【世界史】大交易時代(大航海時代)の歴史&年表 まとめ ─ わかりやすく説明

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・大航海時代の歴史について、ざっくりとした流れを知りたい
・大事なキーワードは?
・重要な人物は、だれ?

きょうは、この問いに答えていきます。

先に結論をいえば、つぎのとおり。

りきぞう

・大航海時代の歴史は、[14世紀の危機 → ポルトガルの海洋進出 → 世界の一体化 → 商業革命]の流れをおさえると、すっきり理解できる
・大事なキーワードは、「14世紀の危機」「ペストの流行」「商業革命」「価格革命」の3つ
・重要な人物は、「ヴァスコ=ダ=ガマ」「コロンブス」「マゼラン」の3人

ポイントは、つぎのとおり。

  1. ① 14世紀の危機
  2. ② 鄭和による南海遠征
  3. ③ ペストの流行
  4. ④ ポルトガルの海洋進出
  5. ⑤ スペインの海洋進出
  6. ⑥ 世界の一体化
  7. ⑦ 商業革命
  8. ⑧ 価格革命

….

この記事では、つぎの本を参考にしました。

以下、目次にそって、みていきます。

大航海時代の歴史① ─ 14世紀の危機

14世紀の危機とは、ユーラシア大陸における「寒冷化」のことです。

それによって、大陸全体で疫病が流行し、秩序が乱れました

それまで、モンゴル帝国の進出・侵入によって、大陸には「交易ネットワーク」が築かれていました。

そのネットワークに乗るかたちで、疫病が広まります。

感染によって死亡率も増えます

当然、経済・商業も、衰退していきます

2種類の疫病 ─ 天然痘&ペスト

疫病の種類は2つあり、「天然痘」と「ペスト」でした。

「天然痘」は、発祥地は「インド」といわれています。

すでに「インド」も、モンゴル帝国の統治下にありました。

いっぽう、「ペスト」の発生源は不明です。

けれど、ユーラシア大陸をつらぬく「シルクロード」にのっていたのは、たしかです。

それにより、大陸東西に流れ、東方面では「中国・朝鮮・日本」が、西方面では「ヨーロッパ諸国」が、疫病の被害をうけます

モンゴル帝国の崩壊

疫病の流行によって、それまでユーラシア大陸全体を統治していた「モンゴル帝国」が崩壊します。

それにより、政治&軍事面での秩序が乱れ、平和だった大陸は、戦争状態に入っていきます。

そこから、中東地域では「ティムール帝国」が、中国地域では「明王朝」が覇権をにぎることになります。

とはいえ、小規模なサイズの帝国であったので、モンゴル帝国が統治したころのように、大陸全体をカバーするネットワークは築けませんでした。

これが、陸での交易ではなく、海洋による交易を活性化させるきっかけにもなりました。

大航海時代の歴史② ─ 鄭和による南海遠征

鄭和の船「宝船」(出典:wiki

海洋交易に、積極的に乗り出だしのが、明王朝の皇帝「永楽帝(えいらくてい)」でした。

かれは、「鄭和(ていわ)」を指揮官に任命して、1405年から「南海遠征」をスタートさせます。

目的は、貿易による利益獲得 ─ 。

その規模は、大型船(=宝船)が60隻、小型船が200隻、船員は約2万人、といわれています

交易の範囲は、[南シナ海 → インド洋 → アラビア海 → アフリカ東岸]まで、およびました。

最終的には、7回の航海がおこなわれ、1433年までつづきました。

結果、一時的には、明王朝は、海洋交易ネットワークをおさめることができ、貿易による利益を獲得します。

さらに、貿易の中継地「マラッカ王国」&「琉球王国」も、繁栄することになります。

朝貢貿易

利益獲得のしくみとして、「朝貢貿易」がありました。

「朝貢(ちょうこう)」とは、明王朝にたいする「貢ぎ物」のこと ─ 。

商人や周辺諸国が、自由に貿易するかわりに、モノ・お金・奴隷を差しだす、という制度です。

一見、不平等な関係にみえます。

けれど、明王朝による統治にもとで、貿易がおこなわるので、平和で安定的に、取り引きができるわけです。

事実、うえにのべた「マラッカ王国」「琉球王国」は、朝貢を提供することで、繁栄しました。

