【書評】君塚直隆『ヨーロッパ近代史』感想&レビューです。

どうも、りきぞう(@rikizoamaya)です。

大学院では、キャリア論と社会保障を研究していました。

社会人なってからは、予備校講師 → ウェブディレクター → ライターと、いろんな職業にたずさわってきました。

働くなかで思うのは、自分の市場価値をアップするには「教養」が大切だということ。

・仕事ができる
・いい発想をする

こう思える人は、キホン、教養を身につけています。

わたしも、これまで古典&学術書を読みあさってきました。

なかでも、さいきんブームになっているのは「世界史」です。

ここ数年、ビジネスマンの必須知識として「世界史」が注目をあつめています。

ネット時代をむかえ、グローバル化が加速しているからです。

なかでも近代ヨーロッパの歴史は、とても大切です。

この時期に、いまの思想・制度のベースがつくられたからです。

とはいえ、近代ヨーロッパを知るには、範囲も広く、なかみもフクザツ ─ 。

理解するのは、たいへんです。

そんなとき、つぎの本をみつけました。

著者は、イギリス政治外交史、ヨーロッパ国際政治史の専門家。

『立憲君主制の現在』では、サントリー学芸賞も受賞しています。

本書では、[ルネサンスの勃興〜第一次世界大戦]までを描き、近代ヨーロッパ史をたどっていきます。

できごとをなぞるだけでなく、転換点となる時期に活躍した人物をとりあげながら、近代の特徴をうきぼりにしていきます。

ピックアップする人物と、かれらにカラむできごとは、つぎのとおりです。

・ダ・ヴィンチ → ルネサンス
・ニュートン → 近代科学
・ロック → 名誉革命
・ヴォルテール → 啓蒙主義
・ゲーデ → 市民革命
・ダーウィン → 進化論
・レーニン → 帝国主義

どの事件&思想も、近代をあらわすキーワードです。

それぞれの人物の生涯とリンクさせながらみていくので、たいへんわかりやすくなっています。

とりあえず、この本を読めば、近代ヨーロッパの全体像は、ざっくり理解できると思います。

君塚直隆『ヨーロッパ近代史』の概要

まずは目次。こんなかんじです。

はじめに 「ヨーロッパ」とはなにか
第1章 ルネサンスの誕生
第2章 宗教改革の衝撃
第3章 近代科学の誕生
第4章 市民革命のさきがけ
第5章 啓蒙主義の時代
第6章 革命の時代
第7章 人類は進化する?
第8章 ヨーロッパの時代の終焉
おわりに ヨーロッパ近代とはなんであったのか

「はじめに」で、近代ヨーロッパの特徴と、理解するさいのアプローチを提示します。

1章以降は、年代順に、ヨーロッパ近代史をたどっていきます。

8章では、レーニンの生涯・視点から「帝国主義」をとりあげ、ココを「近代の終わり」とします。

人物の関わりをあげながら、各章〝数珠つなぎ〟で構成されています、

なので、1章から順々にみていくほうが、物語を読むようで、アタマに入りやすいと思います。

もちろん、目次をみて、気になるテーマからチェックしてもオーケーです。

君塚直隆『ヨーロッパ近代史』の詳細

はじめに、近代ヨーロッパをみる視点(アプローチ)を示します。

それは、

宗教と科学の相克(そうこく)

