【書評】『世界の歴史 13 東南アジアの伝統と発展』感想&レビュー

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

きょうは『世界の歴史 13 東南アジアの伝統と発展』を紹介します。

本書は、中央公論新社から出ている「世界の歴史シリーズ」の第13巻です。

『世界の歴史 13 東南アジアの伝統と発展』の概要

まずは目次から。こんなかんじ。

1 東南アジア史の曙
2 インド文明の伝来と国家の形成
3 古代「海のシルクロード」
4 東南アジア群島部における国家の発展
5 東南アジア古典世界の栄華に向けて ─ 十三世紀までのインドシナ半島
6 中国船の来航と東南アジア群島部
7 歴史の大転換 ─ 十三世紀以降のインドシナ半島世界
8 イスラーム国家の形成
9 東南アジア群島部の「商業の時代」
10 東南アジア群島部における「商業の時代」から「開発の時代」へ
11 インドシナ伝統社会の変貌—近代への胎動

本書のテーマは、東南アジアの歴史 ─ 。

記録がのこる1世紀前後から、大交易時代がスタートする1500年ごろまでを描きます。

書き手は2人ですが、連携がとれているためか、文章全体に統一感があります。

本シリーズは、筆者ひとりひとりのオリジナリティを大事にするため、文章のトーンがととのっているのは、めずらしいです。

東南アジア史は、世界史のなかでも、マイナーな分野です。そのぶん、アタマに入りにくい。

統一感のある文体でスケッチしてもらえると、理解がラクになります。

『世界の歴史 13 東南アジアの伝統と発展』のポイント


わたしが気になったトコは、つぎの3点。

  • 港市が国家の原型
  • インド化のプロセス
  • アンコールワットの構造

それぞれ、みていきます。

港市が国家の原型

日本の弥生時代や、ヨーロッパのゲルマン人のように、東南アジアの人びとは、自分たちの歴史を、文字に残しませんでした。

かれらの記録は、他国の文献で、はじめてあらわれます。

具体的には、ギリシャ人による『エリュトゥラー海案内記』や、中国人による『漢書』などです。

1世紀の東南アジアは、すでに交易がさかんでした。[エジプト → インド → 中国]の中継地として発展し、都市がつくられていきました。

港と市場をあわせもつ都市を「港市」とよびます。東南アジアでは、この港市が国家の原型になります。

メソポタミアの都市国家や、日本のヤマト王権のように、農業を軸に国家がつくられるわけではありません。

地政的な条件から、海外交易を軸に国家が形成されていった ─ このあたりに東南アジア諸国の独自性があります。

インド化のプロセス

はやくから交易がさかんだった東南アジア地域 ─ そのなかで影響をうけたのが、インド文化でした。

中国との貿易もおこなっていましたが、制度&文化の面では、インドの影響力がつよかった。そのため、カースト制が普及し、宗教では仏教がひろまります。

東南アジア研究では、この事態を「インド化」とよびます。

インド化は、2段階ですすみました。

さいしょは、たんにインドの貿易商人が、食習慣など、ちょっとした文化や風習をつたえたにすぎません。この時点では、東南アジアの人びとも、独自の文化や宗教をもっており、たいして影響をうけませんでした。

インド人もまた、カースト制や仏教を、強制することはありません。

しかし、インドでグプタ朝がおこった300年ころから、港市周辺にくらす人びとは、仏教のおしえや芸術をとりこんでいきます。

これが「第2のインド化」です。

インド化の第二段階は、四世紀末から五世紀の初めにかけて始まった。第二段階で大きな役割を果たしたのは、グプタ文化の担い手だったバラモンである。

─ 2章 p.97

いま東南アジアに行くと、仏像や生活習慣など、仏教文化がひろまった風景を目にします。インド文化がひろまったのは、ちょうどこのころからでした。

交易によって普及したのもさることながら、あんがい古くから仏教文化が及んでいたのは、けっこうおどろきです。

日本の場合は、この150年後くらいに、仏教が到達します。ここからも東南アジアと仏教のつながりが、より深いとわかりますね。

アンコールワットの構造

東南アジアで有名な遺跡といえば、カンボジアの「アンコールワット」ですね。

イメージでは、「ときの権力者が、威信を高めるために建てたのかなぁ」と思われがちです。

けれどこの遺跡は、実利をともなってつくられたものでした。

ご存知のとおり、東南アジアは高温多湿地帯で、いつも雨が降っています。

そのため、土地をおさめる者には〝水の管理〟が求められました。水をコントロールしないと、すぐさま洪水がおこり、田畑が台無しになるからです。

アンコールワットは、ふりそそぐ雨をコントロールし、うまく田んぼに水が流れるようにつくられた、管理システムだったわけです。

上位にある貯水池から必要におうじて土手を切って水を下位に流すと、下位の土手まで水が入ってきて、いちように薄く水がつかる。そうすると田植えが可能となってくる。そういう方法で配水がなされていたと推定される。

─ 5章 p.205

アンコールワットに行くと、あの石で積まれた建物ばかりに目がうばわれます。

しかし当時の人びとにとって大事だったのは、建物のまわりにある「治水場」(=ダム)でした。

もちろん、権威をしめすシンボルとしての役割もあります。けれどそれより大切なのは、雨のコントロールでした。

命のかなめである水を管理した者が、その土地の権力者になれる ─ いつの時代でも君主には、「実利」が求められます。

歴代の王たちは、巨大な貯水池をきずき、それを管理し、乾いた大地をうるおした。稲穂が豊かに波うつ大地。その中心にそびえるアンコールワットは、まさに「水」の帝国のシンボルであった。

─ 5章 p.205

おわりに

以上のように、本書では近代以前の東南アジア史をあつかっています。

この時代を知るには、もってこいの内容です。

よければ、チェックしてみてください。

では、また。