エジプトのイスラーム王朝&国家 ─ ファーティマ朝・アイユーブ朝・マムルーク朝・サラディン・バイバルス【世界史】

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・エジプトのイスラーム王朝&国家について知りたい
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・イスマイール派
・首都カイロ
・アズハル学院
・カーリミー商人
重要人物
・サラディン
・バイバルス
ポイント
・アッバース朝の首都バグダートに代わって、エジプトの都カイロは、政治・経済・文化の中心地となっていった

この記事では、つぎの本を参考にしました。

エジプトのイスラーム王朝&国家① ─ ファーティマ朝

アズハル=モスク

全イスラーム勢力を導いてきたアッバース朝がおとろえることで、地方の有力者が台頭してきます。

エジプト地域でもまた、独自のイスラーム王朝が勢力をのばしていきます。

さいしょにエジプト地域で頭をもちあげたのがファーティマ朝でした。

チュニジアで建国し、カリフを自称しました。ほんらいイスラーム世界では、カリフを名のれるのは1人だけです。みずから勝手に自称するのは、あきらかにアッバース朝にたいする対抗行為でした。

イスマイール派への支持

さらにファーティマ朝では、アッバース朝のスンナ派に対してシーア派の立場をとります。しかも、過激シーア派とされるイスマイール派を支持しました。

こういうところからも、ファーティマ朝の反抗心はあきらかでした。

アズハル学院の創設

ファーティマ朝は、エジプトのカイロに新しい都市をきずきます。

そこを政治・経済・宗教の中心地として、以降、大きく発展していくことになります。

またエジプトという土地柄、紅海&地中海の交易がさかんになり、繁栄をおうかします。

さらに、イスラーム世界では最古の大学となるアズハル学院を創設し、シーア派教義の研究と布教の拠点となっていきます。

ただし注意したいのは、ファーティマ朝の勢力が拡大しても、ふつうの人びとのあいだにはシーア派は普及しなかった点です。

一説には、ファーティマ朝と、東方のブワイフ朝の時代は「シーア派の時代」とよばれています。けれどシーア派を支持したのはごく一部のエリート層や知識人のみで、民衆のあいだではスンナ派がひろまっていました。

シーア派 → 少数派
スンナ派 → 多数派

という構図は、いま現在のイスラーム世界でも、ほとんど変わっていません。

エジプトのイスラーム王朝&国家② ─ アイユーブ朝

サラディン

つづいて、エジプトエリアで勢力をのばしたのが、アイユーブ朝です。

建国者は、クルド人のサラディンです。

彼は、イェルサレム奪還をめざす十字軍にたいして、寛容な態度をとった君主として有名ですね。

都はひきつづきカイロにおきました。そのいっぽうで、ファーティマ朝が支持していたシーア派をしりぞけ、スンナ派の立場をとります。

サラディンのことですから、これには政治上の思わくが、たぶんにカラんでいました。

彼はアッバース朝の権威を利用し、みずからの権勢を高める必要がありました。そのためには、アッバース朝が支持するスンナ派の採用するしかなかったわけです。

じっさい、政治家や知識人のあいだでスンナ派を復興させます。さらには、もともとシーア派教義の研究所だったはずのアズハル学院を、スンナ派布教の拠点に〝くらがえ〟させます。

本人の信仰心もあったのでしょうが、外交上の理由からスンナ派支持にまわったのは、容易に想像できます。

エジプトのイスラーム王朝&国家③ ─ マムルーク朝

バイバルス

つづいて、アイユーブ朝を倒し、エジプトで権勢をほこったのがマムルーク朝です。

サラディンがたてたアイユーブ朝は100年も経たず崩壊をむかえました。いっぽうマムルーク朝は、300年以上もつづく長期王朝となります。

もともとアイユーブ朝のマムルークの軍人によって建国されました。歴代の君主はみなトルコ系の武将で、マムルークとは「奴隷軍人」を意味します。

都はそのままカイロにおかれました。

歴代の王のなかでも5代バイバルスのときに、最大の危機をむかえました。

というのも、フラグひきいるモンゴル帝国が東地中海沿岸からエジプト方面にむけて侵攻してきたからです。

しかし、完全無血をほこるモンゴル軍をまえにバイバルスは善戦をくりかえし、みごと打ち倒すことに成功します。

さらに、アッバース朝のカリフを救出&保護し、バグダードとカイロの守護者としてイスラーム世界の盟主として認められます。

歴史に「もし」はご法度ですが、バイバルスがモンゴル軍をしりぞけなかったら、時代の流れは大きく変わっていたはずです(想像するに、モンゴル帝国は地中海と紅海の海洋交易にのりだし、海の覇権をにぎっていたことでしょう)。

じじつ、モンゴル帝国を追いはったバイバルスは、活発に取り引きをしていたカーリミー商人を手あつく保護します。それにより、いままで以上に[地中海 ⇆ 紅海 ⇆ インド洋]の海洋交易がさかんになります。

結果、マムルーク朝の首都カイロは、一大商業都市へと変貌をとげました。そして、イスラーム世界では、それまでのバグダードに代わり、カイロが政治・経済・文化の中心地となっていきます。

おわりに

エジプトのイスラーム王朝&国家をみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・イスマイール派
・首都カイロ
・アズハル学院
・カーリミー商人
重要人物
・サラディン
・バイバルス
ポイント
・アッバース朝の首都バグダートに代わって、エジプトの都カイロは、政治・経済・文化の中心地となっていった

この記事が、エジプトのイスラーム王朝&国家を知りたい人のヒントになれば、うれしいです。

では、また。