どうも、りきぞう(@rikizoamaya)です。
大学院では、キャリア論と社会保障を研究していました。
社会人なってからは、予備校講師 → ウェブディレクター → ライターと、いろんな職業にたずさわってきました。
働き方についても、契約社員 → 正社員 → フリーランスと、ひと通り経験してきました。
働くなかで思うのは、自分の市場価値をアップするには「教養」が大切だということ。
「発想がすごいなぁ」
と、思う人は、キホン、教養を身につけています。
なかでも、さいきんブームになっているのは「世界史」です。
ここ数年、ビジネスマンの必須知識として「世界史」が注目をあつめています。
ネット時代をむかえ、グローバル化が加速しているからです。
「できる人」と付き合うには、これまでの世界全体の流れを知っておく必要があります。
とくに、ヨーロッパ史の流れは、マストだといえるでしょう。
いまのグローバル化は、ヨーロッパからスタートしたからです。
そんなとき、つぎの本が目につきました。
ヨーロッパ文化の根っこには、古代ギリシャ&ローマの知が流れています。
この2つの歴史を知っておくと、ヨーロッパの本質を理解できます。
著者は、東大名誉教授で、古代ギリシア史の専門家です。
ギリシャの成立から、当時の社会のようすまで、端的にまとめています。
ざっくり知るには、おすすめの1冊です。
まずは、ギリシャ文化を知って、世界史の教養を高めていきましょう。
目次
伊藤貞夫『ギリシャの歴史』の概要
まずは目次から。
こんなかんじです。
1 ギリシア先史文明の発見
2 線文字Bの解読
3 古代ギリシア人の形成
4 ミケーネ時代の諸王国
第2章 ポリスの生誕
1 暗 転
2 王国からポリスへ
3 ホメロスの詩
4 貴族と平民
第3章 民主政への歩み
1 ギリシア世界の拡大
2 重装歩兵制の成立
3 スパルタの国制
4 アテネ民主政の成立
第4章 ポリスの栄光と凋落
1 自由のための戦い
2 ペリクレスの時代
3 戦争と平和
4 ポリス世界の凋落
ギリシャ社会の成立から、繁栄と衰退まで、時系列にまとまっています。
転換点となる戦争&事件も、こまかく描いているため、たいへん勉強になります。
『ギリシャの歴史』で気になったトコ
以下、引用をのせつつ、気になった箇所をピックアップしていきます。
貴族と農民は、対等なカンケー(B.C.700ごろ〜)
当時のギリシャ文化を知るには、貴族と農民のカンケーを理解するのがポイントです。
インドや中国などの古代文明では、強い階級意識がありました。
ギリシャはちがいます。貴族と農民は、対等な立場で付き合っていました。
端的にあらわれているのが、経済におけるカンケーです。
たしかに貴族として、土地を保有し、地主として農民を雇う立場にありました。
しかし形式なもので、実質的には、きびしく農民を管理していたというより、土地の運営を、農民ひとりひとりに任せたかんじがあります。
彼らは一般の農民にくらべると、はるかに大きな土地を所有し、比較的多数の奴隷を使い自由人の日傭取りを雇って、穀物や果樹の栽培を行った。〔……〕大小の家畜の所有においても、彼らは卓説した存在だったのであろう(118)
しかし、一般の農民に対する彼らの経済的優劣は、必ずしも絶対的なものではなかったと思われる〔……〕ポリスの領域がそもそも狭かったうえに、平均した力をもつあかなり多数の抽象貴族が分流率するこというのがまず普通の状態だった。彼らの一人一人がずば抜けた規模の土地経営をおこなうことができたとは、どうしても考えられない(118)
ポリスの成立&発展
ギリシャ市民というと「自立意識が高い」イメージがあります。経済的な土台があったために、貴族と対等に話せて、ときに反発もできた。
つまり、農民は「奴隷」ではなく、貴族と同じように「独立じた農業経営者」だったわけです。
貴族はみずからの出自を誇り、彼らの結束によって政治や裁判を独占し、国政を恣にすることができた。しかし、それに対して、平民はけっして黙って従っていたのではない。力はおよばぬながらも、彼らは貴族立ちに鋭い批判の矢を放つ〔……〕このような背景には、ギリシャの貴族と農民とが、領主と隷属民という関係にはなかったという事実が横たわっている、と見てよい(119)
経済における自立性が、民主政の土台になっていたんですね。
このような環境から、ポリス(都市国家)が成立&発展してきました。
〔……〕民衆は主導権こそ握らなかったけれども、共同体の一員としての自立性は確保している。〔……〕貴族と平民は本来、一つの共同体の仲間なのである。秩序の安定とともに、貴族への平民の依存度も、わずかながら低下していったであろう。これには平民の経済的な向上も並行したことと思われる(122)
「ドラコン法」をキッカケに民主政が加速
さらに、「ドラコン法」を機に、民主政の流れが加速します。
「ドラコン法」は、アテネの最初の成分法です。つまり、名文化された法律です。
それまで、法律は、貴族たちの恣意的な解釈に委ねられていました。
それが、平民をふくむ市民全体のものとして、文字として明記されたわけです。
それにより、貴族が、政治・司法の場で、専制的な決断をくだすのが、むずしかしくなりました。
