、[生産 → 消費]のサイクルができ、うまく市場がまわっていきます。

宋代では、経済が大いに発展します。

侵攻まえの宋のようす

こんなふうに、宋は繁栄をむかえました。

しかしそのあいだに、中国北部で、遊牧民が勢力をのばしていきます。

「モンゴル帝国」です。

このころは、宋は南部に首都を移していました。

けれどモンゴル軍は、すぐそこまで迫っていました。

とはいえ、豊かさを謳歌(おうか)する宋王朝に、緊張感はありません。

気候も温和・経済も豊か・文化も華やか ─ こんな環境のためか、たくましい遊牧軍がせまっても、どこかノン気でした。

朝廷の最高責任者が、〔……〕遊び半分の仕事をして、はたしてそれでいいかと誰しも考えるだろうが、じつは当時の南宋の首都、臨安府の市民気風が、たいていこのようなものであった。人生は娯楽のためにこそある。気候の温和な、風光明媚な、物質の豊かな杭州は、南宋の首都として、全国の租税がここに集められて消費される。(p.364)

もちろん、全員が全員が、ゆるんでいたわけではありません。

なかでも周辺地域をまもる傭兵は、かなり警戒していたはず。

けれど、ぜいたくに慣れた宮廷は、享楽のなかにいました。

世界史では、ありがちな流れですが、「なんとももはや」といったかんじです。

結果、宋王朝は、モンゴル帝国(=元王朝)に滅ぼされます。

おわりに

旧版ながら、この「世界の歴史」シリーズは、かなり読みやすく、おすすめです。

ムズかしい用語を、ほとんどつかわず、一般の人がみても、わかるように書かれています。

なにより、知的好奇心をうながすように、歴史をたどるため、読んでいて飽きません。

ざっくり、かつ、ある程度、くわしく世界史の流れを知りたい人には、もってこいの1冊です。

よければチェックしてみてください。

ではまた〜。