インドのイスラーム王朝 ─ カズナ朝・ゴール朝・奴隷王朝・デリー=スルタン王朝・スーフィズム【世界史】

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・インドのイスラーム王朝を知りたい
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・スーフィズム
重要人物
・フィルドゥシー
・アイバク
ポイント
・インドでは[ガズナ朝 → ゴール朝]の順で侵入がくりかえされ、デリー=スルタン王朝が成立した

この記事では、つぎの本を参考にしました。

インドのイスラーム王朝① ─ ガズナ朝

ガズナ朝の国章

さいしょにインド地域で台頭したのが、トルコ系のガズナ王朝です。

アフガニスタンから歩をすすめ、インド方面に進出してきます。

もともとサーマーン朝に属していたマムルーク(奴隷軍人)が自立し、北インドへと征服活動を始めました。

名まえのとおり、ガズナに拠点をきずき、以後、たびたびインドへ兵をすすめます。

ただし、インドの統治はおこなうことなく、たんに略奪目的で侵攻をくりかえします。インドの民衆からすれば、とんだ厄介者でした。

このとき王都ガズナでは、詩人フィルドゥシーが活躍しています。

インドのイスラーム王朝② ─ ゴール朝

ゴール朝君主 シハーブッディーン=ムハンマド

つづいて、インド地域で勢力をのばしたのがゴール朝でした。

こちらもアフガニスタンの王朝で、それまでイラン付近をおさめていたガズナ朝を倒し、台頭してきました。同じくガズナを拠点としながら、くりかえしインドに兵をすすめます。

またゴール朝は、インダス河付近におさまらず、ベンガル地方にまで進出しました。

ただしこの王朝も、ガズナ朝と同じく、インドの統治はおこなわず、財宝や資源を略奪するだけでした。インドの人たちからすれば、ゴール朝もまた、なんら利益をもたらさない侵略者にすぎませんでした。

以後、ゴール朝は100年も経たないうちに、トルコ系のホラズム=シャー朝によって滅ぼされます。

インドのイスラーム王朝③ ─ 奴隷王朝

アイバク

ゴール朝のつぎに、インド方面に手をのばしたのが奴隷王朝です。

それまでのガズナ朝やゴール朝と異なり、略奪目的ではなく、インドに拠点をかまえ、統治をおこないます。

デリーに都をおき、本格的なインドのイスラーム王朝となりました(学術的には、インド初のイスラーム王朝とされています)

奴隷王朝の建国者は、軍人のアイバクです。彼はもともと、ゴール朝につかえる、マムルーク出身の武将でした。

ゴール朝の国王からインド支配を任されますが、権力争いから、つかえていた君主が殺されてしまいます。それを機会にアイバクは、そのままインドをおさめることになりました。

本格的なインドのイスラーム王朝をあらわすように、彼は都市デリーにクトゥブ=ミナールとよばれるモスクを建造します。

ヒンドゥーとイスラームの文化が交わった、独自性の高い建築様式になっています。

インドのイスラーム王朝④ ─ デリー=スルタン王朝

ハルジー朝君主 アラー=ウッディーン=ハルジー

奴隷王朝のあとも、歴代の王たちはデリーに拠点をかまえ、統治をおこないます。

そのため、以降の王朝をまとめてデリー=スルタン王朝とよんだりします。

一覧をあげると、つぎのようになります。

・ハルジー朝
・トゥグルク朝
・サイイド朝
・ロディー朝

ハルジー朝時代では、勢力をのばすモンゴル軍を、かろうじて食い止めています。

トゥグルク朝時代には、モンゴル帝国の後継を自称するティムール軍が侵攻してきます。しかしこの征服も、なんとかおさえることができました。

デリー=スルタン王朝のなかで注目したいのは、さいごのロディー朝です。かれら王朝は、イスラームを国教としながらも、民衆にたいして改宗を強制せず、ヒンドゥーの信仰を容認しました。

このイスラームとヒンドゥーの融和は、以後の王朝でも大きな課題となっていきます。

いっぽうヒンドゥーの信仰が認められるなかで、イスラーム系のスーフィズム(神秘主義)も広まっていきます。

インドでは、神秘主義の普及がイスラーム化に貢献した、とみることもできます。

おわりに

インドのイスラーム王朝をみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・スーフィズム
重要人物
・フィルドゥシー
・アイバク
ポイント
・インドでは[ガズナ朝 → ゴール朝]の順で侵入がくりかえされ、デリー=スルタン王朝が成立した

この記事が、インドのイスラーム王朝を知りたい人の参考になれば、うれしいです。

では、また。