です。

近代以前の中世は、教会が権威をにぎり、ヨーロッパ世界をカタチづくっていました。

個人も国家も、教会の意向にそって、行く末を決めていました

宗教が世の中をおおっていたわけです。

しかし、近代では「科学」が生まれ、以降、宗教 / 科学が〝両輪〟となって、時代を動かしていきます。

注意したいのは、[宗教 → 科学]へと進化・発展したわけでない、という点です。

近代に入っても、〝科学だけ〟になったわけでなく、つねに宗教問題がカラんできました。

お互いに影響しあいながら、ヨーロッパの歴史をすすめていきました。

本書では、宗教 / 科学を軸にすえて、近代ヨーロッパ史をとらえていきます。

以下、気になったトコをみていきます。

近代以前のヨーロッパのようす

いまでこそ、ヨーロッパの影響力は、かなりのものです。

しかし、近代以前は、世界にたいしてチカラをもっていませんでした。

政治・経済の中心は、ユーラシア大陸の国々(オスマン帝国・ムガル帝国・中華帝国など)です。

それは、1500年代はじめ、ルネサンス初期、ダ・ヴィンチが生きた「ルネサンス初期」でも、状況は同じでした。

むしろ、東ローマ帝国を受けつぐ「ビザンツ帝国」が、トルコの「オスマン帝国」によって陥落・占領されていたくらいです。

世界の覇権を握るどころか、〝乗っ取られるかも〟という危機感が、ヨーロッパをおおっていました。

レオナルドが生まれた15世紀半ばの時点では、オスマンやペルシャ、ムガールや中華(明)といったアジアの諸帝国のほうが、軍事的にも経済的にも西欧諸国より圧倒的に強かったのである。さらに1453年のコンスタンティノープルの陥落は、それまで東方貿易で潤っていたイタリア商人にも大きな打撃を与えた。東地中海からアドリア海にかけての制海権はオスマン帝国に握られ、イタリアはイスラームという異教徒の勢力からの攻撃に直接さらされる危険性が高まった。(no.0492)

ガマの交易ルート発見も、アラビア商人のおかげ

[東地中海 → ペルシャ湾 → インド洋]は、イスラム帝国&中華帝国がおさめているため、中世以降のヨーロッパ諸国は、なかなか交易による利益をゲットできません。

そこで、大西洋の横断 or 西アフリカ → 南アフリカをへて、インド洋 → アジア諸国にぬけるルートを探索し、発見することになります。

たとえば、航海士「ヴァスコ・ダ・ガマ」が、命をかけて、交易ルートを開拓しました。

しかし、フツーの教科書では、このように言われていますが、じっさいはちがいます。

すでに、[南アフリカ → インド洋 → アジア諸国]のルートは、中東のアラビア商人によって利用され、ガマは、かれらに率いられて、航海にのぞみました。

たしかに、アメリカ大陸は、ヨーロッパの人たちによる到達・発見です。

けれど、ユーラシア大陸周辺の交易・貿易となると、ほとんどが、中東&インド&中華の帝国に〝牛耳られて〟いたのが現状です。

それくらい、近代以前のヨーロッパは、政治面でも経済面でも、チカラが弱かった ─ 。

この点は、覚えておきたいトコです。

地理学者の飯塚浩二の表現を借りれば、このガマによる「インド航路の発見」など、それ以前にイスラームの商人たちが長年活動していた航路に「ポルトガル人が回教徒(イスラーム教徒)の水先案内の助けを借りて入り込んできただけ」のことではあった。(no.0512)

なぜ、イギリスは覇権をとれたのか

とはいえ、1500年代以降、遠隔地貿易をすすめ、ヨーロッパ全体は、発展・繁栄します。

交易の覇権は、

・スペイン&ポルトガル

・ネーデルラント(オランダ)

・イギリス

へと、移っていきます。

さいごは、イギリス(大英帝国)が、政治面でも経済面でも、権力をにぎるようになります。

ではなぜ、イギリスは、ヨーロッパ地域でも、世界全体でも覇権を握ることはできたのでしょうか。

いち早く、産業革命を果たしたから、ともいわれます。

いっぽう本書では、ほかの国に先がけて、イギリスが「財政軍事国家(fiscal-military state)」に〝脱皮できた〟から、としています。

つまり、公債(国債)を発行して、国家として資金援助を受けられるしくみをつくったからです。

このとき設立したのが「イングランド銀行(Bank of England)」ですが、軍費にあてる資金を、スムーズにあつめたことで、政治面・経済面での覇権をにぎることができました。

〔……〕国家レベルでの公債を初めて本格的に導入したのがイギリスだった。ロックも関わったイングランド銀行(1694年創設) による国債である。しかもそれは、イギリス議会が保証してくれるという「折り紙付き」のものだった。(no.2630)

国が発行する債権(公債)のしくみは、おとなりの「ネーデルラント(オランダ)」が、さいしょにおこないました。

しかし各地域の自治権がつよいネーデルラントでは、国家がまとまって、公債を発行することができました。

そのしくみをお手本・利用することで、イギリスは、資金をあつめ、軍事・国内産業に投資することができたわけです。

結果、ながく争っていたフランスとの戦争にも勝利して、「長い18世紀」(1688~1815年)のあいだに、ヨーロッパでも世界貿易でも、覇権をにぎっていきます。

「長い18世紀」は、「第二次英仏百年戦争」の時代とも呼ばれている。 この百年戦争を制したのは、ヒト(兵力)、モノ(武器弾薬・軍需物資)、カネ(軍資金) を素早く、大量に集めることのできた側、すなわちイギリスだった。(no.2504)

