どうも、りきぞう(@rikizoamaya)です。
大学院では、キャリア論と社会保障を研究していました。
社会人なってからは、予備校講師 → ウェブディレクター → ライターと、いろんな職業にたずさわってきました。
働き方についても、契約社員 → 正社員 → フリーランスと、ひと通り経験してきました。
働くなかで思うのは、自分の市場価値をアップするには「教養」が大切だということ。
「発想がすごいなぁ」
と、思う人は、キホン、教養を身につけています。
なかでも、重要なのは「世界史」です。
ここ数年、ビジネスマンの基礎知識として「世界史」が注目をあつめています。
ネット時代をむかえ、グローバル化が加速しているからです。
外国との交流が増えたことで、日本だけではなく、地球全体の歴史を知る必要が出てきました。
とはいえ、世界史は範囲も広く、どこから手をつければ良いか、わからないですよね。
分量も多くて、なんだかムズかしそう。。
そこでおすすめしたいのが、大手出版社から出ている「シリーズ本」を読むこと。
なかでも、こちらのシリーズは、さいしょに手にとってほしいです。
中央公論社が出した「世界の歴史」シリーズで「旧版」にあたるものです。
中公は、2000年代に、あらたに「世界の歴史」シリーズを刊行しました。
こちらを「新版」とよび、以前のシリーズは「旧版」といわれます。
じつは〝読みやすさ〟でいえば、「旧版」のほうがすぐれています。
「新版」のほうは、どちらかといえば「研究者」「玄人」むけ。
世界史の流れを理解・把握するには適していません。
すでに絶版なのが難点ですが、古本屋 or ネット通販をつかってゲットしてほしいと思います。
…
そこできょうは、第3巻にあたる
を紹介したいと思います。
「3」では、中世ヨーロッパをあつかいます。
目次
堀米庸三『世界の歴史 3 ─ 中世ヨーロッパ』(中公・旧版)の概要
まずは目次から。
こんなかんじです。(※ こちらの都合で、番号をふりました。)
2 孤立する西方世界
3 西方世界の独立
4 試練に立つ中世ヨーロッパ
5 十字軍前のヨーロッパ見取図
6 封建社会の生活環境
7 天上の国と地上の国
8 十字軍
9 中世法王権の光とかげ
10 支配者の群像
11 中世社会のパノラマに
12 陽はすでに傾く
13 あらたな原動力
14 北から南へ
15 中世後期の人と生活
16 苦難の時代
17 崩れゆく中世世界
「西ローマ帝国の滅亡〜ルネサンス直前」をあつかいます。
キホン、年代順に構成されています。
なかみは、皇帝 / 教皇の関係&対立がメインです。
いっぽう、6、11、15などでは、町のようすだったり、民衆の暮らしなどをみていきます。
文化史は少なめですが、政治・経済・文化 ─ バランスよく取りあげています。
くわしく中世史を知りたい方には、ピッタリの1冊です。
堀米庸三『世界の歴史 3 ─ 中世ヨーロッパ』(中公・旧版)の詳細
以下、気になったトコを、カンタンにのべていきます。
中世の全体像
中世といっても、1000年以上あります。
人も国家もコロコロ変わっていましたが、おもな主役・担い手は、つぎのとおりです。
・フランク王国(皇帝)
・東ローマ帝国
・イスラム教徒
4つの国家・組織・民族が、入り乱れるながら、中世時代を動かしていきます。
具体的には、西ヨーロッパ地域を、「ローマ=カトリック」&「フランク王国」がおさめ、覇権争いをくりひろげます。
いっぽう、「東ローマ帝国」「イスラム教徒」が、圧力・侵略をくわえながら、外部から関わってくるかんじです。
経済・社会のしくみ
一般的に、中世は「封建社会」といわれます。
・修道院
・民衆
が担い手です。
キホン、封建君主が、民衆から徴収した「富」が、修道院に流れ、そこをつうじて社会に還元されていました。
いっぽう、中世後期になると、封建君主&修道院の立場も下がり、「封建制度」じたいが衰退していきます。
〔……〕封建社会では、支配階級の搾取した富が修道院を通して〔……〕社会に還流していた。それが慈善のかたちでおこなわれたかぎりでは、ひとつの罪ほろぼしだが、慈善は人びとに積極的に生きる意欲を失わせる。そして修道院の衰退は、高利貸し資本の繁栄のもとだった〔……〕。(p.286-287)