ソロンによる政治改革(B.C.594〜)
それでも、農作物の不作による「困窮」や、異国との戦争による危機など、民主のあいだで不満は絶えませんでした。
そんなときに、現れたのが、ソロンという政治家です。
かれは、さらに民主政をおしすすめるような改革をおこないます。
具体的には、
・債務の帳消し
・身体を抵当にした借財の禁止
などです。
そのいっぽうで、〝甘い汁〟だけではなく、民衆の規律をうながす制度も導入しました。
具体的には、つぎのとおりです。
・市民身分の確立と財産級制度の導入
・家族生活を律する裁判制度
こうして、民衆を〝堕落〟させるだけでなく、ひとりひとりにポリスの一員であることを自覚させていたわけです。
ペルシャ戦争での勝利
B.C.490ごろ、帝国「アケメネス朝ペルシャ」が、ギリシャ本土に侵攻してきました。
フクスウの都市国家で形成されていた「ギリシャ」側は、それぞれのポリスが同盟&団結して、敵をむかえうつことになります。
その盟主(ポリス全体のリーダー)をつとめたのが、アテネでした。
「マラトンの戦い」(B.C.490〜)、「サラミスの海戦」(B.C.480〜)をつうじて、ギリシャ連合軍は、ペルシャ帝国に勝利をおさめました。
結果、ギリシャ地域での、アテネは地位はアップしました。
とくに、アテネの海軍を率いた「テミストクレス」は、その立場を大きく向上させました。
二度にわたるペルシャの来寇を撃退するにさいして、この国が演じた役割はこのほか大きい。第二回来週を迎えて、アテネがテミストクレスの指導のもとに海軍力を充実させるに成功していたこと、これがもつ意味は絶大である。テミストクレスの機略とあいまって、アテネ海軍が、ギリシャ側の中心として、サラミス水道でペルシャ艦隊と対等に戦う実力を備えていたことが、結局ギリシャを救った。〔……〕戦後、アテネの名声はとみに上がる。前477年の「デロス同盟」の成立は、まさにその結果である(213)
そのいっぽうで、アテネ市民全体が、各ポリスからあつめた「資財」に依存するようになります。
盟主の立場から、好き勝手に利用してしまいます。
それに不満をつのらせたのが、ライバル都市の「スパルタ」です。
その後、ギリシャでの盟主をめぐって、約27年間にわたって、戦争をおこなうようになります。
この期間の争いを「ペロポネソス戦争」(B.C.431年〜B.C.404年)とよびます。
ちなみに、このときのようすを描いたのが、歴史学の古典である、トゥキュディデス『歴史』です。
アテネの衰退
「ペロポネソス戦争」で、アテネは、スパルタに負けつづました。
もちろん軍事力に差があったのは、まちがいありません。
いっぽうで、アテネ内部でのシステムにも、問題がありました。
「ペリクレス」という軍人をさいごに、まともなリーダーが現れなかったからです。
結果、私欲のために、民衆を〝そそのかす〟扇動政治家(デマゴーグ)が、あふれて、アテネを不利な立場へ追いやることにんなります。
ペリクレスの死を機として、アテネの政治のイニシアティブがまったく新しい階層の手に掌握されるようになったことも事実である。かつての名門貴族が舞台から退き、代わって登場したのは、もはや土地財産に富の基礎をおかない、その点で、無産市民と共通の利害と意識をもつ一群の人々であった・アテネ民主政は、いまや行き着くところまで行き着いた、といえるのかもしれない(262)
つまり、「民主政」ゆえに繁栄し、文化レベルを高めてきたアテネが、今度は「民主政」ゆえに、衰退してしまったのです。
もちろん、イチバンの要因は、民衆を〝そそのかす〟デマゴーグです。(ちなみに、デマゴーグは、いまの「デマ」の語源になっています。)
しかし、問題の本質は、ひとりひとりのデマゴーグというより、煽動家を生みだす民主政のしくみにあります。
デマゴーグに不見識を責めるのはたやすい。しかし、彼らの活躍を許した背景には、戦時での極限状況のもとで露わにされたポリス民主政の、いわば構造的な欠陥と、その担い手である、アテネ市民の政治意識の低さがあることを指摘しなければ、公平を欠くことになろう(264)
デマゴーグが、アテネの劣化をもたらしたというより、その立場を生みだす民主政のしくみに問題があるわけです。
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結果、スパルタに敗れたアテネは衰退していきます。
さらに、勝利したスパルタも、戦争による被害で〝体力〟を失っていきます。
その2国に、目をつけていたのが、ギリシャの北に位置していた「マケドニア」です。
マケドニアは、王政のしくみをとっていました。
2つの国が弱体化するのをキッカケに、戦争をしかけたり、同盟をもちかけたりしながら、じょじょに侵略していきます。
そして、ついに、民主政のしくみ自体が、消滅していきます。
おわりに
本書では、ギリシャ社会の成立から、繁栄 → 衰退まで、端的に描いています。
また、民主政のしくみ、そのメリットやデメリットも、うまくまとまっています。
いまの政治制度にも直結するテーマも多いので、いろいろ参考になります。
世界史をふくめ、教養を高めるためにも、おすすめの1冊です。
よければチェックしてみてください。
ではまた〜。