どうも、りきぞうです。
大学のころから、世界史に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?
きょうは、この問いに答えていきます。
答えは、つぎのとおり。
・東インド会社
・ジェントリ
・ヨーマン
・スペイン継承戦争
・ユトレヒト条約
・ヘンリ8世
・エリザベス1世
・ジェームズ6世
・ジェームズ1世
・チャールズ1世
この記事では、つぎの本を参考にしました。
イギリスの絶対王政は、
- テューダー朝
- スチュアート朝
のときに確立します。
以下、それぞれの流れをみていきましょう。
目次
イギリス絶対王政① ─ テューダー朝

テューダー朝は、バラ戦争終結後にヘンリ7世が即位したことから始まります。
つづいてヘンリ8世は、ローマ教会から独立し、国王至上法(首長法)を成立させたうえで、イギリス国教会を設立します。
国王至上法により、修道院の領地は王国に没収され、それらは商人や地主に安く払い下げられます。
これには優遇政策をとることで、一般民衆が国王を支持するねらいがありました。
また、星室庁裁判所を整備することで、王国に裁判権を移し、絶対王政化をすすめていきます。
エリザベス1世
つづいてエリザベス1世が女王として即位します。
いっぱんに彼女の時代が、イギリス絶対王政の最盛期といわれています。
内政では、統一法を改正し、イギリス国教会の存在を確立させます。
また救貧法を成立させ、浮浪者に職をあたえ、国力維持をはかります。
くわえて、主要産業である毛織物工業を保護し、国内経済を強化していきます。
いっぽうでエリザベス1世は、一部のメンバーで構成される枢密院を中心に政治をおこない、議会を重視しませんでした。
それでも、ピューリタン革命や名誉革命などの市民運動がおきなかったのは、彼女ができるかぎり一般民衆に寄りそった政策をおこなったからでした。
いっぽう外交では、海賊ドレークに私掠特許状をあたえ、スペイン銀船団にたいする略奪を(ひそかに)認めました。
これによりスペインとの仲が険悪となり、アルマダの海戦にまで発展します。
当社はイギリス不利とみられていましたが、海賊ドレークの協力から、スペインがほこる無敵艦隊をおとし、勝利を果たします。
これに勢いづいたイギリスは、海外にむけて積極的に植民地政策をおこないます。
具体的には、東インド会社を設立し、アジア貿易の覇権をねらうなど、海洋貿易競争に参入していきます。
テューダー朝王政の特徴
ここで、テューダー朝時代のイギリス絶対王政の特色をみていきましょう。
ポイントは、つぎの3点です。
・議会政治の存続
・中産階級の成長
軍隊や官僚の整備にかんしては、隣国のフランスにくらべて、まだまだ遅れていました。
そのため、ドレークの例からもわかるとおり、軍事では海賊を登用し、防衛や遠征にあたらせています。
また地方政治についても、中央から役人をおくらずに「ジェントリ」とよばれる地元の有力者を治安判事にするなどして、地方統治をまかせていました。
いっぽう、まえの時代からつづく議会政治は存続し、絶対王政下でも議会の活動は、そのまま継続されていました。
イギリス社会にかんしては、中産階級が成長し、ジェントリほか「ヨーマン」とよばれる富裕農民が地方を中心に台頭してきます。
また都市部でも商工業者が経済力を高め、中産階級化します。
そのためにピューリタンも増加し、同じ新教であっても、考えの異なるイギリス国教会にたいして、不満をつのらせていきます。
イギリス絶対王政② ─ スチュアート朝

エリザベス1世が亡くなり、テューダー朝は断絶します。
代わりにスコットランド王ジェームズ6世が、同君連合のかたちで、イギリス王ジェームズ1世として即位します。
ここからスチュアート朝がスタートします。
しかしスコットランドでの王政に慣れたジェームズ1世は、王権神授説をとなえ、議会を無視し、専制政治をおこないます。
さらに
・一般民衆にたいする重税
などの政策を実施し、中産階級の不満を高めていきます。
宗教政策では、イギリス国教会の教義を強要し、考えの異なるピューリタンを弾圧します。
それにともない、国王から迫害をさけるために「ピルグリム=ファーザーズ」とよばれるグループが組織されます。かれらはメイフラワー号に乗って、北アメリカ大陸に逃れ、プリマスの地で生活の拠点をきずいていきます。
権利の請願
つづくチャールズ1世も、ジェームズ1世と同じく、議会を無視した専制政治をおこない、人びとにたいしてイギリス国教会の教えを強要します。
たびかさなる強攻策にしびれをきらした議会は、みすからの権限を要求します。
これが議会政治の転換点となった権利の請願です。
権利の請願は、13世紀に提出されたマグナ=カルタ(大憲章)の確認で、その内容は、
・人身の不当逮捕&投獄の禁止
といったものでした。
しかしチャールズ1世は、この要求も無視し、強制的に議会を解散させます。
以後イギリスでは、しばらくのあいだ議会が開かれなくなります(無議会時代)。
そんななか、権利の請願の約10年後に、スコットランドで民衆反乱がおこります。
原因は、スコットランド王をかねたチャールズ1世が、人びとにたいしてイギリス国教会の教義を強制したためでした。
なかなか鎮圧できないチャールズ1世は、戦費確保のため、イギリスで議会を招集します。
しかし久しぶりの議会開催で、民衆の不満は爆発し、チャールズ1世はわずか3週間で議会を解散します(短期議会)。
それでも、民衆の協力のもと戦費を調達したい彼は、ふたたび議会を招集します(長期議会)。
けれど約10年にわたり議会はつづくものの、国王と議員の対立は調整されません。さいごは、議会側が〝チャールズ1世の悪政〟を非難し、国王を弾劾します。
これをきっかけに、ピューリタン革命が勃発します。
おわりに
イギリス絶対王政についてみてきました。
まとめると、こんなかんじです。
・東インド会社
・ジェントリ
・ヨーマン
・スペイン継承戦争
・ユトレヒト条約
・ヘンリ8世
・エリザベス1世
・ジェームズ6世
・ジェームズ1世
・チャールズ1世
この記事が、イギリス絶対王政を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。
では、また。