もともと、戦争&植民地争いには、ばくだいな費用がかかります。

イギリスは、「資金集め」のしくみをつくり、それらを軍事・産業支援にあてることで発展しました。

経済史研究の分野では、産業革命が、イギリスを繁栄させたといわれます。

けれど、統治システムのあり方も、その国の経済・豊かさに影響をあたえます。

この時代のイギリスをみると、よくわかります。

ヨーロッパ諸国のなかで〔……〕「財政軍事国家」へといち早く脱皮を遂げられたのがイギリスであり、これに失敗したフランスが「長い18世紀」の戦争に敗北を喫したわけである。負けたのはフランスだけではない。これについていけなかったハプスブルクやプロイセン、ロシア、そしてなにより小国のザクセン・ヴァイマール・アイゼナハなど、ヨーロッパ大陸のすべての国家が、イギリスに出しぬかれたのである。(no.2540)

レーニンの帝国主義論=近代の否定

近代化の波にのり、発展・繁栄をとげたのが、イギリスでした。

いっぽうで、うまく波にのれず、「近代のしくみ」そのものを壊して、覇権をにぎろうとしたのが、「革命後のロシア=ソ連」でした。

主導者「レーニン」は、『帝国主義』を発表し、近代ヨーロッパの矛盾・問題点を指摘します。

① 生産と資本の集中化にともなう富の独占
② 銀行&産業資本の融合による「金融寡占制」の成立
③ 商品輸出ではなく資本輸出のかたより
④ 資本家の国際独占団体による世界の分割
⑤ 資本主義列強による領土分割

言いまわしはカタいですが、

おカネもちが、国境をこえて、手をむすび、領土を侵略し、富と独占しているよ

ということです。

そのためには、独占のプレイヤーである、イギリス・フランス・ドイツを倒し、さらには、自国のロシア皇帝も打倒せよ、主張します。

〝絵空事〟のようにみえますが、貴族 / 農民の格差が激しいロシアでは、ほんとうに革命が成し遂げられてしまいます。

問題は、レーニンが、外交において、

・無賠償
・無併合
・民族自決
・秘密外交の廃止
・人民主導の交渉

をかかげたことでした。

15世紀以降、近代ヨーロッパでは、エリートによる「秘密外交」「領土補償」を原則としてきました。

レーニンは、それら近代の〝お約束ごと〟を否定したわけです。

さらに、人民にたいしても、「土地に関する布告」をおこない、

・土地私有制の廃止
・全人民の財産の共有

を、提案します。

これは、近代の根幹ともいえる「私的所有権の尊重」の否定です。

国内にたいしても、レーニンは近代とは真逆のルールを課して、統治をおこなっていきます。

その意味で、本書は、レーニンが「ソ連=帝国主義国家」を樹立し、近代のしくみを否定した時点で、「近代の終わり」をみています。

コレには、賛否両論があるかもですが、それなりに説得力があると思いました。

おわりに

さいごに本書では、近代が何をもたらしたを指摘します。

それは、

王侯たちが支配した「貴族政治(aristocracy)」から「大衆民主政治(mass democracy)」への転換

です。

よくもわるくも「匿名性をもった大衆」を生み出し、「高貴なる者の責務」をとる人たちが減っていきました。

たとえば、近代の終焉を決定づけた「第一次世界大戦」では、ナポレオンのような「偉人」は生まれず、「化学兵器」が主役になります。

大衆の意志・感情が、戦争の方向性を決め、国のあり方も変えていきます。

大衆化の動きは、いまの社会にも反映されています。

好き勝手に、政治に〝ものを言える〟いっぽうで、匿名であるがゆえに責任をとることなく、国のあり方を決めることができます。

スマホ(SNS)の普及で、その傾向は、ますます強くなっています。

この「匿名性をもつ大衆」をもたらしたのが、近代ヨーロッパであること自覚し、いまとリンクさせながら、本書にあたるのが大切です。

21世紀の今日においては、コンピューターやインターネット(スマートフォン) の急激な発達によって、この「匿名性」がより前に出て、社会に様々な問題を起こしているように思えてならない。個々人が「責任ある態度」を捨てて、「匿名」の世界のなかで無責任な態度を見せる。こうした傾向は今後もさらに拡がっていく可能性が高い。ヨーロッパ近代史が生みだした、「責任ある態度」に裏打ちされた「個人」という考えかたを、21世紀のわれわれは、もう一度見直してみてもよいのではないか。(no.3644)

新書ながら、近代の歴史・思想・制度を、まんべんなく網羅(もうら)しています。

近代ヨーロッパ史を知るには、もってこいの1冊です。

よければ、チェックしてみてください。

ではまた〜。