【書評】『世界の歴史 17 ヨーロッパ近世の開花』感想&レビュー

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

きょうは『世界の歴史 17 ヨーロッパ近世の開花』を紹介します。

本書は、中央公論新社から出ている「世界の歴史シリーズ」の第17巻です。

『世界の歴史 17 ヨーロッパ近世の開花』の概要

まずは目次から。こんなかんじ。

1 宗教改革と宗教戦争
2 二つの辺境国家 ─ スペインとイギリス
3 グダンスク、ウィーン、モスクワ
4 もしもアルマダが上陸していたら
5 戦乱の世紀
6 ルイ十四世の世紀へ
7 戦乱の中東欧世界
8 二つの海洋国家 ─ オランダとイギリス
9 ピョートル大帝のロシア
10 フランス ─ 啓蒙の時代
11 十八世紀フランスの日常生活
12 啓蒙君主たちのポーランド分割

本書のテーマは、近世ヨーロッパ ─ 。

宗教改革から絶対王政のころまでをあつかいます。

アメリカ独立戦争やフランス革命が起こる直前までですね。

年代としては、1600年〜1750年くらいのあいだです。

本書は共著ですが、書き手の連携がとれているため、構成が整っています。

イギリス・フランス・ドイツを中心に、近世ヨーロッパの社会状況をふかんできるかたちになっています。

すこし文体にバラつきがありますが、近代直前のヨーロッパを知るには、おすすめの1冊です。

『世界の歴史 17 ヨーロッパ近世の開花』のポイント

わたしが気になったのは、つぎの2点。

  • イングランドとスウェーデンの関係
  • 啓蒙専制君主の実態

それぞれ、みていきます。

イングランドとスウェーデンの関係

ルターやカルヴァンの宗教改革により、教会にたいするヨーロッパ各国の態度は、大きく変わりました。

そのままカトリックを支持するのか、対抗してプロテスタントを支持するのか ─ 2つの対立です。

そのなかでイングランドは、プロテスタントを支持します。

実態はヘンリー8世が、みずからの離婚をローマ教会が許可しないがゆえの対抗(=プロテスト)でした。内容の良し悪しはどうであれ、カトリックを否定したという意味では、プロテスタントになります。

おもしろいのは、ヘンリー8世をはじめ、ときの王朝が、プロテスタント支持にまわったさいに、〝お手本にした国〟があったこと ─ 。

それは「スウェーデン」です。

当時スウェーデンは、小国ながら強い王権をきずいてきました。グスタフ1世(英雄、グスタフ・アドルフの祖父)によるリーダーシップのもと、プロテスタント支持の国家への変貌をとげます。

宗教改革運動が盛りあがるなか、はっきりとプロテスタント支持にまわるのは、それを表面するだけでもリスクがありました。国内からは、カトリック教徒による暴動がおき、海外からは支持表明を口実に戦争をしかられるからです。

それでもスウェーデンがプロテスタント支持国になれたのは、強い王権と、カトリックの中心地「ローマ」から離れていることでした。

ノルウェーとデンマークの陰に追いやれられることも多かったこの国が、ルター主義の国教会を樹立して、独立国としての地歩を固めることができたのは、ヴァーサ家の国王グスタフ1世が強力なリーダーシップを発揮し、改革を断行したからである。〔略〕ヨーロッパの中心から遠い、辺境の国であったことが、この針路決定に可能にした。

─ 4章 p.167-168

同じような条件をみたすイギリスは、このスウェーデンを〝まねる〟ことにします。それにより、プロテスタント支持国の立場を確立することになります。

教科書などでは、イギリス王朝が単独でプロテスタント支持にまわった印象があります。けれど、スウェーデンというモデルがあったというのは、おもろしい発見でした。

イングランドの宗教改革は、このスウェーデンのモデルを、ほぼそのまま踏襲したものである。教会財産を国有化し、教会税を王室収入にくみいれ、聖職者の任免を国王の専権事項とする。辺境自立型のパターンを、イングランドも採用した。

─ 4章 p.168

啓蒙専制君主の実態

近世ヨーロッパの有名人といえば、

・ロシアのエカチェリーナ2世
・プロイセンのフリードリヒ2世

です。

ふたりは「啓蒙専制君主」とよばれます。

啓蒙思想を背景に、君主みずから、おさめる国を改革することから、そう名づけられます。

啓蒙思想といえば、それぞれの市民が是正概念にとらわれず、自身のアタマで考えて、世の中をより良くするイメージがあります。けれど〝啓蒙〟専制君主というとき、その実態は、想像とだいぶ異なります。

たとえば、エカチェリーナ2世 ─ 。

彼女は、モンテスキュー『法の精神』を愛読書にしていたといわれます。しかしじっさいは、ロシア国内で貧しい市民による要求&デモがおきたときに、鎮圧を指示します。

フリードリヒ2世も、ヴォルテールを宮廷に招いておきながら、海外では侵略戦争をくわだて、国内では貴族階層(ユンカー)を手あつく保護します。

こんなふうに、啓蒙専制君主とは、啓蒙思想の「合理性」だけを利用し、専制支配をおこなうリーダーでした。

〔略〕啓蒙専制主義は、啓蒙的である以上に専制的であった。そして対外関係においても「専制君主」たちはきわめて攻撃的であった。かれらが先任者たちと異なるのは、統治スタイルであり、本質は同じであったと言わざるをえない。

─ 12章 p.542

こういうと、本音と建前をつかった、ずるがしこい君主と思ってしまうかもです。

もちろん、エカチェリーナもフリードリヒも、就いた当初は啓蒙思想による統治の理想をかかげていました。

けれど、低水準の経済、民衆の貧しさ目の当たりしたとき

「とてもじゃないが、市民ひとりひとりが理性によって社会をより良くするなんてことはできっこない」

と、実感します。

個人に好き勝手やらせていたら、秩序がたもてず、国が成り立たないからです。

その意味では、エカチェリーナもフリードリヒも、理想と現実の差を見さだめ、国内問題に対処した、優秀な君主とみなすこともできます。

じじつ、2人のあとは、プロイセンもロシアも、先進国の仲間入りをするわけですから。

個人的には、とくにエカチェリーナについては、すぐれて対応力のある君主だったんじゃないかなぁと思います。

おわりに

以上のように、本書では近世ヨーロッパの各地域をあつかっています。

この時代を知るには、もってこいの内容です。

よければ、チェックしてみてください。

では、また。