【書評】『世界の歴史 29 冷戦と経済繁栄』感想&レビュー

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

きょうは『世界の歴史 29 冷戦と経済繁栄』を紹介します。

本書は、中央公論新社から出ている「世界の歴史シリーズ」の第29巻です。

『世界の歴史 29 冷戦と経済繁栄』の概要

まずは目次から。こんなかんじ。

1 戦後の経済繁栄 ─ 1950〜1973年
2 経済成長の政治 ─ 1955〜1970年
3 冷戦からデタント(緊張緩和)へ
4 冷戦と脱植民地化
5 東アジア・東欧・第三世界の経済
6 デタント(緊張緩和)
7 世界経済の構造変化 ─ 1973〜80年
8 アジアの台頭
9 新自由主義とグローバル化の進展 ─ 1980〜90年
10 冷戦の終焉

テーマは、冷戦時代 ─ 。

1950年から冷戦が終結した1990年の終わりころまでをあつかいます。

本書の特徴は、章ごとにテーマを政治/経済に分けていることです。

戦後世界の流れを、政治&経済の両面から説明しているので、より立体的にとらえることができます。

『世界の歴史 29 冷戦と経済繁栄』のポイント

わたしが気になったのは、つぎの2点。

  • EU 形成のきっかけ
  • 規制緩和の成果

それぞれ、みていきます。

EU 形成のきっかけ

大戦後、ヨーロッパでの大きい動きとしては、欧州統合があげられます。

いまでこそ、EU はあたりまえのように存在していますが、できるまでにはそれなりの経緯がありました。

1950年以降、ソ連の脅威をしり目に、西ヨーロッパ各国とアメリカは、それぞれ思わくをいだいていました。

壁をつくられた西ドイツは、東側の脅威に対抗するために、なによりもまずは経済力をつけようと考えていました。

隣国のフランスは、ふたたびナチスのような政治勢力が出ないように、ドイツ強化を回避する策を練っていました。

いっぽうでアメリカは、もうヨーロッパで戦争が起きないように、各国が協調する方向をさぐっていました。

以上、3国の思わくが一致し、それによりつくられたのが欧州統合です。

統合機関を設けることで、

・ドイツ → 経済力の向上
・フランス → ドイツ強化の抑止
・アメリカ → ヨーロッパの協調

といったかたちで、各国は期待したわけですね。

アデナウアーは「西側への選択」といわれるように〔略〕西側各国と同等の地位を得ようとした。〔略〕フランスはドイツの強大化を恐れ、戦争直後は苛酷な政策をとっていたが、独仏協調を重視するアメリカの立場もあって、西ドイツとの関係を強化することによって西ドイツの行動を拘束するという方針に傾いていった。その第一弾が1950年5月にフランス外相シューマンが発表した仏・西独なとで石炭・鉄鋼を共同管理する提案であった。

─ 2章 p.73

ご存知のとおり、関税撤廃&共通通貨など、はじめからドラスティックに欧州統合をおこなったわけではありません。

さいしょは一部の産業から経済統合をおこなっていきました。

急速に変えるわけではなく、ちょっとずつ統合させていったトコに、各国の思わくと、現実主義の考えがみえます。

規制緩和の成果

1950年から1973年まで、アメリカや西ヨーロッパ諸国の経済力は、順調にのびていきました。しかしオイルショックをきっかけに、経済の伸びは鈍くなります。

資本主義体制をとっていた国々では、インフレと失業が同時におこる「スタグフレーション」が発生します。

それまでインフレ(=通貨価値の低下&物価の向上)は、経済活動がまわり、活発に取り引きされている証拠でした。そのために、労働市場もうまくまわり、失業率も低水準におさえられていました。

しかしオイルショック以降は、原油価格の高騰からはじまり、まさにドミノの倒しのように物価が上がり、にもかかわず、失業率は下げ止まらない状況がつづきます。「物価高」「高い失業率」が、いっしょに起こったわけです。

このような事態は、それまでの経済政策では考えられず、各国は対応を求められました。そこから出てきたのが「新自由主義」とよばれる一連の政策です。

アメリカではレーガン大統領が、イギリスではサッチャー首相が、日本では中曽根首相が、かじ取りを担いました。

おこわなれた対策のなかで、いちばん目立ったのが「規制緩和」でした。

成長をおしすすめた企業や団体が、既得権益化し、市場価格をかためている ─ そのためにマーケットのしくみが機能せず、インフレや高い失業率をもらたしている ─ 。

以上の問題を解決するには、既得権益者が牛耳るルールをゆるめ、適正なマーケット価格へとうながす必要がある ─ 。

「規制緩和」をかかげたリーダーたちは、こんなふうに声をあげました。

それでは対策をおこなったことで、どれほどの効果があったのか。

本書では、2つの帰結を述べています。

まず失業率については、期待したほどの効果はありませんでした。

規制緩和の結果、雇用が増大したと報告されたケースはほとんどない。92年に出版された、当時のクエール副大統領がレーガン、ブッシュ両大統領に提出した『規制緩和の遺産』という報告書では、2つの興味ある結果が指摘されている。ひとつは雇用の増加を報告している産業はないということ。9章 p.390-391

むしろイギリスでは、失業率保険など、社会保障給付を打ち切られたことで、苦しい生活をしいられた人が増える結果になりました。

しかしそのいっぽう、懸念されていた交通機関における事故率の上昇は確認されませんでした。

国による保護がなくなり、品質が下がることで事故が増えると思われた鉄道や航空業界ではむしろ、さまざまなトラブルが減っていきました。

もうひとつは、規制緩和によって航空輸送や鉄道業の事故率が(予想に反して)低下しているということである。規制緩和は競争を激しくし、スケジュールや航行に無用のプレッシャーをかけ、事故を増加させると危惧されていた。しかし実際は、緩和前にくらべ事故率はほぼ半減したのである。

─ 9章 p.391

その意味ではたしかに、規制緩和(=民間企業への委託)には、それなりの効果はありました。しかしひとつの政策が、立案者や実行者の期待どおりにはならないことを結果となりました。

新自由主義政策にかぎらず、いつの時代でも、統治者の思わくどおりにならないことは、歴史の必然かもしれませんね。

おわりに

以上のように、本書では冷戦時代をあつかっています。

この時代を知るには、もってこいの内容です。

よければ、チェックしてみてください。

では、また。