トルコ共和国 ─ 成立・宗教・大統領・ムスタファ=ケマル・セーヴル条約・ローザンヌ条約・近代化【世界史】

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・トルコ共和国について知りたい
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・セーヴル条約
・ローザンヌ条約
重要人物
・ムスタファ=ケマル
ポイント
・ムスタファ=ケマルはトルコの独立を回復し、ヨーロッパ式の近代化改革をおしすすめていった

この記事では、つぎの本を参考にしました。

トルコ共和国① ─ セーヴル条約

セーヴル条約への署名

第一次大戦の敗北後、オスマン帝国はギリシャ軍からイズミル地方の侵略に合います。

ここにギリシャ=トルコ戦争がおこりますが、いまだ戦争の傷あとから立ち直っていないオスマン政府には、抵抗するほどの力は残されていませんでした。

結果、そのままギリシャの軍事侵攻をゆるすことになります。

戦争のあいだにはセーヴル条約がむすばれ、

・領土の縮小
・フランスによるシリア&レバノンの委任統治
・イギリスによるイラク&パレスチナ&トランスヨルダンの委任統治

などが約束されます。

みてわかるとおり、オスマン帝国にとっては完全な不平等条約でした。

トルコ共和国② ─ ローザンヌ条約

ムスタファ=ケマル

ふがいないオスマン政府にたいして、人びとの中から不満の声があがります。

そのさいの主導者がトルコを独立に導いたムスタファ=ケマルでした。

彼はアンカラにトルコ大国民会議をひらき、ギリシャ軍の撤退を取り決めます。

また、オスマン政府にいまだ残っていたのスルタン制を廃止します。これにより事実上オスマン帝国は滅亡することになります。

さらにその翌年には、列強国とのあいだでローザンヌ条約を締結します。

これにより、

・セーヴル条約の無効化
・イスタンブール&イズミルの領地回復
・関税自主権の回復
・諸外国による財務管理の撤廃

が確約され、トルコは事実上の独立を果たしました。

同じ年にはトルコ共和国を成立させ、首都をアンカラに移します。初代大統領には、トルコ独立の主導者であるケマル自身が就きました。

トルコ共和国③ ─ 近代化改革

文字改革をすすめるケマル

トルコ共和国の君主となったケマルは、さっそく内政の整備にとりかかります。

そのさい彼がおこなったのは、本格的な西欧化改革でした。

おもな政策は、つぎの5つです。

・カリフ制の廃止
・共和国憲法の制定
・女性解放
・脱イスラーム
・文字改革

カリフ制を廃止したことで、政教分離が実現し、国家の世俗化がはかられます

また近代化のカギをにぎる共和国憲法が制定されることで、

・主権在民
・一院制議会の設置
・大統領制の施行

が実現します。

女性解放では、いわゆるチャドルの着用が禁止され、一夫一妻制がしかれます。

脱イスラームでは、イスラーム暦を廃止して、トルコ帽の着用が禁止されます。

一連の改革のなかで、とくに問題となったのが、文字改革でした。

文字改革は、識字率向上のため、それまでのアラビア文字を廃止してローマ字を使用するものです。

しかしアラビア文字は、イスラームの『コーラン』と密接につながっていたため、廃止となれば、ムスリムからの抵抗は避けられませんでした。

それでもケマル、西欧化による富国強兵のため、ローマ字の採用を強引におしすすめます。

これにより教育の場でもローマ字が必修となり、結果的にはケマルの見込みどおり、その後の近代化をよりスムーズにすすめることができました。

これら一連の政策を実施し、トルコを独立に導いたことから、ケマルは議会から「ケマル=アタテュルク(トルコの父)」の称号をうけます。

おわりに

トルコ共和国の成立をみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・セーヴル条約
・ローザンヌ条約
重要人物
・ムスタファ=ケマル
ポイント
・ムスタファ=ケマルはトルコの独立を回復し、ヨーロッパ式の近代化改革をおしすすめていった

この記事が、トルコ共和国を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。

では、また。