大航海時代の歴史③ ─ ペストの流行

ペスト被害のようす(出典:wiki

陸での交易ネットワークが途絶え、海洋交易を発展させた「明王朝」 ─ 。

いっぽう、ユーラシア大陸の端に位置する、ヨーロッパ地域は、交易ルートを見いだせていませんでした

東方には「ティムール帝国」がそびえ、さらに、「オスマン帝国」が建国され、ますます陸での交易が、ムズかしくなりました。

くわえて、さきにのべたとおり、モンゴル帝国の交易ネットワークで運ばれた「ペスト」が、猛威をふるっていました

死亡率は高まり、経済・商業も衰退 ─ 。

1400年代・初期のヨーロッパは、ボロボロの状況でした。

航海のきっかけに

しかし、どん底の状況が、海洋進出のきっかけになります。

商人を中心に、新たな交易ルートをみつけようと、探検・航海に乗り出す気運が高まります

具体的には、アフリカ西海岸から、

[インド → アジア方面]

への交易ルートを、なんとか確保しようと考えます。

さいしょに乗り出したのが、ポルトガルでした。

同じ時期に、スペインも乗りだします。

両国の海洋政策から、

・コロンブス
・ヴァスコ・ダ・ガマ
・マゼラン

などの航海士があらわれます。

これ以降、ヨーロッパ諸国による、本格的な海洋交易がスタートします。

大航海時代の歴史④ ─ ポルトガルの海洋進出

喜望峰(出典:wiki

ポルトガルでは、王子「エンリケ」が司令をくだし、南方のアフリカを調査させます。

ねらいは、アフリカを大陸をぐるっとまわって、インド洋へぬけるルートを開拓するためでした。

「喜望峰」から「インド」へ到達

それにより、アフリカ西海岸の地域を、じょじょに植民地化していきます。(1430年頃〜)

そして、1488年、航海士「バルトロメウ=ディアス」が、アフリカ南端「喜望峰」へ到達します。

それにつづき、「ヴァスコ=ダ=ガマ」が、インド「カリカット」に到着し、名産である香辛料をポルトガルにもちかえることに成功しました。

1510年には、インド西岸の「ゴア」を占領し、アジア貿易の拠点とします。

ここから、アジア諸国との交易が、本格的にスタートすることになります。

大航海時代の歴史⑤ ─ スペインの海洋進出

アメリカ大陸の発見(出典:wiki

ポルトガルが「アフリカ大陸ルート」を開拓していたころ、隣国「スペイン」も、新たな交易ルートを模索していたました。

目をつけたのが「西まわりルート」でした。

アフリカを大陸を周回せずに、西方へむかえば、インドに到達できると考えました。

コロンブスによる「アメリカ大陸」の発見

その案を、スペイン王女「イザベル」にもちかけたのが、ジェノヴァ商人「コロンブス」でした。

交渉のすえ、スポンサーになってもらったコロンブスは、2ヶ月にわたり航海をつづけます。

そして、1492年10月、アメリカ大陸・西インド諸島の「サン=サルバドル島」に到達します。

有名な話ですが、コロンブスは、死ぬまで、自分がみつけた陸地は「インド」だと思いこんでいました。

そのため、カリブ海の島々が「西インド諸島」とよばれます。

そこで暮らす人びとを「インディオ(=インドの人たち)」というわけです。

航海ブームの発生

コロンブスによる「新大陸発見」は、ヨーロッパの国々に、衝撃をあたえます。

「スペインに先をこされてはならない」と、ほかの国々も、ぞくぞくと航海に乗りだします。

具体的には、

・イギリス → カナダ&北極に到達
・ポルトガル → ブラジルに到達

などなど。

マゼランによる「世界一周」の達成

スペイン王「カルロス1世」の命をうけて、「マゼラン」が航海にのぞみます。

そして、1519年、南米大陸の南端「マゼラン海峡」を発見 ─ 。

さらに、そこから太平洋を横断し、1521年に、「フィリピン」に到着します。

ちなみに、「フィリピン」の由来は、「カルロス1世」のむすこが「フェリペ」だったからです。

これにより、人類は、はじめて「世界一周」を成し遂げます。

(とはいえ、マゼラン自身は、フィリピンの原住民に襲われ、ポルトガルに帰還することなく亡くなりました。その意味で、はじめて世界一周をおこなったのは、マゼランとはいえません。。)

