どうも、りきぞうです。
大学のころから、世界史に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。
きょうは『世界の歴史 12 明清と李朝の時代』を紹介します。
本書は、中央公論新社から出ている「世界の歴史シリーズ」の第12巻です。
目次
『世界の歴史 12 明清と李朝の時代』の概要
まずは目次から。こんなかんじ。
2 明帝国の広がり
3 両班の世紀—十六世紀の朝鮮
4 後期明帝国の光と影
5 華夷変態
6 朝鮮伝統社会の成立
7 清朝の平和
8 新たな挑戦者たち ─ 李朝末期の朝鮮
9 盛世から危機へ
10 ヒトと社会 ─ 比較伝統社会論
本書のテーマは、中国の明と清 ─ 。並行して、両時代の朝鮮エリアをあつかっています。
年代でいえば、1350年〜1750年くらいまで。
著者は2人で、どちらも語り口はやさしく、きほんのできごとを詳しく述べているかんじです。教科書程度の知識があれば、すんなり読み通せる内容になっています。
内容ですが、清朝については、西洋諸国にによって植民地化される直前までを描きます。[康熙帝 → 雍正帝 → 乾隆帝]と3代にわたり名君が登場し、清がもっともさかえていた時代です。
かれらの「人となり」をおもしろく、わかりやすく描写しているので、この時期の雰囲気をより具体的に味わうことできます。
『世界の歴史 12 明清と李朝の時代』のポイント
わたしが気になったトコは、つぎの2点。
- 北虜南倭の要因
- 清朝全盛の雰囲気
それぞれ、みていきます。
北虜南倭の要因
それまでのモンゴル帝国に代わって、中国をおさめた明朝 ─ 。
けれど、ユーラシア一帯をおさめた元朝とは異なり、統治する領域もせまく、権力はなかなか安定しませんでした。
なかでも中期から後期にかけては、北部ではモンゴル部族の騎馬、南部では倭国(日本)の海賊に悩まされます。
一般に「北虜南倭」といわれています。
こんな事態におちいるのにも、理由がありました。
それは、東シナ海における海洋貿易の状況です。
じつは明朝の後期(1550年〜1650年ころ)は、空前の国際交易ブームでした。そのために、中国沿岸の各都市は大いにさかえます。
行政面でも、明朝の権力が弱かったために、官職の任命権、裁判の決定権までもにぎります。鄭氏一族をはじめとして、なかば独立国のように、ふるまっていました。
とき同じくして、中国北部では、つねにモンゴル系の部族が侵入してきます。そのたびに、明朝は軍事費をかける必要にせまられ、不足分を南部都市からの税金にたよることになります。
つまり、明朝の〝おサイフ〟は、南部の各都市ににぎられていました。
「北虜」と「南倭」はつながっていて、北虜が加速するほど、南倭もいきおいをつけ、南部の(独立)都市は、ますます栄える ─ こんな構図ができあがっていました。
そして、交易による恩恵は、南部にかぎらず、西南地域や、満州周辺にまでおよぶ ─ そこから、のちに清朝をきずくことになる、ヌルハチの一族も台頭してきます。
教科書では、中華王朝「明」 vs 征服王朝「清」の構図で歴史が語られています。
ですが、宗教上・思想上の対立というより、経済の流れを反映した争いだったとみるほうが、実情にあっています。
清朝にしても鄭氏にしても、そして東北の軍閥的勢力の流れをくむ三藩にしても、16世紀以来の活気あふれる〔略〕辺境社会のなかで鍛えられ、のしあがってきた集団なのであった。〔略〕いわば新興国家の芽が明朝の支配を掘りくずしていったのが、16世紀から17世紀にかけての状況である。
─ 5章 p.278-279
「当時の海洋交易ブームが明朝を苦しめていた」というのは、おもしろい視点だと思います。
清朝全盛の雰囲気
乾隆帝の時代(1700年代)は、清朝がいちばん繁栄していた時代でした。
教科書では、このころの文化としては、歴史研究において「考証学」が確立した、と書かれていたりします。
といっても、ふつうの人からすれば、たいしておもしろくもなく、ピンときませんよね。
それよりも、小説『紅楼夢』のほうが、この時代を知るには、もってこいだと、著者は指摘します。
当時は、この物語にハマりすぎて、中毒者が続出したといわれます。「紅迷(紅迷夢マニア)」という言葉も、うまれたくらいです。
で、それほどのブームをまきおこした小説の内容といえば、繊細な少年が、潔癖でプライドの高い少女に〝ふりまわされる〟というもの ─ 。
物語の特徴としては、
・柔和で繊細な気持ちにたいする偏愛
にあるといいます。
『紅楼夢』から、清朝全盛の雰囲気が分かるという指摘に「なるほどなぁ」と思いました。
経済面で豊かになり、生活にゆとりが出てくると、ちまちました日常だったり、きもちの機微に、こころをまどわす ─ 。
豊かになったいまの日本と同じく、『紅楼夢』で描かれた特色が、世の中に広がっていたのかもしれませんね。
清代中期の人びとは、〔略〕柔らかい心のひだにグッときやすい感性をもっていた、と私には感じられるのである。総じていえば、空疎な大言壮語や居丈高な建前論にたいする嫌悪感ということであろうか。逆にいえば、繊細で的確なもの、リアルで微妙なものにたいする好み、といってもよいかもしれない。
─ 9章 p.432
わたしたちのいまを知るにも、『紅楼夢』をすこし読んでみたい気になりました。
おわりに
以上のように、本書では明朝〜清朝前期までをあつかっています。
ふたつの時代を知るには、もってこいの内容です。
よければ、チェックしてみてください。
では、また。