どうも、りきぞうです。
大学のころから、世界史に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。
きょうはつぎの本を紹介します。
目次
『世界の歴史 6 隋唐帝国と古代朝鮮』概要
まずは本書全体の目次から。こんなかんじです。
1 憧れのみやこ大唐長安
2 両晋の興亡と民族大移動
3 『晋書』の世界
4 漢族の南朝と鮮卑族の北朝
5 両晋・南北朝の宗教と文化
6 宗教国家の隋王朝
7 大唐世界帝国
8 大唐の文化と日本
第2部 朝鮮の古代から新羅・渤海へ
1 古朝鮮と楽浪郡
2 高句麗と三韓
3 高句麗と東アジア
4 百済・新羅と加羅諸国
5 新羅の統一と隋・唐帝国
6 新羅と渤海
第1部は、中国史の南北朝時代から隋唐帝国まで。
政治史についてはカンタンにふれて、おもに文化史をメインにあつかっています。画像も豊富で、かなり見やすいです。
第2部は、朝鮮の歴史 ─ 。
石器時代から、高句麗・新羅・百済の三勢力時代まで、わかりやすくまとめています。朝鮮史をほとんど知らなくても、すんなり理解できるかと思います。
どちらも、日本との関わり(白江村の戦いなど)を、ほどよく描いているので、親しみをもって読みすすめることができるかと。
『世界の歴史 6 隋唐帝国と古代朝鮮』詳細
以下、気になったトコをあげていきます。
つぎの2点です。
- 両税法が導入された要因
- 卑弥呼時代の国際関係
それぞれ、くわしくみていきます。
両税法が導入された要因
隋唐をつうじて、律令体制がきずかれていきます。
しかし唐の末期には、このしくみは崩壊します。
なぜでしょうか?
この時期、地方豪族が勢力をふるって、土地を占有します。それにより、きつい労働をしいられる農民が、農地から、ぞくぞくと逃げだし「逃戸」へと変貌 ─ 。
結果、戸籍をつかめなくなり、王朝にとっては、兵役&税金も、課することができなくなります。それまでのしくみ「租庸調制」が効かなくなるわけです。
そこでうまれたのが「両税法」です。
これは夏と秋の2回に分けて、銅銭でもって納税させる施策です。
戸籍をつかめなくても、どうにか兵役&税金を課したい王朝 ─ 。
農地面積&農業生産力におうじて、納税してもらうことに方針をかえます。「籍」という〝かたち〟をすてて、資産&能力など〝なかみ〟でいこう、としたわけです。名をすてて、実をとったわけですね。
教科書などでは、両税法の概要はふれますが、背景までは説明しません。本書では、両税法が導入された社会状況を解説している点で、たいへんためになります。
〔……〕両税法は、本籍地に居住するしないにもかかわらず、現に耕作している土地所有をみとめ、土地の面積や、生産力に応じて夏と秋の2回、銅銭で税を納めさせるという画期的な新法であった。租庸調制から両税法への移行は、それまでの本籍地主義から現住地主義への大変化だったのである。(p.243-244)7章
両税法は、のちの「清朝」までつづきます。
中華王朝にとっては、なくてはならないしくみでした。
その意味で、760年に両税法を導入した、宰相「楊炎(ようえん)」は、もっと注目されていい人物のような気がします。
卑弥呼時代の国際関係
つづいて、古代朝鮮 ─ 。
卑弥呼が、ときの中国王朝「魏」に〝あいさつ〟にむかったのは、ご存知ですね。
そのさい、どういうネットワークをつうじて、王朝に出向いたのか ─ ここは、わりと気になりますよね。
じつはここに、古代朝鮮の状勢がカンケーしてきます。
当時(240年ごろ)、朝鮮半島では、「帯方郡(たいほうぐん)」という領域国家が、半島の西岸に、情報&物流のネットワークをきずいていました。
卑弥呼を首長とした倭国は、このながれをつかみ、王朝訪問の足がかりにしました。
辰王〔帯方郡のトップ〕が張りめぐらした幹線ネットワークの要衝拠点は、朝鮮半島の西海岸から南海岸に沿ってひろがり、その先は、卑弥呼の日本列島にむかっていた。〔略〕帯方郡から倭にいたるまで、海岸にしたがって水行し、韓国をすぎて、〔略〕倭の北岸の狗邪韓国にいたるまで、七千余里であるという海上交通の航跡図に、ピタリ重なるのである。(p.337)11章
おもしろいのは、わたしたちが考えている以上に、卑弥呼の時代でも、国際ネットワークは、活発に形成されていたことです。
このあたりも、日本史だけなく、中国史&朝鮮史をみないと、なかなか理解できないのトコですよね。

当時の国際状勢を知るうえでも、第2部の「朝鮮史」は、けっこう有益です。
おわりに
本書は、「詳しさ」と「分かりやすさ」が、ほどよくマッチしています。
世界史学習にはぴったりなので、ぜひ手にとってみてください。