出典:『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書』

こうしてヨーロッパ諸国は、新たな交易ルートを開拓し、海外貿易を積極的にすすめていきます。

いっぽうで、ヨーロッパ諸国による交易は、武力・暴力をともなうものでした。

1600年以降、遠方での植民地政策は、はげしさを増していきます。

大航海時代の歴史⑥ ─ 世界の一体化

ヨーロッパ諸国で、いち早く海洋進出に乗りだしたのが、ポルトガル&スペインです。

2つの国は、1500年代以降、ますます貿易ルートを拡大していきます。

つぎにように、遠方に中継地を築いていきます。

・ポルトガル → ゴア(インド)&マカオ(中国)
・スペイン → 南米(アステカ王国、インカ帝国)

さらに、オランダ(ネーデルランド)、イギリス、フランスも、海洋進出に乗りだし、世界各国に、貿易中継地をつくっていきます。

・オランダ → モルッカ諸島(インドネシア)
・イギリス → マドラス&カルカッタ(インド)
・フランス → ヴァージニア(アメリカ)

こんなふうに、ヨーロッパ諸国が、世界全体に、交易ネットワークを張り巡らしていきます。

それにより、

・経済の世界化
・世界の一体化

が起こっていくわけです。

三角貿易

市場がひろがり、世界全体が豊かになっていくイメージですが、そうではありません。

ヨーロッパ諸国による貿易ルートの拡大は、つねに武力・暴力をともなうものでした。

その典型が、「三角貿易」です。

図にすると、こんなかんじ。

・アフリカ大陸

↓ (奴隷の輸出)

・アメリカ大陸&西インド諸島

↓ (コーヒー・綿・砂糖・銀の輸出)

・ヨーロッパ本国

↓ (投資&武器の輸出)

・アフリカ大陸

ポイントは、労働力となる「奴隷」を、暴力によって、アフリカ大陸から〝引き剥がし〟、輸出した点です。

アフリカから連れていった奴隷を、アメリカでこき使い、それにより商品となるモノを手にしました。

それらをマネーにかえて、武器を購入し、アフリカ大陸で「奴隷狩り」のために利用します。

殘酷きわまわりない方法で、富をふくらまし、ヨーロッパ本国だけが豊かになっていったわけです。

さらに、このときの格差が、いまでもつづく、先進国/新興国との差を生んでいます。

出典:『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書』

大航海時代の歴史⑦ ─ 商業革命

卑怯なやり方とはいえ、海洋交易ルートを拡大したヨーロッパ諸国は、日をおうごとに豊かになっていきます。

1500年代以降、海洋進出をきっかけに、商業のあり方が、ガラッと転換します。

流れをまとめると、こうなります。

・アジア・インド・アメリカ大陸への市場拡大

・経済活動が「地中海」「インド洋」から「大西洋」に移行

・「三角貿易」などにより、貿易業が発展

・ヨーロッパの都市が繁栄

これまでは、ユーラシア大陸と、その周辺海域が、商業の中心でした。

しかし、ヨーロッパ諸国による海洋進出がスタートしてから、経済活動の拠点が、ヨーロッパ地域に移っていきます。

さらに商業活動は、国家というより、民間主導でおこなわれたので、民衆全体の暮らしも、豊かになりました。

これを「商業革命」とよびます。

大航海時代の歴史⑧ ─ 価格革命

いっぽう、アメリカ大陸から「銀」が大量に輸出されたことで、マネーの価値が下がり、物価が一気に上昇しました。

それにより、ヨーロッパ本国で、土地を担保に利子を得ていた「領主」が没落していくことになります。

封建社会の崩壊です。

かわりに、海外貿易で富をえた階層が台頭し、社会全体に影響をあたえていきます。

これを「価格革命」とよびます。

ポルトガルやスペインなどが海洋進出に乗りだしたことにより、経済の中心地は、ヨーロッパ地域に移行していきます。

それにより、「ヨーロッパ/そのほかの地域」の経済格差が広がっていきます。

これが現在の、

・南北問題
・先進国/新興国の格差

につながっています。

現在の経済状況は、このころの出来事がきっかけです。

この時代から、いまにつながる「グローバル経済」がスタートします。

まとめ

まとめると、

りきぞう

・大航海時代の歴史は、[14世紀の危機 → ポルトガルの海洋進出 → 世界の一体化 → 商業革命]の流れをおさえると、すっきり理解できる
・大事なキーワードは、「14世紀の危機」「ペストの流行」「商業革命」「価格革命」の3つ
・重要な人物は、「ヴァスコ=ダ=ガマ」「コロンブス」「マゼラン」の3人

といったかんじ。

この記事が、「大航海時代の歴史を知りたい人」の参考になれば、うれしいです。

ではまた〜。