どうも、りきぞうです。
大学のころから、世界史に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?
きょうは、この問いに答えていきます。
答えは、つぎのとおり。
② リュクルゴス制の影響
③ ヘイロータイの反乱と軍事国家体制
・ペリオイコイ
・ヘイロータイ
この記事では、つぎの本を参考にしました。
以下、目次に沿って、みていきます。
目次
ギリシャのスパルタ① ─ 成り立ち

8世紀以降、ギリシャ人たちは、各地にポリスをつくっていきます。
そのなかでも、とくに知られたのが、スパルタです。
ギリシャのポリスといえば、平民が台頭したことから、ひろく民主政がとられた、と思われがちです。
けれど、スパルタでは少数精鋭の軍国主義体制がしかれていました。もともとスパルタは、ドーリア人の征服活動によってたてられた都市国家で、王政をしいていました。
ただし王政といっても、オリエント諸国のような専制君主とは異なります。ほかの国とくらべてめずらしく、スパルタ国内には、ふたりの王がいました。
王に就くのは交代制で、任期がくれば、かたほうの王家の就任すると、あらかじめ決まっていました。いまでいえば、ときの情勢に合わせて、政権交代をおこなっているかたちです。
さらに、王のそばには、エフォロイとよばれる5名の監督官がついていて、暴政にはしらないよう抑えられていました。
2人の王が並立するものの、軍事指揮権をのぞいて実権をもたず、市民から選出された5人のエフォロイ(監督官)という役人と長老会が最高権力を保持し、王はつねに、かれらに監視される立場であった。(p.37-38)
─ 『詳説 世界史研究』
このような特殊な統治制度をとれたのは、スパルタの経済が、海洋交易にたよらず、穀物の自給自足ができたからです。
そのために、民主政をとりはじめた他のポリスに影響をうけずに、独自の統治体制をきずくことができました。
ギリシャのスパルタ② ─ リュクルゴス制

スパルタを代表する制度にリュクルゴス制があります。
これは、
という統治制度です。
少数派の市民はスパルチアタイとよばれ、完全市民とみなされていました。人数でいえば約1万人ほどです。
いっぽうペリオイコイは中心部の周辺に住む者たちで、おもに商業や工業をなりわいに生活していました。
ヘイロータイは、おもに農業によって生活し、むかしから奴隷の身分であったり、スパルタが征服した土地から連れられてきたりしました。
ギリシャのスパルタ③ ─ ヘイロータイの反乱

さきにみたとおり、スパルタは軍事国家体制をしき、ギリシャ最強の陸軍国家として、まわりのポリスから恐れられていました。
しかしさいしょからスパルタは、強力な陸軍国家をめざしたわけではありません。
リュクルゴス制をとっていたスパルタは、完全市民である支配者層にたいして、隷属農民であるヘイロータイが、たびたび反乱をおこすようになりました。
背景には、きびしい税の取り立てや、身分差の結婚を認めないなどの不当な差別がありました。
そこで、支配者層のスパルチアタイたちは、奴隷たちの反乱をおさえるために、陸軍中心の軍事体制を強化します。
同時に、市民間の平等意識を徹底させ、団結力を高めます。こうして、少数精鋭のエリート階層を構築していくことになります。
当然ながら、市民間の不平等もたらすマーケットのしくみは導入されず、貨幣の使用もご法度です。
さらに、平等意識がくずれるという理由で、徹底した鎖国政策をおこないました。
こうしてスパルタは、軍国主義体制がしかれ、ギリシャでもっとも強い陸軍国家に変わっていきました。
リュクルゴス制によりヘイロータイが反乱をおこし、それを抑えるために、軍事国家体制が強化された、というわけです。
おわりに
ギリシャのスパルタをみてきました。
まとめると、こんなかんじです。
・ペリオイコイ
・ヘイロータイ
この記事が、ギリシャのスパルタを知りたい人の参考になれば、うれしいです。
では、また。