封建制の[確立 → 発展 → 衰退]の流れをみるのも、中世ヨーロッパを理解するうえで、だいじな要素です。
ゲルマン民族 / イスラム教徒にちがい
中世ヨーロッパ(とくに、西ローマ帝国の滅亡後)は、民族移動にさらされた時代でした。
中世史は、フン族の来襲からオスマントルコの東ローマ攻略(1453年)にいたるまで、全体としてヨーロッパにたいするアジアの攻撃の歴史だった。(p.108)
ながでも影響をあたえたのが、
・イスラム教徒の侵入
です。
とはいえ、2つの進出には、ちがいがあります。
ゲルマン人は、ローマ人&文化に溶けこみながら広まっていきました。
いっぽう、イスラム教徒は、ローマ文化を積極的に取り入れながら、拡大してきました。
領土こそ、イベリア半島に一部を手にしただけですが、自国文化の発展という意味では、イスラム教徒のほうが上手(うわて)でした。
イスラム教徒は、けっきょくマホメットの教えを堅持しながら主体的に古代文明を摂取したのにたいして、原始的な信仰以外には何もなかったゲルマン民族は、古代文化にまきこまれるほかなかったのである。(p.55-56)
カール戴冠のねらい
教科書では「カール戴冠」(800年)は有名ですが、ゲルマン人の視点でみると、このできごとは大きな意味をもっています。
ローマ教皇が、カール1世を「皇帝」として認めた事件ですが、これは「武力」「暴力」の面だけでなく、
とみなすこともできます。
フランクは、ほかのゲルマン諸国が古代末期の文化になずんで、一様に堕落してしまったように、あるいはそれ以上に堕落してしまった。そこには崩れゆく古代世界に寄生するほか、新しい世界の建設という積極的な意欲は、まったく感じられなかった。ながく伝統的観念だけで生きてきた世界をつくりかえるには、征服という事実だけでは足りなかった〔……〕強烈な道徳的エネルギーが、ちょうどイスラムの場合と同じように、必要だったのである。(p.75-76)
移動後、ゲルマン人が、はじめてローマに権勢をふるった、認められた、といえる画期的なできことでした。
民族移動の視点でみるとき、普及・拡大後、おたがいにどのような影響を与えたのか ─ それを知るのもだいじポイントです。
皇帝権&法王権の衰退
中世ヨーロッパは、統治をめぐり「皇帝 vs 教皇」が、交渉&対立した時代です。
・カノッサの屈辱
を、その最たるできごとです。
とはいえ、十字軍遠征の失敗以降、〝旗振り役〟の教会・教皇の権威がさがっていきます。
同時に、争っていた皇帝のチカラも弱まっていきます。
ふつう法王権は、13世紀いっぱい、その権勢を保ちつづけたと考えられているが、じつはその最盛期は、皇帝権の没落とほとんど同時に終わっているのである。(p.332)
なぜでしょうか。
背景には、
・都市国家(経済)の発展
があります。
温暖化にともない「農業生産高」が上昇 ─ 。
それにともない都市の経済もうるおい、領土をおさめる国王もチカラをつけていきます。
結果、それまで西ヨーロッパ地域を統治していた、皇帝&教皇の影響力がさがっていくわけです。
法王権が皇帝権とたたっていたとき、法王権の主要な支持者は、北イタリアの法王派都市であった。しかしこれらの都市の多くは、13世紀後半、専制的な都市君主をいだく都市国家に変貌をとげていた。〔……〕皇帝も法王も、あるいはまたフランスも、その政治的利害の手段にすぎなかった。(p.333)
以後、近世・近代にかけては、「都市国家」と「各国の国王」が、主役をにない、時代をひっぱっていきます。
このあたりの〝権力の移り変わり〟も、ひきつける文体で、うまく描いています。
おわりに
旧版ながら、この「世界の歴史」シリーズは、かなり読みやすく、おすすめです。
ムズかしい用語を、ほとんどつかわず、一般の人がみても、わかるように書かれています。
なにより、知的好奇心をうながすように、歴史をたどるため、読んでいて飽きません。
ざっくり、かつ、ある程度、くわしく世界史の流れを知りたい人には、もってこいの1冊です。
よければチェックしてみてください。
ではまた〜。