どうも、コント作家のりきぞうです。
きょうも、コント作品をレビューしていきます。
取りあげるのは、シェイクスピア『夏の夜の夢』。
喜劇のなかでは、わりと後半のころの作品です。
有名なタイトルで、読んでなくても、耳にしたひとも多いはず。
以下、ストーリーの大枠をみたあと、笑いのポイントをあげていきます。
ちなみに、自分は河合訳、Kindle 版でよみました。
引用のページ番号は、うえの文献によります。
目次
ストーリーの大まかな流れ
人物
ディミートリアス
ライサンダー
ハーミア……ライサンダーの恋人
ヘレナ……ディミートリアスの元婚約者
パック……妖精
場所
アテナ or 近郊の森
あらすじ
イジーアスは、むすめのハーミアにディミートリアスとの結婚をすすめる。
しかしライサンダーと相思相愛である彼女は、父のすすめに反対する。
いっぽうディミートリアスには、それ以前に結婚の約束をしていたフィアンセのヘレナがいた。
父も息子も、財産もなく容姿をイマイチなヘレナを見かぎり、ハーミアとの結婚をねがっていたが、ヘレナはいまだにディミートリアスを想いつづけている。
そんななか、人間界に妖精たちが紛れこむ。
妖精界の王女ティターニアは、インドから連れ去ってきた子どもを溺愛していた。
同じくその美しさにホレこんだ王さまオーベロン。「子どもをよこせ」と命ずるが、妻は手放そうとしない。
そこで王は、「三色スミレ」の花のエキスをつかって、子どもから目を背けさせようと思いつく。
このエキスはホレぐすりで、目覚めたとき、はじめてみる相手を好きになる効果がある。
召し使いのパックに、ティターニアの目にエキスを垂らすよう命ずる。
そのいっぽうでヘレナの哀しみに同情したオーベロンは、ディミートリアスの目にもエキスを垂らし、ヘレナへ恋ごころをいだかせようとする。
しかしおっちょこちょいの妖精パックは、まちがってライサンダーの目に垂らしてしまう。
目をさました瞬間、ヘレナをみてしまったライサンダー。恋人であるハーミアをつめたくあしらい、ヘレナにアプローチをかけるが……。

ひとこと
ファンタジー劇です。
『リア王』や『ハムレット』など、リアリズムにもとづく劇をつくるいっぽう、シェイクスピアは幻想劇も書いてます。
ストーリーのメインは、ライサンダーやヘレナたちの三角関係ですが、はなしを展開させるのはパックら妖精たちです。
王さまのおせっかい、パックのミスにより、ホレぐすりで乱される恋ごころが、あらぬ方向へむかい、ライサンダーたち4人のカンケーをかえていきます。
喜劇なので、ラストは「ちゃんちゃん」でおわります。とはいえ、この手のドタバタ劇は。プロセスがたいせつ。
登場人物たちを、どれだけアタフタさせるか。そこがポイント。
個人的には、一夜明け、ライサンダーにとつぜんフラれたハーミアの混乱ぶり、おなじく、ライサンダーからいきなりアプローチをうけるヘレナのとまどいがおもしろかった。
ちなみにこのあと、ミスったパックは、王さまの命令どおり、ディミートリアスにもエキスを垂らし、みごとヘレナをホレさせる。
しかし、いざ想い人からアプローチをうけるヘレナは、いままで散々つれなくされてきたので、信じようとしない。「バカにさせた」とおもい、せっかくの誘いをことわってしまう。
このあたりのビミョーな女ごころも、みどころのひとつ。
笑いのポイント
いのポイントをみていきます。
コントや喜劇で大事なのは、キャラクターとプロット。
この作品ではプロットに注目してみます。
コントのプロットはとてもシンプル。
[設定 → 展開 → オチ]がキホンのながれ。
なかでも「展開」が、作品の良し悪しを決めるんだけど、これにも「型」があります。
パターンは「反転」「逆転」「交錯」の3つです。
ストーリーを整理して、パターンをあてはめてみてると、構図は「交錯」だとわかります。
「交錯」では、ひとりの人物が、真相を隠したり、ワナをしかける。それにより、カン違いする人物が、スジ違いのセリフを吐いたり、行動に出たりする。
そのようすが笑いを引きおこします。
この作品でも、パックたちのたくらみで、恋ごころを乱させたライサンダー & ディミートリアスが、それまで好意をよせていたハーミアをつめたくあしらう。かわりにヘレナに想いをよせる。
エキスによる効果と知らないハーミア & ヘレナ。
ハーミアはライサンダーの裏切りに嘆きかなしみ、ヘレナは、とつぜんの手のひらがえしに、とまどう。
このアタフタようすが笑いをひきおこします。
図にするとこんな感じ。
ヘレナ ≠ ディミートリアスの恋 = ハーミア
・パックがライサンダーにエキスをたらす
・同じく、ディミートリアスにもたらす
・パック、なおしぐすりでもどす
・ディミートリアスはそのまま
ヘレナ ≠ ライサンダーの恋 = ハーミア
ヘレナ = ディミートリアスの恋 ≠ ハーミア
喜劇は、笑わせるのが目的で、ラストはハッピーエンドで締めるのがキホン。
この劇でも、エキスの効果がなくなり、4人のカンケーは正常にもどり、それぞれがふさわしい相手と結ばれる。
しかし、この作品は、幻想劇としての特徴もかねそなえています。
正気にもどった4人から、それまでのドタバタを聞かされた王女が、こんなことを口にする。
ヒポリュテ 昨夜のお話を聞いていると、皆の心が一緒に変貌してしまったことは、単なる夢幻とは思われず、しっかり筋の通った現実であるような気がしますが、それにしても不思議で信じがたいことです。
(no.1516)
じつはこのセリフはとてもだいじ。
『夏の夜の夢』と同じように、わたしたちの人生もまた夢といったメッセージも込められています。
翻訳者は「注」で、つぎのようにのべています。
テーセウス〔アテネの公爵〕が恋人たちの夢のような経験を実体がないと切り捨てたのに対して、ヒポリュテはその実体のないはずのものにどこか筋が通っている(constancy =「一貫性」がある)と控えめな反論を試みる。荒唐無稽な夢や想像力の働きをたわいもないものと切り捨てず、そこに意味を見出そうとするのは、夢のような人生そのものに意味を見出そうとするシェイクスピアの哲学である。この作品自体を夢としてとらえれば、その発想の重要性はさらに確認されよう。
(no.2465)
シェイクスピア劇が、ただのエンタメではなく、長く読みつがれるのも、ルネサンス期の哲学に裏打ちされいるからです。
さすが古典といわれるだけのことはあります。
まとめ
こんなふうに、プロットに注目してみていくと、よりいっそうコントを楽しめます。自分でつくるときにも役立ちます。
ほかの作品でも、こんな視点に立って作品で観ています。ちがう記事ものぞいてみてください。
ではまた。
よきコントライフを〜。


