「こころの一貫性」について

どうも、りきぞうです。

きょうは、「こころの一貫性」について考えてみました。

※ 本文の引用は、最下部の文献によります。




ときに人びとは、他人を評価するさいに、

「あの人は、一貫性がある」
「あの人のやっていることは、ブレない」

と、手ばなしで評価する。

これは、トップ or リーダーなど、上の立場の人たちに、多くむけられる。

しかしわたしは、〝こころの一貫性〟ほど、当てにならないものはない、と感じる。

残念ながら人間の意志は、4本の柱でがっしり組まれているわけではない。

ひとたび環境が変われば、右へ左と大きく揺れ動く。

弱々しい淡い恋は、美しいソネットをひとつ歌えば消えてしまいます(no.818)

─ 『高慢と偏見』9章

じじつ「ブレない」「一貫性がある」と称賛する人であっても、変わらず何もしないトップより、状況が変われば、柔軟に対応してくれるリーダーを評価するのではないだろうか。

褒めたたえるとはいかずとも、ホッと安心するだろう。

たとえ「手のひらを返した」「一貫性がない」と非難する人であっても、変化に対応したことで、当人たちにメリットがあれば、ころりとキモチを変え、「うまく対処してくれた」と、ほめたたえるはずだ。

かれら/かのじょたちこそ、みずからの態度でもって「現行不一致」を証明することになる。

歴史をひもとけば、過去の英雄 ─ わたしの好きな英雄 ─ も、一貫性よりも、態度を変えたことによって評価されている。

寛容さで名をあげた、イスラム軍人「サラディン」も、そのひとり。

かれは、打ち負かした、十字軍のキリスト教徒にたいしては、いったんは奪われたエルサレムでの巡礼を、広いこころで認めた。

そのいっぽうで、みずからの配下だったエジプト市民にたいしては、かれと同じイスラム教徒であったにもかかわらず、厳しい態度で土地を奪い取り、国力の強化にあてた。

寛容さ/厳格さを、状況・環境によって、つかい分けたのだ。(佐藤次高『イスラームの「英雄」サラディン 』2章 4, 3章 3)

柔軟さこそが、かれを優れた君主にさせる要因となった。

反対に、一貫性により成果を出した事例は、なかなかお目にかかれない。

しっかりとした、確かな歩みによって、その人生を構築することは、英知なるものの主たる目的であるはずなのだけれど、古代全体を通じて、そのような生き方をした人物を1ダースばかり選ぶといっても、それは簡単なことではない(no.85)

─ 『エセー3』第2巻 1章「われわれの行為の移ろいやすさについて」

いまのように、環境の変化が激しい時代状況なら、なおさらだろう。

そのなかで、

「わたしの決意には、一貫性がある」
「わたしの行動は、決してブレない」

などと、軽々しく口にする者には、疑いのまなざしをむけるのが、ちょうどいい。




では、〝こころの一貫性〟などは、無にひとしく、捨てさるべきなのか。

そんなことはない。

あなたが、あなた自身にみせる一貫性ならば、大いに価値がある

みずからを導く信念は、どんな種類のものであれ、気高く、すばらしい

評価軸が、つねに自分自身にある信念ならば、むしろ守り通さなければならない。

気にかけるべきは、「外にむけた一貫性」であり、「ブレない行動」のたぐいである。

いまいま評価されるにしても、長い目でみれば、まずは足場のもろさゆえに、当人の意志がグラつきはじめる。

つぎに、頑ななふるまいにより、(褒めたたえた人たちを含めて)まわりに大きな被害をもたらす。

他人を軸にした、他人のためを想う信念は、だれのためにもならない。

そのため、くりかえしになるが、

「わたしの行動には一貫性がある」
「いったん決めたことは、最後までやり通す」

などと、みずからに声をかけず、まわりばかりに〝のたまう〟トップは、眉をひそめ、距離をとるほうが無難だろう。

クレアント 〔……〕あなたは、あの男の信心ぶりを大まじめで褒めていらっしゃるが、どうやら金メッキで目がくらんでいるようです。(p.29)

─ 『タルチュフ』1幕 5

一貫性は内面に、柔軟性は外側に ─ この態度を心がけておきたい。




では、お元気で。